第75話
長いテーブルがあるとしたら、その両端にその家の主人とその奥さんが座るものだと思っていた。
だが、その認識はこの家では通用しないことを知る。
「アレック。お父さんとお母さんって普通あっちとあっちに座るもんじゃないの?」
テーブルの両端を指差しながら、アレックに耳打ちした。
「ああ、普通はそうだな。だが、父上は母上とあんなに離れて食事をするのは耐えられないんだそうだ」
両端の席には誰も座っていない。
おおよそ中央付近にお父さんとお母さんが並んで座り、お母さんの隣にはエレーナが、お父さんとお母さんの向かい側にはアレックと私が座っていた。
「じゃあ、なんでこんな長いテーブルにしちゃったんだろうね?」
「そうだな」
アレックは私の素朴な意見に苦笑していた。
なんせ長いのだ。
恐らく王城にあるテーブルよりも長いんじゃないだろうか。
このテーブル、よくよく見てみればとても年季が入っている。
もしかして……、
「このテーブルはもしかしたら、誰かから譲り受けたものだったりしますか?」
「よく分かったね、マリィ。このテーブルは、私の父上が大事にしていたものなんだ」
ちょっと意外。
お父さんって普通に話が出来るんだ。って、失礼すぎ?
最初の印象が強烈だったために、普通に話せないんじゃないかって。変態過ぎてこの人とまともな会話は出来ないだろうと決めつけていた。
「私の父上は早くに亡くなってしまったんだが、とても家具にこだわりがある人だったんだ。ほら、見てごらん。私達が座っている椅子も特注で作らせたものなんだ。兄が王になる際に捨ててしまおうとしていたんで、私が頂いたんだよ」
お父さんのお父さん、つまりアレックのお祖父さんは、息子に殺されたとアレックが言っていた。そして、恐らく手を下したであろう息子がお祖父さんの遺品を始末しようとしていたのだ。
自分の父親が遺した物を見るのもイヤだという心理か、それとも、自分の罪に心を痛め、見るのも苦しいという心理か。
後者であって欲しいと切に願う。
「そうなんですか。綺麗な細工ですね」
「君は優しいね」
にこりと微笑んだ表情があまりにアレックとそっくりだったので、私はハッと息を呑んだ。
そんな私の様子にアレックは憮然としている。
「いえ、そんなことないです」
「お礼に私の使用済みパンツを差し上げ……」
「いえ、結構です」
私はお父さんの言葉を遮って、冷たく言い放った。
何が悲しくてお父さんの使用済みパンツを貰わなきゃならないんだ。
折角まともな会話がお父さんと出来たと思って喜んでいたのに、そんな会話も長くは続かなかったようだ。
「じゃあ、君のちょうだ……」
「無理です」
「ハニー。マリィは、もしかしたら私のことが大好きなんじゃないかな?」
なぜ? なぜ、その結論に思い当たったのですか?
