第66話
まだまだ元気一杯のシアと璃里衣は、私に申し訳ないという表情を浮かべているものの、次へ行くとなったら、案外あっさりとしていて、そそくさと行ってしまった。
大きな木の下にしつらえたベンチに私は腰掛けていた。
行き交う人々が、ちらりちらりとこちらを覗き見ていて、なんだか居心地が悪い。
「アレック、大丈夫?」
聞いてはみたものの、真っ青な顔をして、私の膝を枕代わりに横になっているアレックは、到底大丈夫とは言えない。
口を開いただけで、吐いてしまいそうなご様子だ。
流石にコースターの最前列は、初心者にはこたえたようだ。
ううっ、とうなり声をあげるアレックの頭をゆっくりと撫でる。
今日の完全制覇は諦めるしかなさそうだ。
まったりとした時が過ぎていく。
私達が座っているベンチは大きな木の木陰で、とても涼しく、眠気を誘う。
周りの雑音がちょうど良い塩梅に心地よく、無意識にアレックの頭を撫で続けながら、私はうとうととし始めていた。
「……ちゃん。……お姉ちゃんっ」
璃里衣の声で跳ね起きると、おでこを何か堅いものにぶつけて悲鳴を上げた。
隣からも低いうなり声が聞こえて、そちらを見れば、アレックが顎を押さえて唸っているところだった。
「あれ? アレック。……えっと、それってもしかして、私のせいだったりする?」
シアと璃里衣がアレックを見て、大袈裟に笑っていた。
「私達がここに戻った時には、アレックさんの膝枕で寝てたんだよ、お姉ちゃんは」
「は? え? なんで……ていうか、アレック具合はもういいの?」
そう、私がアレックに膝枕をしてあげてた筈なんだ。なんでまた、立場が逆になってるんだろ。
「具合の方はもう大丈夫だが、顎が大丈夫じゃない」
「わあっ、アレックごめん。私が勢い良く起き上がったからだよね。ホントにごめん」
アレックの顎を撫でると、満足そうな表情を浮かべた。痛みは一瞬のことで、すでに痛みは消えていると私は見た。
アレックの話によると、具合もよくなったしそろそろ二人と合流しようと思って起き上がったら私が寝ていたので、膝を提供したということらしい。
でも、別に膝枕じゃなくてもよくない? 肩を貸してくれれば十分だと思うんだけど。公衆の面前で膝枕、しかも爆睡ときたもんだ。
「璃里衣達は全部乗り物乗ったの?」
璃里衣とシアは同じタイミングで、同じ角度で、同じように頷いた。
それがあまりにぴったりと合っていたので、びっくりした。
同じ血を分けた人間はここまでシンクロしてくるのかと、妙に感心してしまった。
「だけど、観覧車だけまだだよ。二人も乗りたいかと思って迎えに来た。アレックさんの調子が戻ったなら、行こうよ」
結局、計画したプランの最初と最後だけの中身がまるでない感じになってしまった。
アレックも具合が良くなったんなら、私を起こしてくれれば良かったのに。
昨日、シアと話していてあんまり寝てなかったからな。お陰で頭はすっきりとしていた。
この分だと、今日の夜はすぐには寝付けないかもしれない。
「アレック。行こうか」
観覧車は何が何でも乗っておきたい。
大好きな人と観覧車に乗るのが私の密かな願いだったりする。
まだ私と璃里衣が小学生の頃、お母さんから聞いた、まだお母さんとお父さんが恋人だった頃の話。
初めてのデート、二人で始終手をつないで回った遊園地。そして、最後の観覧車で初めてのキスをした。
その想い出の遊園地がここであり、この観覧車なのだ。
「あの観覧車でキスをするとその二人は一生幸せになるのよ。私達みたいに」
お母さんのその話はいつもそんな言葉で締めくくられていた。
実際にそんな都市伝説のような話はこの観覧車にはないのだが。
お父さんとお母さんは、娘が見ていて目に余るようなイチャイチャっとした甘い雰囲気は全然ないけれど、目に見えない絆のようなものを強く感じる。仲が良くて、お互いを尊敬し合っていて、お父さんがお母さんを見る目も、お母さんがお父さんを見る目も、いつまでたっても恋をしている人の目で、私はそんな二人をとても羨ましく思っていた。
いつか、自分も誰かと結婚することになるならば、お父さんお母さんみたいな夫婦になりたいと思っていた。
そんな夫婦に、アレックとならなれる気がしている。
観覧車はそんなにこんでなく、5分くらい待っただけで乗ることが出来た。
先に璃里衣とシアが乗り込んだのだが、乗り込む前に璃里衣がアレックになにやら耳打ちした。
何を言ったのかは聞こえなかったが、それを聞いたアレックはにやりと笑って、それを見た璃里衣も何かを企むような笑みを浮かべていた。
璃里衣とシアの二人組が乗り込んだその後、私達も観覧車に乗りこむ。
この遊園地自体とても古いのもあって、観覧車もまたとても古い。古いだけあって、いたるところが寂れていて、ジェットコースターとはまた違う意味でスリルを味わうことが出来るのだ。
この観覧車、とにかくぎしりぎしりと何処からともなく不穏な音を響かせている。いつか止まる、または、いつか落ちると思うと心もとない気分にさせられる観覧車なのだ。
基本、高い所は嫌いじゃない。街の風景を見るのは好きだ。
私は、自分が育った学校やよく遊んだ公園、自分の家を見つけては、ちょっとしたエピソードを添えて、アレックに聞かせていた。
アレックは始終笑顔で、風景よりも興奮しながらあれこれと説明している私の顔ばかり見ていた。
「あのさ、私の顔ばっかり見てても楽しくないでしょ。この景色を見なよ」
頬を膨らませ、そう言ったがアレックはにこりと微笑んだだけだった。
その笑顔に見つめられていることに耐えかねて、広がる景色へと視線を逸らす。
もうすぐ日が暮れる。
沈みゆく夕日が、青い空を赤く染めるそのさまは、ため息が出るほど美しかった。
「奇麗だね。夕日……」
「ああ、奇麗だ」
「これで、暫く日本の景色ともお別れなんだって思うとちょっと寂しいよね」
何故か感傷的な気分になってしまう。これも夕日がもたらしたものなのだろう。
「奇麗だな。ずっと見ていたいな」
「うん。そうだね」
左を見れば赤々と照らされた夕日、右を見れば忍び寄る紺色の闇。ちょうどこの観覧車がこのグラデーションの色彩が変わる場所に位置している。左が暖色、右が寒色。光と影を同時に見ているようで、不思議な気分だった。
「マリィ」
「うん」
不思議な気分で頭がぼんやりとしたまま、呼びかけるアレックを振り返ると、その瞬間唇は、温かい優しい柔らかいものに触れた。
チュッという音とともに、その温かいものが離れていく。
私の視界の中に、アレックの顔がはっきりと浮かび上がってくる。
ああ、今のはアレックの唇だったんだ。
ぼうっとした頭でそんなことを考えていた。
観覧車の中でキス。私が望んでいたことじゃないか。
そっか、願いがかなったんだ……。こういうのを、幸せっていうのかもしれないな……。
自然と口角が上がり、笑顔が零れた。
「アレック。もう一度……」
―――キスして。
言葉など必要ない。
こんな時そんな風に思うんだ。二人の唇が触れるたび、その触れた唇から、感情が流れ込んでくる。
アレックの私への想いが、私の心に沁みていく。
アレックにも私の想いが伝わっていればいいのだけれど……。
アレックをこんなにも愛している、そんな私の気持ちが……。