第63話
朝の容赦ない陽光と頭の中で私を呼んでいるリューキの声で目を覚ました。
目を開けて飛び込んできた光景に私は驚いた。
でもその後すぐに合点がいった。
同じベッドにマリィーシアと一緒に寝ていたのだ。
目の前に全く同じ顔があったのでびっくりしてしまったのだ。
昨夜、マリィーシアは私の腰に巻き付いたまま寝てしまったのだ。
なんとかマリィーシアをベッドに運んだのは良かったのだが、片手が私のTシャツを掴んだまま放そうとしない。
マリィーシアを起こさないようにと奮闘したのだが、途中で面倒になって隣に横になって寝てしまった。
リューキは隣の部屋で寝ていた。
目を覚まして私の姿が見えなかったので、心細くなったのだろう。
リューキには、私が隣の部屋にいることは分かっているのだろうが、ドアを開けられないので呼び掛けているのだ。
それにしたって眠い。
枕元の目覚まし時計を見て一瞬考える。カリビアナの時計に馴れ親しんでしまったせいで、そして、寝起きであることも手伝って、パッと現在の時刻が出て来ない。
ああ、まだ5時じゃん。
昨日、リューキは公園から帰ると、夕ご飯も食べずにぶっ通しで寝続けたのだ。
そりゃ、目も覚めるでしょうよ。
マリィーシアを起こさないように、細心の注意を払って、ベッドから抜け出した。
寝ている間に昨夜どう頑張っても取れなかった手が解けていたようだ。
部屋を出て、まだ寝ているであろう璃里衣を気にしつつドアを開けるとリューキが飛び込んできた。
「おはよう、リューキ」
『おはよう、マリィ。ボク喉が渇いた』
確かに私も喉がカラカラだ。
再び寝ることを諦めて、リューキを抱いて階下へ降りた。
リビングに入ると朝の涼しい風がひんやりとして、少し身震いした。
窓が開いているのだ。
昨夜、締め忘れたんだろうか。
そこまで寒くはないが、虫が入って来そうなので網戸を閉めたほうが良さそうだ。
窓に近づくと、庭に誰かがいるのを発見した。
「お母さん?」
「あら、早起きね。寝られなかったの?」
お母さんは庭にしゃがんで草むしりをしていた。麦わら帽子をかぶり、両手に軍手をはめ、左手にはかまが、右手にはむしった雑草が握られていた。
「うん、起こされた。なんでお母さんはこんな早い時間に草むしりなんかやってるの?」
まだ朝の5時なのである。そして、今日は日曜日。時間はたっぷりとあるはずなのだ。そんなに急いでやる必要はないように思われる。
「朝のほうが涼しいのよ。日が上ってくれば、陽射しが強くなって紫外線も気になるし。このくらいの時間にやるのが一番なの」
まあ、確かに日中は暑いから朝方にやってしまったほうが、身体的に楽なのだろう。
「でも、それにしちゃ早すぎない?」
「そうかもね。あなたはまだ寝ていて良いのよ」
庭で成長した雑草群はことのほか多い。
『マリィ。飲み物』
リューキに催促されて、冷蔵庫から牛乳を出して皿に入れてあげた。
「はい、どうぞ。こぼさないようにね。私はちょっと上に行ってくるけど、すぐに帰ってくるから」
一心不乱に牛乳を舐めている姿はまるで子猫のようだ。
私の声が聞こえているかもあやしいものだ。
そうは思ったが、すぐに戻って来るつもりなので大丈夫だろうと、リューキを台所に一人残した。
二階に上がると、素早く着替えて再び階下へと戻る。二度寝は諦めていた。完全に目が冴えてしまって今さら寝れる気がしない。
台所には、いまだ一心不乱に牛乳を舐めているリューキの姿があった。
「リューキ。私、庭にいるからね」
そう声をかけた。今回はきちんと聞いていたようで、だがお皿から離れるつもりもないのだろう、目だけをこちらに向けた。
了解。
その目は短くそう言っていた。
「お母さん、草むしり手伝うよ。軍手どこにある?」
別に驚かせようとこっそりと近寄ったわけではないのだが、お母さんのその驚きようにこちらのほうが驚かされた。
「びっくりしたわ。寝たんだとばかり思っていたから。一人でも大丈夫よ。あなたは休んでて」
「私がやりたいんだよ。草むしり。それに、もう目が冴えちゃって寝れないよ」
「そう? じゃあお願いしようかしら。今、軍手持ってくるわね」
お母さんが戻って来るまで、縁側に座って待っていた。
もう既に日は昇っている。だが、まだ人が動いている気配がしない。日曜日というだけあって、行動を開始する時間が普段よりのんびりだからだ。
スズメだけが元気良く仲間内で会話を楽しんでいた。
アレックもまだ寝ているのかな。
私が隣にいなくて、ちゃんと寝れただろうか。目覚めたとき、隣に私がいないことを騒ぎ立てたりしないだろうか。
「真里衣。はい、これ」
「あ、ありがとう」
軍手をはめると、草むしりに取り掛かる。
小学生の頃はよくお母さんのお手伝いで草むしりをしていた。
中学校に入ると忙しくて、手伝えなくなった。
その頃からお母さんが草むしりをする姿を見ていない。気付けば草むしりはなされているというじょうたいだった。
そんな前から早朝草むしりはお母さんの習慣だったのだろうか。
「お母さんと草むしり久しぶりだね」
「そうね。よく手伝って貰っていたわね」
うん、と頷いた。
涼しいと思っていたのに、いざ草むしりを始めると、すぐに汗が滲んできた。
お母さんが軍手と一緒に持って来てくれた手拭いで、汗を拭った。
「ねぇ、お母さん。お母さんはさ、12年前私とマリィーシアが入れ替わったとき、すぐに別人だって気付いた?」
「そうね。最初は半信半疑だったかな。突然現れたあなたは日本語ではない言語を話していた。私達のことも日本のことも分からなかった。それに、性格がまるで違ったからね。でもまさかそんなことがあるわけがないって思っていたけれど、あまりに違いすぎるからね。あなたが私達の真里衣でないなら、あなたは何処の子で、うちの子は何処に行ったんだってことになるでしょ?」
お母さんは、額にある小さな汗の粒を首に巻いたタオルで拭って、小さく息を吐いた。
「警察に届けたんだけどね、取り合ってもらえなくて、私達なりに探してみたんだけど、ダメでね。お父さんと決めたのよ。あなたのご両親が現われるまで家の子として育てようって。私達の子が戻って来たら、二人とも一緒に育てようってね」
お母さんは手を動かし、慣れた手つきで雑草を刈りながら、昔を懐かしむように言った。
「そうなんだ」
むしり終えた雑草が山を作り始めていた。
「……お母さん。それに、お父さんも。実の娘でもない私を育ててくれてありがとう」
「気付いてたのか」
お父さんが決まり悪そうにカーテンの影から姿を現した。
「バレバレだよ。……私ね、血が繋がってなくてもお父さんとお母さんは私のお父さんとお母さんだって思う。私には二人ずつお父さんとお母さんがいてラッキーだなって思う。昨日ね、マリィーシアと話したの。私達の希望を話してもいい?」
私とお母さんは作業を中断し、縁側に三人並んで腰掛けた。
私は、昨夜マリィーシアと話したことを伝えた。
私がどうしたいのか、どうなっていきたいのかを素直に二人にぶつけた。
二人は私の話を最後まで口を挟まず聞いてくれた。
途中で喉が渇いたが、そんなことなど気にしていられなかった。
自分の想いを寸分の狂いもなく伝えるのに、必死だったのだ。