第79話
大空を立派な羽根を広げて、旋回している。
何度か私達の頭上を回った後、大きな風を巻き起こしながら降りてきた。
私の目は、竜の背に乗るお母さんの姿に釘付けになっていた。
アレックの後日談によると、恐ろしいほど目がらんらんと輝いていたそうだ。
まあ、そればっかりは仕方ないよね。だって私の密かな(秘めてないけど)夢は、竜の背に乗ることなんだから。
「お母さんっ」
地上に降りたった竜に駆け寄ると、お母さんの手の中から何かが飛び出し、私の胸に飛び込んできた。
反射的にそれをキャッチするが、勢い余って後ろに倒れそうになった。だが、あとから駆け付けたアレックが後ろから支えてくれたので、ことなきをえた。
『マリィ。やっと会えた。ボク、淋しかった』
手の中に収まり切れないそれは、リューキだった。
「リューキ。淋しかったの? ごめんね、置いてきぼりにしちゃって。それにしても、リューキ、見ない間に随分大きくなっちゃったんじゃない?」
数日前は両手に納まる程度の大きさだったはず。それに、何だかとても重いんだけど。
「竜の成長は早いからね。マリィ、あなたもすぐにリューキの背に乗れるようになるわ」
さすが私と血がつながっているだけあって、私の考えることを分かっているようだ。
「うん。早く乗りたいな」
「私のパートナーに乗せてあげたいけど、今日は遊びに来たわけではないから」
そうだった。
うっかり目先のワクワクに気を取られて今の状況を忘れる所だった。
「お母さん、一体何が起こっているのかな?」
「こっちと日本の世界に綻びが出来てしまっているの。だから、入れ替わってしまった」
「そんなこと有り得るの? 人なら分かるけど、公園なんて大きなものまで移動しちゃうの?」
こんな大きなものが突然なくなったり、現われたりするのは、あまりに想像しにくい。
「人には意思があるでしょ? だから、滅多なことで移動したりしないの。その世界につなぎ止めるものがあれば、それが止め金になるから。こういった場所の方がなりやすいのよ」
「こっちに来てしまったものを戻すことは出来る?」
この公園は、あまり人気のある場所ではないけれど、それでも突然あるべきものがなくなれば、騒ぎになってしまう。
まだ、大騒ぎになっていなければいいが。
「そのために私はここに来たのよ。マリィには、もう一度日本に飛んでほしいの。マリィは日本から公園を呼び寄せる。私はこちらからここにあった草原を呼び寄せるわ」
呼び寄せるなんてことが、私なんかに出来るだろうか。
日本に行った時、シアの前で隣の部屋にあった手紙を呼び寄せたことがあった。
私が呼び寄せたことがあるのは、その一度きりなんだ。距離も近く、とても小さいものだった。
そんな初心者な私に、こんな大きなものを呼び寄せることが出来ると思っているのか。
「もちろん出来るわ。私の娘ですもの」
当然と言わんとばかりに微笑むお母さん。
私はそんな笑顔を見せられて、ぐっと詰まって反論も出来ない。
「今までも何度かこんなことがあったの。だけど、私一人ではどうすることも出来なかった」
パッとこっちに来るまでの道中で訪れた町を思い浮べた。
まるで、日本のようだった。あの町だけは。
「もしかして……」
「そうよ。あなたたちが訪れた温泉街。あの町はこの公園と同じように突如現れたのよ」
あの町には私と同じような肌色をした人がたくさんいた。
あの人たちは……。
お母さんが私の目を見て頷いた。
あの人たちは、日本人だったんだ。
ここに突然飛ばされ、戻れなくなってしまった人達だったんだ。
「これ以上そういう人達を出すわけにはいかないの。アレック、あなたはマリィの手助けをして欲しいの。頼めるかしら?」
お母さんは、いつの間にかアレックと呼ぶようになった。それをアレックは、息子として認めて貰ったんだと喜んでいた。
アレックは、私の肩に置いていた手に力を入れた。
「もちろん。言われなくてもそのつもりでいます」
アレックの頼もしい言葉にほんの少しだけ不安が軽減した。
「マリィ。あなたと私なら離れていても会話が出来るわ。向こうに着いたら、声をかけるのよ。それから、マリィには、もう一つやって貰いたいことがあるの。公園と草原の入れ替えが成功したら、どこかに出来た綻びを探し出して、縫いあわせて欲しいの」
綻びを縫うってどういうことなんだ?
