第65話
「マリィ。あれなんかどうだ?」
「ダメダメ、あれは一番最後」
「そういうもんなのか」
少しだけがっかりと肩を落とすが、それも束の間のこと、すぐにご機嫌に笑っている。
「アレックさん。お姉ちゃんのことは『メリィ』って呼ぶことに決めたじゃん」
璃里衣がアレックに詰め寄るようにそう言った。
「俺にとってマリィは、このマリィ一人だけだ。だから、間違えることもないだろう」
私の首に後ろから腕を回し、まるで璃里衣に見せ付けるように頭のてっぺんにキスをする。
恐らく不適な笑みを浮かべているに違いない。
「なっ、もうアレック。暑いから放して」
「その暑さは、気候によるものか? それとも……、俺を意識しているからか?」
勿論、その両方だ。
璃里衣だけじゃなく、周りの人々の視線も集めてしまっている。
「アレックさんってホントにお姉ちゃんが大好きなんだね」
「愚問だ。見て分かるだろ? マリィ以外の女はカボチャに見えるくらいだ」
どういうことなの、それは。
璃里衣も意味が分からないという風に首を傾げた。
「なんで?」
「何でか分からないか? お前以外眼中にないということだ。どんな美人が目の前で俺を口説こうと、全く心は動かない」
「え〜、じゃあ絶対浮気はしないってことだ?」
「なんでそんなことをしなければならないのか理解出来ないな。そんな暇があればマリィとこうしていた方がいい」
より一層きつく私を抱き締めた。
人目もはばからず、私もアレックに抱き付きたくて仕方なかった。だが、私にはそれを止める理性というものを持ち合わせていたので思い止まることが出来た。
璃里衣は、もう勝手にして、と言いたげに天を仰いでいた。
「あのさ、アレック。せっかく遊園地に来たんだから、乗り物乗ろうよ?」
首に巻き付いた腕を放しにかかるが、女の私では生憎振り払うことは出来なかった。
「あ~あ、せっかくアレックと色んな乗り物乗ろうと思って楽しみに来たのにな。これじゃ、楽しくないよ」
「さあ、マリィ。何に乗りたいんだ?」
巻き付いていた腕をあっさりと放すと、今度は手を取って、私の顔を覗き込んできた。
アレックは、意地悪なことをするが、私が拗ねたり怒ったりすると、すぐさまご機嫌伺いに転じる。
面白いからこんな風に私はわざとアレックに意地悪をするのだ。
「お姉ちゃんの方が実権握ってる感じなんだ……」
感心したように何どか頷きながら璃里衣が言う。恐らく璃里衣は声を出してしまっているという意識はないだろう。
アレックには、聞こえていなかったようなので、よしとしよう。
あの家族会議が終わった後、璃里衣の、みんなでどこかに行こう、という提案から遊園地に来ることになったのだが、お父さんとお母さん、リューキはお留守番だ。
流石に多数の人が集まる遊園地にリューキを連れて行ってしまったら、ちょっとした騒ぎになってしまう。そう考えると、リューキを連れてくることは出来ないと判断せざるをえなかった。
お父さんたちは年を取ると体力がなくなってくる、と留守番を志願した。
ということで、私、アレック、璃里衣、そしてマリィーシアで来ているのだ。
「あれっ。マリィーシアは?」
璃里衣の後ろに隠れながら、だが、私達の様子を楽しげに見ていた。
「お姉ちゃん、真里衣よ。真里衣っこれからは呼ぶんだったでしょ」
そうなんだけど、真里衣とは言いづらいっていうか、そもそも自分を呼んでいるような気がして気が引けるというか。
「ねぇ、マリィーシア。私はあなたのことを『シア』と呼ぶことにしたいんだけど、どうかな?」
マリィが駄目なら、いっそ後半部分でと思ったのだが……。
「はいっ。大丈夫です」
「良かった。じゃ、そういうことで。さて、どっから責めて行くとしますか。久しぶりの遊園地なんだから、完全制覇したいところだけど」
カリビアナ王国には日本のような娯楽施設というものが全くない。遊園地も水族館も博物館も美術館もゲームセンターもプールやスパも。
たまに、それを物足りなく思う時もあるが、カリビアナにはカリビアナの良さがあるから甲乙つけがたいと言ったところだ。
「お姉ちゃん。じゃあさ、こっちから責めて、最後観覧車でフィニッシュって感じで行ってみようよ」
「うん、そうだね。そうしよう」
半ば独壇場で行き先を決めてしまうと、私はアレックの手を、璃里衣はシアの手を取ると待ちきれなくて走り出した。
遊園地は日曜日ということもあって、大分混雑していた。
けれど、この遊園地は私達が生まれるずっと前から存在する遊園地でところどころにガタが来て、古めかしい雰囲気があるので、私達が子供の頃に来た時よりも賑やかさは劣っているようだ。
璃里衣の話によれば、来年の春にはこの遊園地は閉館して取り壊されてしまうという噂が流れているという。そのせいもあってか、閉館になる前に想い出のこの遊園地をもう一度訪れようとする人たちで、最近の入園者数は上がっているらしい。
子供の頃は、私も璃里衣も遊園地が大好きで、この遊園地にもしょっちゅう来ていた。一番近くにあるということと、入園料が他のアミューズメントパークよりも安いということもあって来やすかったということがある。
日曜日だというのに、家族連れと交じってそれなりの年齢層の人々が来ているのは、昔を懐かしみに来た人たちなんだろうと推察する。
だが、こういう場所で年配のおじさんが一人で歩いているのを見ると、ギョッとしてしまう。
いくら懐かしいっていったって、一人で来ることないのに。
「マリィ。ジェットコースターとはなんだ?」
年配のおじさんに半ば呆れた視線を投げている私に、アレックは覗き込んで尋ねた。
「そっか。アレックはジェットコースター初体験なんだね。そりゃそっか、車も電車も初めてだったんだから」
遊園地まで電車で2個目の駅にあるのだが、その電車の中でアレックは尋常じゃないほど、はしゃいでいた。それこそ、電車に初めて乗った子供のようなはしゃぎっぷりに、璃里衣の白い目さえ気付かないほどだった。
これはなんだ、あれはなんだ、と矢継ぎ早に質問をしているアレックを、乗客はどう思ったんだろうか。
電車もないようなド田舎から来た外国人とでも思っていたのかもしれない。そのくせ、日本語が堪能なので、電車に乗っていたおばさまたちはしきりに、あーでもないこーでもないと、話していた。その内容は、私の耳にまで届いては来なかったが、大体の予想はついた。
「ほら、あれ。あれがジェットコースターだよ」
「あれはなんだ。あの速度であそこを走るのか?」
ジェットコースターのレールを見上げ、丁度そこへコースターがてっぺんから落ちて行く様を見て、眉間にしわを寄せていた。
「アレック、怖いの? 怖ければ下で待っててもいいんだよ?」
挑発する為に言ったんじゃなく、純粋に親切心でそう言ったのだが、アレックには馬鹿にされたと思ったようだ。
「怖いわけがあるか。あんなの全然平気だ」
繋いだ手が先ほどよりもじっとりと湿って来ているのは気のせいだろうか。
だが、ここで止めた方がいいよ、と言っても意固地になるだけなのは目に見えているので、黙っておくことにした。
シアも若干怯えているように見えるが、挑戦することにしたようだ。
何も知らないアレックを騙すようにしてコースターの一番前へ連れて行く。
さて、アレックはこの後どうなったでしょうか……。