第45話
ある晴れた昼下がり、アレックと昼食を済ました私は食後の紅茶を飲んでいるところだった。
アレックは早々にジョゼフに攫われてしまった。
マーシャとシェリーは、女官長に呼ばれて部屋を出ていってしまった。
最終的にこの部屋に残ったのは、私とハンナだけだった。
「ハンナ、この間の話の続き聞かせてくれる?」
ダンスの練習に出席したあの夜は結局帰りが思ったより遅くなり、ハンナと話をする暇もなくアレックに攫われた。
何だかんだとハンナと二人きりになる機会がなく、気付けばあの夜から数日が過ぎていた。
「あっ、はい」
「じゃあ、座って」
私が座るように促した椅子はいつもアレックが座る指定席。
「とんでもない。殿下の椅子に私など座れませんわ」
私には解らない感覚だけど、ハンナには譲れないことの様で、困った表情で答える。
「んじゃ、バルコニーだったら大丈夫? ちょっと熱いかも知れないけどね」
私の提案に頷くと、私の飲み物を運ぼうとする。
「いいよ、ハンナ。自分のは自分で持って行くから」
再び困った表情を浮かべるハンナ。
ハンナにしてみれば私の行動は戸惑いを感じるものらしいが、私としては人に何もかも遣ってもらうのは心苦しい。それに、そんな状況に慣れ切ってしまうのは、惰人間になってしまいそうでイヤなのだ。そういう状況を当たり前だとは思いたくない。
「卵孵んないねぇ」
あの竜が託していった卵は未だ孵る気配を示さない。でも、何となくそろそろなんじゃないかなっていう予感を感じたりしている。私の山勘でしかないのだが。
「そうですね……」
横に座るハンナは気もそぞろにそう返した。
「それで、誰に白い花冠をあげるつもりなの?」
あんまりに固くなっているハンナに首を傾げた。
この間は、あんなに嬉しそうにしていたのに、今は何故か苦しそうに顔を歪めていた。
今朝は問題がなかった筈だ。最近のハンナは祭りに向けて普段以上にはしゃいでいた。
いつからこんな気落ちした顔になったんだろう。昼食前は問題はなかった。昼食を食べた後にはもう既にこんな表情だったようだ。であるならば、給仕中に何かがあったと見ていいだろう。昼食中はアレックとの話に夢中でハンナの異変に気付いてあげられなかった。
「何かあった?」
「ふぅっ……マリィ様ぁぁぁっ」
突然、私の胸に抱きつくと、激しく泣き始めた。
何があったのかは解らないが、今は暫くそっとしといてあげよう。好きなだけ泣いたほうがいいだろう。取り立てて急ぎの仕事があるわけでも、女官長に呼ばれた二人がすぐに(いつも中々帰ってこないのだ)戻ってくるとも思えない。
私はハンナの頭をゆっくりと撫で続けた。
ひっくひっくと震えていた体が、暫くすると穏やかなものへと変わっていく。
そろそろと体を起こすと、俯いたまま口を開いた。
「すみません。お見苦しいところをお見せして」
「構わないよ。悲しい時は、泣くのが一番だよ」
それ以上何かを言うつもりも、問うつもりもなかった。無理強いはしない。話したくなったら、話せばいい。
どれくらいの沈黙があっただろうか。ハンナからは何度も口を開いては閉じて、閉じては開いてと言うべきか言わざるべきかを悩んでいるのが見て取れる。
「私っ。私の……好きな人は、この城にいます」
そうだろう。給仕中に何かがあったと考えるなら、この城内に意中の相手がいる可能性が高い。
「うん」
先を促すように短い相槌を打つ。
「近衛兵に所属しています。もともと彼と私、それとマリィーシア様は幼なじみで、マリィーシア様が輿入れなさる時に私達も共にこの国に来たんです」
「昼食の給仕中に彼と何かがあったのね。あなたは仕事中だったんだから、二人の間で直接何かあったとは考えにくい。もしかしたら、ハンナが衝撃を受ける何かを見たのではない?」
