第38話
夜風が頬を撫でていく。
その場に残されたのは、私とアレック、そして私のパートナーになるために生まれてくるであろう卵。
頬が冷たいのは、涙が頬を伝っているからだろうか。
「マリィ。大丈夫か?」
どうしてこんなにも大きな悲しみを感じているんだろう。
突然に現れて、突然に姿を消したあの竜が私にはとても大事な存在だったことを体が感じているからだろうか。体というよりも血かもしれない。光の住人である私の血がパートナーの不在を嘆き悲しんでいるのだ。
「大丈夫……じゃない」
「マリィ」
「アレック苦しいよ。苦しい……」
アレックが私を引き寄せ、すっぽりと包み込む。
「今日は思う存分泣くといい。俺が傍にいる。だがマリィ、いつまでもここにいたら風邪を引いてしまうぞ。部屋に戻ろう」
私が頷くと、頭上でふっと空気が揺れた。アレックが小さな微笑を零したのだろう。見なくても、アレックの表情を思い浮かべることが出来る。
アレックが自分のローブを私に掛けてくれた。
だが、私はその手を遮った。
「私は大丈夫。アレック、このローブ借りてもいい? 卵を温めてあげないと」
「ああ、それじゃあ。俺が持っていくよ」
卵と言っても竜の卵は普通の鳥の卵とは比べ物にならないくらい大きい。
「お願いね、アレック」
卵を孵したことなんて一度もない。だが、この子はなんとしてでも孵さなければ。今は亡きあの竜の為にも。名前すら聞いていなかったことを酷く後悔していた。もしかしたら、まだ名前はなかったのかもしれない。私が付けるべきだったのかも。そう考えてまた後悔を感じた。後悔はそれだけではなかった。
私がもっと早く光の住人だと認識して、竜に呼び掛けていれば。私が呼び掛ければもっと早くここにこれたかもしれないのに。
「マリィ。何を考えてる?」
二人はベッドに並んで横になり、意味もなく天井をぼんやりと見ていた。私とアレックの間には卵がある。同じ布団に入れるか正直迷ったが、やはり温めるには同じ布団がいい。それに、卵の殻はとても固くちょっとやそっとで割れるとは思えなかった。
「後悔をね、してるよ」
「どんな?」
「名前を聞いとけば良かったって思ったんだけど、もしかしたら、まだ名付けられてなくて私が付けるべきだったのかもとか。私がもっと早く呼び掛けていれば……とか」
布団の中の手がアレックの手に包まれ、温かかった。
「名前は今からでも遅くないと思うぞ。きっと喜んでくれる。マリィ、自分を責めるのはよせ。竜にはセンサーがあると言っていただろ? お前が呼び掛けなくともお前がこちらに来た時点で解っていたはずなんだ」
「うん。アレック、ありがとう。でも今夜は自分を責めなきゃ私……。解ってるの、今更私が何を言っても何が変わるわけじゃないこと……」
「言ったろ? 泣いていいんだぞ。俺の前で痩せ我慢はするな」
アレックは真ん中にあった卵をそっと外側に移動させると、私の頭を胸に沈めた。
「今は卵より俺だろ?」
私はこくりと頷いた。
確かに今は卵の固い殻よりもアレックの温かい胸の方がいい。
私は、アレックの胸で安心したのか、しがみ付いて泣きじゃくった。
泣いているうちに何が悲しくて泣いているのか、何の為に泣いているのか解らなくなったが、私は泣き続けた。それこそ涙が枯れるまで。
アレックは私の頭を撫でたり、時にはぽんぽんと優しく叩いたり、大丈夫だ、と小さく呟いたりしていた。私は、アレックの胸の中で守られながら泣いていたのだ。
朝方近くまで泣いていた私は、やがて泣き付かれて眠ってしまった。
侍女達が起しに来なかったのは、恐らくアレックの計らいだろう。
「お前たち三人には、マリィに協力してやって欲しい」
アレックが侍女達にそう言うと、畏まりました、と仰々しく返事を返した。
夕食の後の団欒の時間。いつもなら皆出払う時間なのだがアレックが呼び止め、昨夜のことを話して聞かせた。
「マリィ。兄上と姉上にはまだこのことは知らせないほうがいいと思うんだ。突然卵を持って行ってこれは竜の卵だと言っても現実味に欠ける。知らせるのは孵ってからでもいいと思うんだが」
「うん。そうだね。ところで、誰か竜の卵孵したことある人いる?」
皆一様に頭を左右に振る。そりゃそうだ。竜自体がこの国では見られないものなのだ。卵を孵したことがある人がいるわけがない。
「ばあさんなら解るかもしれないぞ」
「あっ、そっか。おばあさんは私のお母さんのことも光の住人だって言っていたし、竜のことも何か知ってるかもしれないし、もしかしたら竜の卵の孵し方だって知ってるかもしれないねっ」
昨夜あれだけ涙を流したからだろうか。私はすっかり自分を取り戻していた。
あの竜が私が泣いて自分を責めることを良しとしないことを知っている。そして、私に笑顔を見せて欲しいと願っていることを知っている。昨夜私達の目の前で消えてしまったあの竜が、まだ近くに感じているような気配を感じる。私のことが心配で天国に昇れないのかもしれない。勿論、卵のことも心配なんだろうけど。だから、あの竜を少しでも安心させる為に私は元気でなければならない。笑ってなければならない。
「アレック。私、おばあさんの所に行きたいんだけどいい?」
「俺も行くぞ。一日くらい休んでもいいだろ? ジョゼフ」
ことの成行きを傍観していたジョゼフが初めて口を開いた。
「そうですね。一日くらいなら休んで頂いてもよろしいかと思います。マリィ様一人で行かせてしまっては、殿下の仕事もはかどらないでしょうから……。殿下は心配性ですからね。ことマリィ様のことになると特に……」
ジョゼフに嫌味っぽくからかわれてアレックは顔を赤くしていた。
「そういうお前こそ、マリィのことになると赤くなったり青くなったり大変な癖に。お前だって心配性だろ?」
アレックに反撃されるとは思っていなかったジョゼフは、予想外のことに言葉に窮していた。
「まあまあ、二人ともやめなよ。じゃあ、ジョゼフ。アレックは明日は休みでいいのね?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあさっ、じゃあさっ。みんなで行こうよっ。その方が楽しいもん。シェリー、明日はあなた達忙しいの?」
「いいえっ、大丈夫です。本当に、私達も一緒に行ってもよろしいのですか?」
「ねぇ、アレックいいよね? 帰りに町に寄って買い物して帰ろうよ、ねっ」
顔を乗り出してアレックの顔を覗き込めば、ほんのりと頬を染めるアレックがいた。
はて、何で赤い顔をしてるんだろう。
「あれ? アレック、熱でもある?」
首を傾げてアレックを覗き込めば、さらに真っ赤な顔になってしまって、私は動揺した。
「いえいえ、殿下に熱などありません。殿下は今、あまりに可愛くマリィ様がおねだりをなさるものですから、照れておいでなのです」
ジョゼフに冷静に心中を分析されたアレックは、今度は怒りで顔を真っ赤にして睨んでいた。
さっきから二人が兄弟のように喧嘩をするものだから、私は可笑しくて吹き出してしまった。
「「何が可笑しいんだっ(ですっ)」」
二人が同じことを同じタイミングで同じ剣幕で捲くし立てるものだから、私の笑いはおさまるどころかさらにヒートアップしてしまった。そこに侍女達の笑いも加わって部屋の中は明るい雰囲気に包まれた。