第4話
「ねぇ、王子は何処にいるのかな?」
「自室で仕事中かと思いますが」
「その部屋何処にあるか解る?」
「すぐ上の階の一番奥のお部屋と聞いていますが、それが何か?」
「そっか、ありがと」
それだけ言うと、私は歩を早めた。歩くことがじれったく感じて、しまいには走りだしていた。
自分の身の振り方をどうにか決めないと気持ち悪くて仕方ない。そう、思い始めたら、今すぐどうにかしたくていても立ってもいられなかった。
マリィーシアがどうなってしまったのかが、知りたい。
祐一……。
私はマリィーシアが祐一に会ったかもしれない(最悪キスしたかもしれない)事実にやきもきしていた。
何故こんなことになってしまったんだろう。
何故私は祐一の隣りにいないんだろう。何故私はここにいるんだろう。何故、これは夢じゃないんだろう。
私はもう既に、これが夢ではないと認識していた。こんなリアル過ぎる夢はない。シルビアの手を握れば、そこには人間の体温を感じ、風に吹かれれば頬を少し暖かい風が撫でる。小川に落ちれば水は冷たく、濡れた服はずっしりと重い。それが、ただの夢などでは決してないことを認めなければならなかった。
目的の部屋の前まで来ると、ノックをすることも忘れてドアを勢い良く開いた。
「王子っ。お願いっ。マリィーシアを探して」
突然にドアを開けたというのに、王子は社長が座っているようなデスクに座り書類に目を通している最中だった。全く動じることもなく視線だけをこちらに向けた。
「マリィーシア様。殿下はお仕事中でございます」
王子のデスクの上には、書類の束が高々と積んであり、たった今目を通していた書類に押印すると、それを束の一番上に積み上げた。
「あっ、ごめんなさい」
「ジョゼフ。別にいい。今ので最後だった」
「しかし……」
「構わない。喉が渇いた。何か飲み物を……」
はっ、と短い返答を返すとジョゼフは部屋を後にした。
「今日は王妃を散々連れ回したそうだな?」
「いっ?」
どうやら王子の耳にも既に届いているようだ。
「王妃の泥のついた顔も見てみたかったな」
王子は立ち上がると、私の前まで歩み寄った。私が見上げると、王子は手の甲で私の頬をなぞった。
「偽マリィーシアは、とんだじゃじゃ馬だな」
王子の手の甲につく泥を見て、自分が泥つきのままここに来てしまったことに気付かされた。
「ありがとう。ごめんなさい」
王子を見上げて、そう感謝と謝罪の意を唱えれば、王子はほっこりと笑った。
怖い人だと思っていただけに、その笑顔があまりに屈託ないものだったので、どう返せばいいか解らず、ぽかりと口を開いて見ていた。
って、あれ?
「偽マリィーシア?」
「お前はマリィーシアではない。そうだろう、違うか?」
「どうして?」
「どうして解ったか……か? お前とマリィーシアでは性格が違い過ぎる。マリィーシアは無口な女だったからな。それに、お前が現れた時の衣服は奇妙なものだった。あんなものをマリィーシアは着ないだろう」
ツッコミたくなるような箇所が幾つかあったものの、それらは一先ず置いておくことにする。
「私の制服……?」
昨日は確かに制服を着ていた。今朝の段階、つまり侍女に着せ替え人形にされる前の段階では、制服は着ていなかったように思う。
私はどうやってあの部屋に移動したんだろう? 自分で歩いて部屋に入った記憶はない。
腕を組んでしきりに首を傾げている私の考えていることがあらかた解ったのか、王子はこう言った。
「俺がお前を寝台まで運んだ」
「え゛?」
自分の体を両手で抱え込んだ。
この人、私に変なことしてないでしょうね?
「早まるな。着替えは侍女に任せた。俺はお前を運んだだけだ。何もしてない」
えーっと、こんな時は取り敢えず、
「えっと、あの……ありがとう」
お礼は言っておかないとね。
「んん? 何がだ?」
「えっ、ほらっ、運んでくれて。覚えてはいないんだけどさ、取り敢えず。重かっただろうし」
「お前は変わった娘だな。まあ、それはいい。話を戻すぞ。マリィーシアのことは既に探させている」
「あの……さ、私ってどうなるのかな? 牢屋に入れられたりする?」
「マリィーシアが姿を消してしまった今、お前にはここに居てもらいたい。周りに悟られるのは具合が悪いのだ。幸いマリィーシアはこちらに着いたばかりで彼女の性格を知るものはごく限られている」
マリィーシアの身代わりってこと。
「私はマリィーシアにはなれない。私は彼女とは正反対なんでしょ? ……だけど、私はここに居たほうがいいんだと思うんだ。私、どうしてこんなことになったのか、こんなことが有り得るのか解らないけど、一つの可能性として、私とマリィーシアは入れ替わってしまったんじゃないかって思うんだ。もし、仮にそうだとしたら、いつまた入れ替わるか解らない。だから、ここにいる。ここにいてもいい?」
一つの可能性として、と王子には言ったけれど、私の胸の中ではそれは核心へと変わっていた。根拠なんてない。ただの私の直感でしかない。
「当たり前だ。俺が先に頼んだんだぞ」
「いいの? ……もしかしたら私がマリィーシアをここから追い出してしまった犯人かも知れないんだよ?」
「マリィーシアがお前をここに引き摺り込んだのかもしれないだろ?」
「それはそうかもしれないけど……」
「ならば良い。お前はここにいれば良い」
今はそれしか改善策がないように思えた。見知らぬ国、見知らぬ町、見知らぬ民。その中で一人、暮らしていくことは私には難しい。ならば、ここにいてこれからのことを考えた方が得策だ。
「よろしくお願いしますっ」
牢屋に入れなかったのは、ちょっぴり残念(?)だったけれど、そのうちなんかの機会に入れるかもしれないし……。
「海野真理衣。17歳。高校生です」
「俺はアレクセイ。アレクセイ・カリビアナ。19歳。この国の5番目の王子だ。お前のことはマリィと呼ぶことにする。幸い、マリィーシアと名前が似ているから愛称で呼んでいると思うだろう。俺のことは……」
「……アレックっ。王子のことはアレックって呼ぶっ。駄目?」
小首を傾げて、上目遣いで王子を見上げてみた。
「構わない」
アレックは、無愛想にそっぽを向いて吐き捨てるようにそう言った。
「ねぇ、アレック。私、やってみたいことがいっぱいあるの。折角こんな素敵な所に来たんだから、普段では出来ないことや体験できないこと、いっぱいやっておきたいの。いつ戻っても悔いが残らないように。私、自由に動いてもいいのかな? 部屋にずっといなきゃ駄目?」
部屋にずっと軟禁状態になってしまったら、私にとってはどんな痛い拷問より辛いことはない。折角王城何ていう滅多に入る事の出来ない所に今いるんだから、楽しまなきゃ損だよ。
祐一のことも、家族のことも心配だし、きっと私のこと探しているのかもしれないって思ったら、息が止まりそうなくらい苦しいけど、私はほんの少しの時間だって無駄にはしたくない。
父が教えてくれたんだ。どんな時だって人生を楽しまなきゃいけないよって。ずっとずっと小さい時からそう教え込まれて来た。どんな時でも笑顔になれるように、私は生きて来た。今更、泣いて暮らす事なんてできっこないのだ。
「お前の好きにするがいい」
その言葉に極上の笑顔を返した。