ハンナは真面目な子だから、いくら近くに自分の想い人がいたとしても、仕事中に話しかけることはないだろうと思う。
「……はい。彼はとても無口な人で普段笑顔を見せたりしない人なんです。笑顔を見せるのは心を許した数少ない人にだけ。そんな彼が女の子に優しく微笑みかけているのを見掛けてしまって。私、失恋してしまったんです」
それだけで失恋と決め付けてしまうのはいかがなものか。
「じゃあ、花冠を渡すのは諦めてしまう?」
「それは……」
勿体ないと思う。何の事実も明らかにしていないのに、全てを諦めてしまうのは。
「彼が女の子に微笑みかけるのは私だけだって、心のどこかでそんな傲慢というか自惚れのような考えをしていたみたいで、そんな姿を見た時、とても胸が苦しくて。私達はお互いの気持ちを伝え合ったわけでもないのに……馬鹿ですね」
「う~ん。解るよ。私も恋する乙女ですから。誰かを好きになるとさ、周りから見れば何でこんなことでって思うようなことでも落ち込んだり、悩んだりしてしまうよね」
本当に些細なことがとても大きなことのように感じてしまうのだ。それは、恋愛だけに限ったことじゃないかもしれない。人間関係だってそうだ。
「はい」
「ハンナはさ、どうして白い花冠にしようとしたの?」
「私焦っていたんだと思います。彼は、とても素敵な人だから他の誰かに取られてしまうのが怖いんです。だから、今日のことだってこんなに動揺してしまった」
ハンナは普段はとっても勝気な感じのする女の子だが、こうして好きな人の話をしている彼女は、頼りなげで守ってあげたくなってしまいそうなほど可愛い。
「じゃあさ、まずは自分の気持ちを祭りで伝えたらいいと思うよ。きちんと伝えてから結婚でしょ? 私、ハンナはとっても可愛いと思うよ。だから、大丈夫。ねっ」
やっとハンナは私に笑みを見せてくれた。だがその笑顔は普段のものとは比べられないくらい歪んだものだった。
祭りでハンナの気持ちが届くといいんだけど。
ハンナが漸く落ち着きを取り戻した頃、マーシャとシェリーが戻って来た。二人は明らかに泣きましたと宣言しているハンナの腫れた目を見て、心配してあれこれ聞いていた。
三人のそんな様子を見て、あの二人に任せておけば大丈夫だろうと思った私は一人で部屋を出た。
城内をいつものごとくぶらりぶらりと歩いていると、一人の近衛兵を見つけた。
ハンナが自分の好きな相手が近衛兵だと言った時から、大体相手の目星は付いていた。ハンナが近衛兵の誰かを熱心に見ていることに何となく気付いていたからだ。
「ねぇ、あなたフランクって名前だったりしない?」
「えっ、はい。そうですが……。あっ、マリィーシア様」
フランクという名前だと聞き出したのはつい先ほどのこと。そして、私の推測通りこの目の前にいる近衛兵がフランクであることに間違いはなかったようだ。
フランクは廊下の窓からぼんやりと外を眺めていた。
「ハンナっ」
突然その名前を言うと、驚くほど敏感に反応した。その反応で彼の気持ちが何処に向いているのか解ってしまった。
「ハンナは私の大事な子なの。絶対に傷つけたりしないでね?」
自分の気持ちを既に悟られていることに気付いたフランクは、顔を真っ赤にした。
「勿論ですっ」
「そう? でもハンナ泣いてたんだけどな……。どうしてかしらね?」
フランクの表情が解り易く強張った。
「申し訳ありません、マリィーシア様。用を思い出してしまいましたので私は失礼致します」
頭を下げて脱兎のごとく走り去って行った。
「いってらっしゃい」
そう言ったけれど、フランクにはその言葉はきっと聞こえないだろう。
「お節介だったかな。まあいっか、これで二人は気持ちを伝え合えるでしょ。むふっ、やっぱりハンナの花冠は白かもねぇ」