小首を傾げると、お母さんはクスリと笑った。
「これをあなたに。これは、私も母から貰ったの。もう、あなたにあげてもいいと思うの」
お母さんが私の右手を取ると、手の平に小さな細長いケースを落とした。
印鑑が入っているような手の平にすっぽりと入ってしまう小さなものだ。
隣に佇むアレックもその箱を覗き込んでいた。
一体これは……。
「そうね、何と言えばいいのかしら、あなたが願う何かになるわ。剣が必要になれば剣が、弓が必要になれば弓が。今回の場合で言えば、針よ。蓋を開ければ大きくなる。普通の人には見えないわ」
「開けてもいい?」
お母さんは、頭を横に振った。
「一度大きくなるとその仕事を終えないと小さく戻らないの。だから、綻びを見つけた時に出すのよ」
「糸は?」
「糸はついているわ。透明な糸が」
針を貰ったのは、嬉しいんだけど、少々心配な事柄が……。
私、家庭科の成績悪かったんですけど、大丈夫でしょうか?
裁縫をやった日にゃ、縫い目が真っ直ぐ縫ったはずなのに、あら不思議、出来上がりはギザギザに。
「大丈夫よ、マリィ。私も裁縫は大の苦手だけど、なんとかなったから」
でも、お母さんは料理が上手なんだよね?
私は裁縫も料理も苦手。それって私がドがつくほどの不器用だってことじゃないか。
「俺がいるぞ。マリィ」
根拠のない言葉なのにアレックに言われると、全てが上手くいくような気がしてくる。
アレックは、私のポジティブの源なんだと思う。
「うん。私、頑張ってみるよ」
「アレック。目をつぶって」
お母さんはアレックの正面に立ち、そう言った。
アレックが目を閉じると、右手をアレックの右目に翳すとそのままそれを右へとゆっくりと動かした。
「もう開けていいわ。あなたの目に私の力を少し与えたわ。これであなたにも綻びやマリィが持っている針が見えるようになったはず。くれぐれもよろしくね」
「はい」
真っ直ぐに伸びた背中と強い意志を秘めた瞳、普段よりも低い声。
その姿に不覚にもグッと来てしまった。
「ふふっ。ほら見て。マリィが惚れ直してるわ」
なっ。
ボボボッと派手な音を立てて、顔が赤く変化を遂げた。
「ちょっ、ちょっと待って。あなたたち、一体何の話をしているの? 竜の背に乗っているなんて、まるで光の住人みたいじゃない」
エレーナの存在をすっかりと失念していた。
この場でエレーナだけは、私とお母さんが光の住人であることを知らないのだ。
「あ……」
誰も何も答えない。私もどう答えるべきか悩んでしまい、言葉が見つからない。
「もしかして……そうなの?」
「あっ……と、エレーナ。今は急いでいるから、帰って来てからでもいいかな? もしなんなら、お母さんとジョゼフに聞いてもらっていいからさ。お母さん。じゃあ、私達行ってくるね。リューキ、また力貸してね。アレック……」
リューキを腕に抱き、私はアレックに抱き寄せられる。
目的地は前回と同じリビング。直接公園の場所に飛びたいけれど、公園はカリビアナに来てしまっているから不可能だ。
消える直前、残る三人に手を振った。
エレーナだけが、現状を把握できずに戸惑った表情を浮かべていた。