第51話
「あっ、そうだ。すっかり忘れてたよ。はい、これ受け取ってくれる?」
頭の上に乗っていた花冠をアレックに差し出す。
祭りの最後には盛大に花火が上げられると聞いていたので、二人きりで花火を見ながら渡そうと考えていた。
が、現実はロマンチックのへったくれもなにもあったもんじゃない。
しかも二人きりですらない。
私達二人のやりとりを、というよりアレックを睨み付けているリューキがいる。
「ムードがないな」
「うん。ほんとにね」
花冠は祭りの前、ダンスの練習の一貫として手作りしたものだった。
「マリィ、この花冠の意味を知っているのか?」
「うん。知ってるよ」
私がアレックに贈った花冠には、ピンクと赤と紫の花で飾られていた。
ピンクは『あなたに恋してします』。
赤は『あなたを愛しています』。
そして紫は『あなたを尊敬しています』。
ちょっと欲張り過ぎたかと思ったが、一つの色だけでは私のアレックへの想いは伝わらないと思った。
「私の素直な気持ちだよ」
「ありがとう、マリィ。生きてきた人生の中で一番の贈り物だ。……いや、一番はマリィだな」
背筋がムズムズと痒くなってしまいそうなセリフを、何の躊躇もなく言ってのけるアレックが、本当は恥ずかしくて耳を真っ赤にしていることを私は見抜いている。
本当は照れ屋で歯の浮くようなセリフを大の苦手としていることも。
それでも、ことあるごとにきちんと言葉で感情を現してくれることで、私を安心させてくれる。
「耳真っ赤だよ。アレック」
ギクッとした顔をして、慌てて耳を隠す。
私がついからかってしまったせいで、アレックの顔も真っ赤になってしまった。
「アレック。愛してる」
アレックの目が今までにないほどに大きく見開かれた。
「あのね。この先、私は日本に帰るかもしれない。日本に帰って、アレックじゃない人を好きになって結婚して子供を産むかもしれない。だけど、今言った言葉はアレックにだけ。その言葉を他の誰かに贈ることは絶対にしない。一生に一度たった一人、アレックの為だけに。アレック、愛してる」
私みたいなまだまだ未熟で人生の三分の一すら生きていない若者が、こんなことを言っても説得力の欠片もないのかもしれない。
それでも、この先、好きな人が出来たとしてもアレック以上に想える人は決して現れない。
戯れ言だと、笑うわれるかもしれない。
笑いたければ笑えばいい、私は誰に笑われても構わない。
堂々と胸を張って言えるから。これが私の本気だと。
「お前はこの国にいるべきだ。……いて欲しい。俺以外との未来なんて見るな」
アレックは本気だ。
私が日本に帰りたいのなら止めないと、常に私の想いを第一に考えてくれていたアレックの、それが本心なんだと気付かされた。
……違う。
私はアレックが自分の本心を懸命に隠していることを知っていたはずだ。それを見てみぬふりをしてきたのだ。
その想いに応えられないだろう私は、逃げていたのだ。
「アレック……」
私に何が言える?
日本の全てを捨てて、アレックについていくだけの覚悟があるのか?
ここであなたと人生を供にすると言葉にするのはいとも容易い。
だが、私が結局日本に戻る決心をしたなら、アレックを裏切ることになる。
アレックを深く傷付けることになる。
「ごめん、アレック。アレックが好きで好きで仕方がないけれど、約束は出来ない」
目の前に生涯愛しぬける人がいるのに、アレックだけを見て生きては行けない自分が疎ましい。
きっと私はどっちを選んでも後悔してしまうんだ。
「マリィ。すまない。自分をそんなに責めるな」
傷付いた顔をしているのに何処までも私に優しいアレックの胸に顔を埋めた。
「マリィ。俺には一つだけ気になっていることがあったんだ。俺の仮説に過ぎなかったから今まで何も言わなかったが、その仮説は恐らく間違いないだろう。それはお前にもマリィーシアにも関係のあることだ。真実はマリィーシアの両親が知っている。その真実が今後のマリィの生き方を変えるかもしれない」
マリィーシアの両親が知っている何か。何かとは一体……。
マリィーシアが言っていた言葉、『全てを知ってしまった』、にも関係があることなんだろうか。
私の人生を変えるかもしれない事実、聞きたいと思う気持ちと怖いと思う気持ちが複雑に混在していた。
ここであれやこれやと考えてみても、答えなど出るわけはないのだが。
「だから、マリィーシアのご両親はこの国に来たの?」
「俺が呼んだんだ。義母上は祭りが好きだったから、観光もかねてな」
「ちょっと怖いな。私は何を聞かされるんだろう」
「大丈夫だ。俺がいる」
「うん」
アレックの存在は私のスタミナ源だ。
隣にいるだけで元気になれる、アレックの言葉が胸を熱くし、パワーをくれる。
「そういえば、リューキ、私達がこんなにベタベタしてるのに間に入ってこないね」
アレックは寝室のベッドを指差し、その後人差し指を唇の前で立てた。
リューキはベッドですやすやと気持ち良さそうに寝ていた。
「ああっ、やっぱり祭りって最高よね。私、毎日祭りでも構わないわ」
マリィーシアのお母さんは、祭りから帰って来て大分経つというのに、祭り熱から中々冷めやらないようだった。
「私もそう思いますっ。祭りの一種独特な雰囲気が堪らなく良いですよねっ」
私とマリィーシアのお母さんは、絶対に気が合うと思うんだ。
私のワクワクポイントとお母さんのワクワクポイントはとても酷似しているように思えた。
「うふふっ。ねぇ、マリィ。一緒にお風呂に入らない? 私、すっごく汗かいちゃったの。久々に親子水入らずで入りたいわ」
この場合、一緒に入っていいものなのかしらねぇ。
助けを求めてアレックに視線を送れば、入っておいでというように、頷く。
「そうですわね、おっ母様」
お母様なんて呼んだことないので、噛んでしまったけれど、誰も気付いていないようなのでホッとした。
この国でのお風呂は大抵、侍女がお世話をするものらしいけど、私はお風呂は絶対一人で入るからと、三人を浴室に入れたことはなかった。
流石に今日は、お母さんがいるのでそうもいかないかと思ったのだが。
「親子水入らずで入りたいの。あなた達は休んでくれていいのよ」
侍女達にそう言ってくれたお陰で、お世話されずにすんだわけだ。
「やっぱりお風呂は最高。そう思わない、マリィ」
「思いますっ。一日の疲れを癒すこのまったりとした空間。何とも言えないですよねっ。出来れば温泉の素なんかを入れたらもっと寛げるんだけど……」
言ってしまってから、自分の失言に気付き慌てて口を塞いだ。
「大丈夫よ。私達は分かっているから。あなたが私と12年間共に暮らしてきたマリィーシアではないことは承知してるのよ」
アレックから聞いていたんだろうか。
アレックもマリィーシアもマリィーシアのご両親も、きっと日本の家族もおばあさんも全て知っていて、私だけが知らない事実があるんだ。
「教えて下さい。私は何を聞かされようとしているんですか?」
正面に立ち、湯船につかっているお母さんを見下ろした。
「マリィ。あなた……丸見えよ」
思っていた答えではなく、しかも、自分が裸ではあったことに驚いて勢い良く湯船の中に隠れた。
「お風呂の時間は、もっと楽しまなければ。難しい話は今日はもう遅いから明日にしましょう」
お母さんは微笑んだ。その微笑みはそれ以上質問は受け付けないと言っているようなものだった。