第50話
人混みの中を、肩がぶつかるのも構わずに私は走っていた。
呼んでる。
私を呼んでる。
せっかく祭りで楽しんでる時にわざわざ、なんて思ってしまうのは祭り好きには仕方のないことだと見逃してほしい。
それにしても、この坂はきつい。
王城へと向かう最後の難所と呼べるこの坂は、徐々に町を見渡せるようになるため、私の大好きな場所でもあるのだが、今はこの緩やかな坂が憎くてしょうがない。
「マリィっ」
その声と、遠くから一気に駆け上がってくる足音でアレックだと分かる。
声を掛けたくても息が切れてそれどころじゃない。
「二人は……」
……どうしたの?
と聞きたかったのだが、その言葉だけで精一杯だ。
「二人はキールに任せてきた。今日はこの城に泊まることになっているからまた後で会うことになるだろう。それより、いよいよなんだな?」
私が頷くと、問答無用で抱き抱えられてしまった。
ああ、デジャヴをみているようだ。
常々思うが、どこにこんな体力を隠し持っているんだろう。
「毎度重くて、すみません」
「マリィならどんなに重くても苦にならない」
間違っても否定はしてくれないようだ。
私ってそんなに重いのかな。
「重くないぞ」
「え?」
ぼそりと呟いたアレックの言葉は、もしかしたら聞き間違えだったかもしれないが、それならそれでいい。
「ふふっ、ありがと」
門をくぐって、城内へと入っていくわけだが、城内で働く人々が(今日は祭りなので少数の近衛兵しか見かけないが)擦れ違うたび振り返って見るのでかなり恥ずかしい。
「あのさ、恥ずかしいからそろそろ降ろさない?」
「面倒だ。このまま行くぞ」
仕方がないので、人が来る気配がしたらアレックの肩に顔を埋めて隠すことにする。
アレックが私を降ろしてくれたのは、部屋の中に入ってからだった。
降ろされた私は、急いで寝室に入る。
器の中のそれを見る。
器に厚めの布を入れただけの卵用簡易ベッド。その上に佇む卵はひびが入り、いつ割れてもおかしくない状態にある。
なんとか間に合ったことに安堵する。
人差し指で傷付けないように、突いてみれば、竜の赤ちゃんが動いたのか卵が揺れた。
私の背後でアレックがそんな様子を眺めている。
「怖くないよ、出ておいで」
私の言葉に応えるように、卵の殻に大きな亀裂が出来、ぱかりと真っ二つに割れた。
あの竜がそのまま小さくなった感じの真ん丸と大きな目をした赤ちゃんが私を一心不乱に見ている。
「やっと出て来たね。待ってたよ」
小首を傾げてこちらを見上げる姿は、子犬や子猫を彷彿とさせる。
なんて愛らしい生き物なんだ。
赤ちゃんはおよそ両手に乗るくらいのサイズ。
こんなに小さな赤ちゃんが、あの竜ほどに大きくなるとは俄かには信じられない。
『マリィ。僕のパートナー』
「そうだよ。君は男の子なのね?」
頷いたわけではないが、何故かその瞳の中を覗き込めばどう感じているのかが分かる。
翼を広げぱさりぱさりとはばたくと、不安定ながらも体が持ち上がり、私の目の前まで飛んで来る。
両手を広げると、待っていたと言わんばかりにそこへ飛び乗る。
「名前を決めなきゃならないね。どんなのがいいのかな?」
「マリィが良い名をつけてやるといい」
赤ちゃんは手の上にちょこんと座り、その大きな瞳で私を見ている。
自分の名前を待っているように見える。
「リューキっていうのはどうかな?」
漢字ならばこの字をあてたいと思う。『竜輝』
あの竜を見た夜、月光に輝く竜の姿はとても美しかった。
母親のように美しい竜になるようにとつけた名前だ。
「良いんじゃないか」
私の解説を聞いてアレックは頷いた。
『リューキ。リューキ。僕の名前はリューキ』
