第71話
青空の下を私とアレックを乗せた馬車は草原の中の道を走っていた。
「どうしてそう思うの?」
アレックは、自分のお父さんを変態と言い放った。
「元々父上が王になるまでは、お前がいったような血生ぐさい争いが繰り広げられていたらしい。父上は末の息子として産まれ、継承権も弱かった。元々の性格もあって王位にまるで興味がなかったんだ。そういう性格だったから兄弟達からは軽視されていた。見向きもされなかったんだ。それでも自分の思う通りに生きていて、何の不満も抱かなかった。それに比べ、他の兄弟たちは王位がほしくて堪らなかった。兄弟同士が牽制し合い、罵り合い、貶め合い、殺し合い、王を暗殺し、新たに王になった兄は若くして病死した。結局残ったのは父上だけだった。だから、父上は仕方なく王になったんだ」
王位に縋るあまり身内同士で争い、殺し合い、しまいには誰もいなくなる。
一般市民として長いこと生きてきた私には、理解できない心理だ。
「アレックの兄弟の間でもそういった争いはあるの?」
「それはない。あの父上の子だからかな。あまり争いごとは好まないんだろう」
良かった。
アレックが、自分のお兄さんや弟に命を狙われる心配はないみたいだ。
「アレックには、ルドルフ以外の兄弟はいる?」
私は、それすら知らなかったのだ。
アレックも自分から家族の話をしようとはしなかった。
アレックもまた私と同じ気持ちでそうしていたのだろうか。
「兄上の下に俺と、もう一人同じ年の兄がいる。俺の下に妹が二人と弟が一人いる」
同じ年のって、アレックは双子なんだろうか。
それに、アレックが三男であるのなら今現在、第二位の王位継承権を持っている筈だ。
なぜ、アレックは第五位の王位継承権なんだろ?
「お前には話しておこう。というより、お前以外の国民は皆知っていることだ。俺だけ前王妃の子じゃない。俺だけ母上が違うんだ。俺の母上は父上が唯一もった側室だった。俺の母上は身体の弱い人だったようで、俺を産んですぐに命を引き取った。俺は前王妃が本当の母上だと思って暮らしていた。だが、まだ俺が幼い頃に聞いてしまった。大人たちが話しているのを……。俺が成人を迎えたと同時に王位継承権を放棄することを宣言した。だから、本当のところ俺には王位継承権はないんだよ」
大人達の無責任な噂話で自分の立場を知ってしまった少年は一体何を感じたんだろう。
憎しみか、悲しみか、それとも落胆か……。
「その話を聞いたときどう思った?」
「俺は本当に前王妃が大好きだったんだ。母上じゃないと聞いたときには、ショックで一時期声を失ったくらいだ。前王妃は俺を他の兄弟と分け隔てなく接してくれた。前王妃が母上じゃなくて悔しかったよ。俺にとって王位なんてどうでも良かった。俺にとっては、母上が母上じゃなかったことのほうが何よりも大きかったんだ」
私は、アレックの頭を撫でた。
どうしてだろう。アレックが泣き出してしまうんじゃないかと思った。
「血の繋がりってさ、必ずしも重要ではないんだよ。アレックにとってお母さんは前王妃様なんだよ。それで良いんだと私は思うよ」
私も日本のお父さんとお母さんが本当のお父さんとお母さんじゃないって聞いた時には、ショックを受けたけど、今は血の繋がりなんてどうでもいいって思ってる。
この世界のお父さんお母さんも、日本のお父さんお母さんも、私にはどちらも本当のお父さんお母さんなんだ。
私がそう決めたんだ。誰が何と言おうとも。
私の隣で私の葛藤を見ていたアレックなら分かってくれる。
「俺、母上って呼ばなくなったんだ。話し聞いてから」
「今日会ったら言ってみればいいよ」
きっと喜ぶよ。きっと泣いて喜ぶよ。お母さんってそういうものだから。
「そうだな。マリィ、俺のそばで見ていてくれるか?」
「いいよ」
今日はアレックが小さな子供に戻ったみたいで可愛い。
そんなアレックを私の胸に沈めた。
「でも、なんでお父さんを変態だなんて言うの? 話を聞いた限りでは、別に変態要素は含まれていなかったように思うんだけど」
王位を望まない王族は確かに珍しいのかもしれないけれど、ただそれだけでは変態と言うには理由が弱い気がしてならないのだ。
「まあ、会えば分かるよ。存在自体が変態なんだ」
存在が変態ってどんなだろう?
