第48話
緊張というものは、いざそれを始めてしまえば自然と解れてしまうものなんだと思う。
ダンスパレードをここぞとばかりに満喫する私の視線の中に、緊張していたとは思えないハンナの溌剌とした笑顔があった。
パレード事態は恐らく15分くらいで終わるだろう。
体力に自信がある若者には大したこともない時間だが、年配のレディ達はいささか苦しそうだ。
時々考えごとをしながらも、笑顔を絶やさずに踊っていたのだが、急に感じた殺気とも言える視線に感じたくもないいやなものを感じる。
その恐ろしい視線のもとを探るともなく探れば、鬼の形相で睨み付けてくるアレックと視線が絡んだ。
こめかみの辺りから、たらりといやな汗が一筋零れ落ちた。
心の中で謝罪の言葉を繰り返しながら、パレードの後どうやってアレックの機嫌を取るべきか、ない頭を懸命に働かせていた。
アレックの隣では、キールがにやにやと意地の悪い笑顔を送ってきていた。明らかにこの状態を面白がっているのが分かる。
アレックの視線から逃れてからは、再びダンスに楽しむことに専念した。
「それで、なんでこんなに短いんだろうな?」
むすっとした表情のアレックとまさに今対峙していた。
「うん、なんかちょっと短すぎたみたいだね。……でもほら、可愛いでしょう?」
スカートのレースを両手で、ひらりと広げてみせた。
あからさまに機嫌を悪くしたのか、ふいと視線を反らしてしまった。
「ごめん。でも、アレック喜んでくれると思って」
そう思って作ってくれたのはティアラさんであるのだが……。
余計なことを口にして、ティアラさんの印象を悪くはしたくない。
「アレック、怒ってるよね」
「俺だけなら、喜べるんだ。だが、祭りにはお前の足をイヤらしい目で見ようとする野蛮な男が山ほどいるんだ。お前をそんな目に曝されるのが……」
ダンスをしている際に、私の足に触ろうと手を伸ばす輩がいた。ダンスの振り付けのふりしてするりとかわすことは難しいことではなかったが、そういう輩は一人だけに止まらなかった。
まさか、アレックはその現場を目撃していたのだろうか。
「アレックもしかして見て……?」
「何をだ?」
口の中でごもりながら、何でもない、と言った。
この反応は見てなかったと判断して……、
「あいつら全員懲らしめていいか?」
……は、駄目だった。
「触られてなかったでしょ?」
「触ろうとした時点で罪だ」
「それでも、駄目だからね」
納得など出来るわけがないと、腕組みをして大きな嘆息をもらす。
「分かった。アレックも足を触りたかったんでしょ? じゃあ、今日は特別ね」
石造りの花壇の淵に足を乗せて、ちょっとだけよ、のポーズで生足をアレックに披露した。
突飛な私の行動に、動揺するアレックは可愛すぎる。
「他の人に触られるのは御免だけど、アレックならいいよ」
回りに人がいないのは確認済み。
「キールが見てるだろ」
「キールが見てるのにキスしたのは何処のどなた?」
「それとこれとは話が違うだろ」
ぶうぶうと文句を言う割りには、ちらちらと私の足に視線を向ける正直者のアレック。心なしか頬が上気しているところが何だかいじらしい。
「じゃあ、触りたくないわけね?」
「そんなことはっ、言ってない」
慌てて叫ぶように言った後、そんな自分を恥じるように急に声に力がなくなる。
我慢できずにクスッと笑ってしまった。
「そういうことは部屋でするものだ」
どうやら私の小さな笑いはアレックの耳まで届いていなかったようだ。
聞こえていたら、今頃むくれて喋らなくなっていただろう。
「部屋でそんなことしたらアレックの理性が効かなくなるじゃない」
「お前は分かっているのか? ここでだって俺の理性が保てるか分からないんだぞ」
もう既にアレックは理性と戦っているということなんだろうか?
「アレックって相当欲求不満なの?」
「否定は出来ないな。だが、勘違いはするなよ。女なら誰でも良いわけじゃない。お前だからだ。男なら好きな女に触りたいと思うのは当然だろ」
アレックの癖は、恥ずかしいことがあると、顔を背け斜め上空に視線を流す。その際に露になる耳はいつも真っ赤だ。
そして今もそう。
私は花壇から足を下ろすと、アレックに体を寄せた。爪先立ちで、アレックの耳に唇を優しく押し付けた。
「なんだ?」
耳を押さえて振り返るアレックに私は微笑みかけた。
「なんとなく」
恥ずかしがるアレックの耳があまりに可愛らしくて、ついキスをしてしまっただなんて、口が裂けても言えない。
「変な奴。……そろそろ祭りの方に戻るか」
「うん。あっ、アレック。足は触らなくて良かったの?」
「蒸し返すな」
叱られて一睨み。
先に歩いて行ってしまったアレックの後を追った。
一歩後ろをあるいていると、無言で差し出される手。
まるでバトンタッチみたい。
差し出された手に手を重ね合わせると、くいっと引き寄せられ隣に並ぶ。
そっと引き寄せてくれたことが嬉しくて、アレックの手をじっと見つめていた私が顔を上げると、私を包み込むような温かい眼差しがそこにはあった。
「もう怒ってないの?」
「ん? 何にだ」
「スカートが短いこととか、私が足を触ってもいいって言ったこととか」
「男ってのは案外独占欲が強いもんなんだ。俺はお前を誰の目にも止まらないところに閉じ込めてしまいたいって本気で思うよ」
何処か寂しげに笑うアレックにかけられる言葉はない。
私が何を言おうとアレックの慰めにも何もならない。そう思えた。
「さあ、お前の好きな祭りだろ。そんな顔するな」
普段通りのいつもの笑顔に既に戻っていた。
「うん」
色々と思うところはあるけれど、せっかくの祭りを楽しまないなんてばちがあたっちゃうものね。
祭りというものの雰囲気というものは、国が変わってもあまり変わりがないように思える。
出店で出品する食べ物はその国の特産物がメインになり、イベントや習慣はそれぞれ違う。
けれど、人々の表情は共通して明るい。
そもそも祭りの嫌いな人間なんているんだろうか。
私の頭の中ではその答えは否なのだが、現実には人混みが苦手な人がいるかもしれないし、過去に祭りで酷い目にあった人もいるかもしれない。
だが、そういう人がわざわざ外に出てくることはない。
なので、祭りに来ている人は、純粋に楽しんでいる人だけなんだろう。
「アレック、お腹すいたね?」
「ああ、そうだな。キール。出て来い、腹ごしらえだ」
ザッと空気が乱れたと思っていたら、私達の傍にキールが既に立っていた。
驚く私とは裏腹に、アレックは平然とそれを見ている。
「私も腹が空きました」
お腹をくるりと撫でて芝居がかった口調で言った。
三人一緒に歩きだし、混雑の中へと紛れ込んでいく。それはほんの一瞬アレックの手を放した時に起こった。
それは波のようなもの。どどどと押し寄せる人の波。私はその波に攫われ、アレックから離れてしまった。その波は意図的なものではなく、突発的で自然的なもの。
私がただ巻き込まれてしまっただけのこと。
波の流れが漸く止まり、辺りを見回しても二人の姿はどこにもない。どうしたものかと途方に暮れていると、後ろから肩を掴まれた。ぎくりと肩に力を入れる。
女が一人。連れもおらずに立っていたら、悪い連中に絡まれても文句は言えない。
どんな人間がいるか分からないほどの人手なのだ。
勇気を出して振り返るとそこには……。