私の言動、態度にそんな要素はこれっぽっちも含まれていなかったことは、ここにいる誰にも明らかであるのに。
「ええ、ダーリン。それは決してないわ」
お母さんの一刀両断は、素晴らしくいさぎいい。
ついつい見惚れてしまうほどだ。
「マリィ。この人の言葉は遠慮なく右から左に受け流していいのよ」
「はい」
お母さんがそうおっしゃるのならば、遠慮なくそうさせて頂きます。
でも、お父さんの言葉には他意がないことが分かるから、あまり気にしてはいない。
軽くあしらっても傷付かないであろうことも分かっているので、気兼ねなく冷たく出来る。
お父さんってド変態ではあるけれど、愛すべきド変態と言いますか、どこか憎めない感じがあるのだ。
実は、かなり冷たくあしらってはいるが、決して嫌いじゃない。
「父上、マリィのパンツは私のものです。決してあげません」
イヤイヤ、私のパンツは私のもんですから。いつから、アレックの物になったんだ。
「ぬうっ。アレクセイ。息子なら私に一つくらいくれてもいいじゃないか」
「マリィの物は髪の毛一つだって俺の物です。マリィに少しでも触れたら許しません。いくら父上でも、遠慮なく抹殺します」
おいおい、私は物じゃないんだからっ。しかも、アレックの言ってること、相当物騒だから。
と、心の中でツコッミを入れるものの、アレックの言葉にニヤケてしまってる自分をどうしても止められなかった。
私物扱いされて怒ってもいい場面なんだろうけど、私の乙女心がアレックの言動を許してしまっている。それどころか、喜んでしまっている。
「あなた、顔にしまりがなくなっているわよ?」
エレーナに指摘されて、頬を隠した。
隠しても隠しきれない気持ちが溢れ出して、正直対処に困った。
「アレクセイ、あなたたち、ここにはどのくらい滞在する予定なの? 私達はいつまでだっていてくれて構わないのだけれど、ここには何もないからあなたたちにはとても退屈なんじゃないかしら?」
「そうですね。2、3日ほど滞在する予定でいます。俺も仕事を大分溜めてしまっているのでそうそう長くは休んでられません」
アレックは日本に行って、カリビアナに戻ったと思ったら、すぐまたこちらに来てしまったので、仕事がたくさん溜まってしまっているのは明白だった。
それでも、アレックもジョゼフも大して焦った風でもない。
二人の中では、きちんと頭の中でスケジュールが立っているのだろう。
「マリィは退屈しないかしら?」
「私は大丈夫です。アレックもいるし、エレーナとも仲良くなれたので。私は全然退屈はしませんので気にしないで下さい」
「母上、マリィは俺が呆れるほどに色んな物を見つけるのが上手いんです。特に遊びや楽しいことになればなおさらに。普通に考えればなんの面白みもない草原でも、マリィにかかれば、そこは遊びの楽園になるといっても過言ではないかもしれません」
アレックが少し憮然とした感じの声を上げる。
それは、私を多少なりとも批難しているのだけれど、私はそれを痛くもかゆくもなく受け止め、そんなアレックに微笑みを向けた。
アレックの苦労が分からないわけでもないけれど、やっぱり人生は楽しく生きなきゃ損だと思うから。
心の中で盛大に謝罪をする。
「そうよ、マリィは全然退屈なんてしないと思うわ。こっちが見ていて呆れてしまうくらい。たかだか散歩をするだけでも目を輝かせるんですもの。お兄様に同情してしまいますわ」
エレーナが私を始めてマリィと呼んでくれた。
私は、エレーナの話の内容よりもそんなことに気を取られていた。
警戒心剥き出しの猫がじんわりじんわりと私に懐き初めてくれたことに、私は何よりも嬉しさが込み上げて来た。
その嬉しさに比べたら、ほんの少し発言の内容にとげが見え隠れしていた事なんて取るに足りないことなのだ。
「エレーナ。お前も俺の気持ちが分かるか。俺は、マリィがいついなくなるか心配で仕方ないんだ。出来ることなら首輪と鎖をつけておきたいくらいだよ」
「お兄様、それはちょっと変態っぽいですわよ。でも、その気持何となく分かる気がしますわ。ほんの少し触れ合った私でも分かるんですもの、心中お察ししますわ」
「ねぇ、エレーナは私達がこっちにいる間ここにいる?」
「ええ、そのつもりでいますわ」
私はにっこりとエレーナに微笑みかけると、アレックを見上げた。
アレックはイヤな予感がしたのか、私から視線を逸らそうとしたが、それよりも早く私はアレックの視線をがっちりと掴んで微笑んだ。
「明日、三人で遠乗りに行こうよ。ね、いいでしょ? アレック。アレックも一緒に行ってくれれば心配ないもの。エレーナは馬に乗れる?」
エレーナはふるふると首を横に振った。
「じゃあ、私の馬に一緒に乗ればいいよ。ね、いいでしょ。アレック」
懇願の瞳をアレックに向ける。この瞳に弱いことを十分承知しての行動である。
私の瞳の圧力に根負けしたように、アレックはがっくりと首を垂れる。
してやったりとエレーナに向けて、こっそりとウィンクをしてみせた。