説明するより会った方がよく分かる。そういうことだろう。
「アレックと兄弟は仲良かった?」
「あれを知るまではね。俺が真実を知ったのは10歳くらいの時だ。俺が彼らを遠ざけてしまったんだ。なるべく近寄らないようにした。そしたら、みんな俺にはなかなか近付かないようになったよ。兄上を除いてはね」
「兄上ってルドルフ?」
アレックが私に向けて小さく微笑み、頷いた。
「兄上は、俺を一人にしてはくれなかったよ。後で知ったことだが、兄上は聞かされていたんだよ、俺だけ母上が違うということを」
ルドルフに深く感謝する。
アレックが城の中で孤独にならずに済んだのは、ルドルフのお陰だ。その行動がどんな想いでなされていたにせよだ。
お城に戻ったら、幼かった頃のアレックの話をルドルフに聞いてみよう。勿論、アレックに秘密で。
「ルドルフがアレックのお兄さんで良かった」
「ああ、俺もそう思うよ。あの当時俺が孤独になっていたら、今の俺はおそらくなかったよ」
孤独にさいなまれ落ちて行った者が行きつく先は何だっただろう。
何にせよ、今のように穏やかに私に笑いかけるアレックには出会えなかったということだ。こんなふうに抱きつけば、その大きな腕で全てを包みこんでくれることもなかったのだ。
「殿下、マリィ様。到着いたしました」
二人でお互いの体温を確かめ合っていた時に、ガチャリと扉が開き、ジョゼフがそう言った。
私達が体を寄せ合っていたことなど、見なかったふりで淡々と任務を遂行する。
「そうか。マリィ、長旅ご苦労だったな」
「ふふっ、本当にね。私、もう少しで発狂するところだったわ」
私の言葉にウソはない。本当にストレスの限界で、もう少しで発狂するところだった。アレックの心配性が私をがんじがらめに縛るからいけないのだ。もっと自由なふるまいを私に許してくれていたら、こんなにストレスが溜まることもなかったのだ。
不満たれたれの心中を知ってか知らずか、アレックはいち早く降りると私に手を差し伸べた。
もうっ、そんな爽やかな笑顔で見られたって許してあげるもんですかっ。
そう言った傍からすでに許してしまっている自分が心底許せない。
惚れた弱みってやつですか。
「ありがとう」
こういうときだけ、アレックは紳士すぎるほどに紳士になる。
その普段は見せない紳士ぶりに、ドキリとしてしまったことは、恐らくアレックにばれているに違いない。
馬車を降りたそこは、町と呼ばれるものは何もなかった。
林の中でも、ましてや森の中でもない。草原の中に突然大きな家が現れた、そう表現してもいいほどに、この広い草原の中に一つだけぽつりと建っていた。
私達の到着を聞き付けたのか、家の中から一人の男と美しい女性が姿を現した。それが、アレックの父上と母上なのだろう。
「おおっ、アレクセイっ。待っていたぞ」
両手を広げてアレックに近付き抱擁を求めるが、さらりと交わされてしまう。だが、そんなことには全く動じた気配はなかった。
次に私の存在に気付くと、信じられないオーバーアクションをしながら私の前まで来ると、またしても信じられない一言を口にした。
「ああっ、何てことだ……。こんなことを言って申し訳ないとは思うんだが、それでも言わせてほしい。……君のパンツを私にくれないかっ」