こちらは自分の名前が気に入った様子だ。
「気に入ったみたいだな」
リューキのお母さん竜は死ぬ間際にアレックにリューキの声が聞こえる能力を授けると言い残していた。
事実、リューキの声がアレックには聞こえるようだ。
「アレックも手に乗せてみる?」
「ああ」
アレックの掌の上にリューキを乗せてみると、ほんの少し嫌そうな顔をしたような気がした。
「可愛いな」
アレックの口元が綻んでいく。
普段、アレックが動物とたわむれる姿を見たことはないが、案外動物が好きなタイプなのかもしれない。
リューキの方は、可愛いと言われたことが気にくわなかったのか、口を開いたかと思えばアレックめがけて火を噴いた。
「きゃあっ、アレック」
してやったりといった表情のリューキ。何が起こったのか分からないといった表情のアレック。
私はその光景を見て、あの日記の研究者もまたアレックのように竜に火を噴かれたことを思い出して、吹き出してしまった。
「アレック。日記の研究者と全く同じだね」
そう言って、腹を抱えて大笑いする私をアレックはなんとも言い難い微妙な表情で見ていた。
アレックの前髪は、毛先の方だけちりちりと燃えて煙を出していた。
「リューキ。アレックに火を噴いちゃ駄目だよ。アレックは私の大事な人なんだからね」
『マリィの大事な人は僕だよ。マリィは僕が好きでしょ?』
アレックの手のひらから飛び上がると、私の腕の中に飛び込んできた。
「リューキのことも大事だよ。何てったって私のパートナーなんだから。リューキのことは大好き。でもね、アレックのこともその……大好きなの」
何せアレックが隣りにいるものだから、自分の気持ちを言うのにも少々戸惑いがあるわけでして、だけど、きちんとアレックが私の大事な人であるってことは分かっていて欲しいことなのだ。
「俺も大好きだぞ、マリィ」
そんな満面の笑顔で言われると、心臓を鷲掴みにされてしまうので止めて欲しいのだけれど。
アレックは、照れて戸惑う私を満足そうに眺めている。
『駄目っ。マリィは僕のなんだからっ。取っちゃ駄目だ』
アレックがキスを交わそうと顔を近づけているそんなさなか、リューキはそれを阻止すべく二人の間に割って入って来た。
「こらリューキ。俺とマリィは愛という絆で結ばれているんだ。邪魔をするな」
『僕、アレック嫌い』
「嫌いとはなんだ。これから俺とお前は協力してマリィを守って行かなきゃならないんだぞ」
『マリィは僕一人で守れるから、アレックはいらない』
「そんな小さな体でお前に何が出来る。マリィを背中に乗せることすら出来ないじゃないか」
『竜の成長を馬鹿にするな。1ヶ月もしないで立派な竜になるんだぞ』
なんだろうか、この光景は。
チビな竜と体の大きな人間の男の喧嘩なんて見たことない。
「あのさ、いい加減止めようか。リューキ、アレックは私の大事な人なんだから仲良くしてね。二人で私を守って欲しいな。駄目?」
『マリィがそう言うなら……』
リューキは私がお願いすると、渋々ながら応じてくれた。
「アレックはちょっと大人げないかな。リューキはまだ小さいんだから、お母さんを取られるって思うのと同じ気持を抱いてるんだと思うの」
「マリィがキスしてくれたら俺も大人になるぞ」
私よりも年上の筈なのに、まるで子供のように私をリューキと取り合っている。
そんな姿もちょっと面白くって好きなのだけど、それを教えてしまうとつけあがりそうなので秘密にしておこう。
「でも、リューキが見てるから……」
「こうすれば大丈夫だ」
アレックの大きな手がリューキの目を覆ってしまった。
「仕方ないな」
そう言いながらも、そんなアレックが愛しくてたまらないのだ。
背伸びをしてそっと小さなキスをした。