第36話
『○月×日
二度目にマディと会ったのもばあさんの家でだった。久しぶりに会った彼女は、自分の記憶よりもさらに美しさを増したように思えた。ばあさんの家を出て、私達は並んで歩きながら、色んな話をした。 私が研究者であることを告げると、大きな瞳を見開いた。更に光の住人について調べていると告げると、その瞳は大きさを増した。
私は、マディに彼女が光の住人であるから近付いたのだとは思われたくなかった。確かに初めて会った時、そんな感情が一瞬でも芽生えなかったかと言えば嘘になってしまう。だが、私は研究者としてよりも一人の男として彼女に興味があった。正直、研究などどうでもいいと思っていたほどだ。
彼女は私が研究者と知った上で光の住人である彼女自身のことを話してくれた。
まず、驚いたこと。それは、光の住人には、竜と会話する力があるということ。そして、パートナーになる竜が必ずいて、行動を共にするということだ。私の耳に入ってくる竜の話は全て強暴な生き物だという情報ばかりだったので俄かには信じられなかった。マディにもパートナーである竜がいて、まだ生まれたばかりで小さいと言う。嬉しそうに笑う彼女がとても愛らしくその話も無条件で受け入れられた。信じてくれてないと拗ねる彼女も可愛いらしかった。彼女は、その竜に会わせてあげると笑顔でそう言った。竜がいるいない云々より彼女と約束を交わしたことが何よりも嬉しかった』
「ねぇ、竜だって竜」
ベッドにうつ伏せで並んで横になり、日記帳のある一日を二人で目を通していた。
「そんな話し聞いたことなかったな。光の住人は竜と会話が出来たのか」
「でも、まだこの人は彼女から竜を見せて貰ってないわけでしょ? もしかしたら出鱈目かもしれないじゃん」
「いや、ここに竜を見たと書いてある。火をふかれて前髪が燃えたってな」
日記帳をぺらぺら捲っていたアレックがあるページを指差して私の発言を否定した。
「それじゃ、私が光の住人じゃないってことがはっきりしたね。だって私には竜がいないもの」
私を光の住人だと信じて止まないアレックは不満そうな顔を浮かべた。
「アレックは私が光の住人じゃなきゃイヤ? 嫌いになる?」
「そんなのあるわけないだろ。俺は、お前が光の住人だから好きになったわけじゃない。お前自身を好きになったんだからな」
「そっか。へへっ」
アレックの言葉は私を安心させてくれる。最上の殺し文句だった。
「でも、竜には会いたいな。もし、竜に会えるなら私が光の住人でもいいかなって思えるよ」
幼い頃から竜に憧れていた。小学生の頃から読む本には大抵竜が登場するもので、時には主人公と戦う悪しきものとして、時には神聖なものとしてその存在を私の心に刻みつけた。どんなに悪しきものと表現されたとしても私の竜への憧れは消えることがなかった。
「いつか会えるかな。竜に」
「ああ、きっと会えるんじゃないか? さあ、そろそろ寝よう。もうこんな時間だ」
もう時計は日付をかえていた。
「うん。おやすみ」
「マリィ。おやすみのキスはないのか?」
その言葉に顔が沸騰したように熱くなる。
「もうっ。アレックはキスばっかり。初めて知ったよ、アレックがキス魔だったなんて」
「キス魔じゃ駄目か?」
半ば本気で半ばからかうように煌く瞳に覗き込まれて、言葉に窮した。
駄目なわけないじゃない。好きな人と沢山くっつきたいって思うし、話したいって思うし、キスして欲しいって思う。それが、自然の摂理でしょ?
「……駄目じゃない」
アレックが蕩けるような笑顔を浮かべるので、私もつられて笑顔を返した。
その笑顔のままアレックの顔が徐々に近付いてくる。
『……っ』
何かの声が聞こえて来た気がした。一瞬、気を削がれたがすぐにアレックの方に意識を向ける。
『……っ』
気のせいじゃない?
刻一刻とアレックは近付いてくるのに、私は聞こえているような気がする声が気になって仕方がなかった。
折角のアレックとの甘いひと時なのに。
『……助けてっ、マリィっ』
今度はあまりにはっきり聞こえて、しかも私の名前を呼んでいることに驚いて、がばりと体を起こした。
「誰っ?」
「「痛っ」」
起き上がった拍子におでこをアレックの鼻に強打した。
「ああっ、ごめんアレック。大丈夫? ……でも、誰かが私を呼んでるんだよっ」
「誰かが呼んでる? こんな夜中に?」
「うん。確かに私の名前を呼んでたの。助けてって」
アレックの耳には届いていないようだ。
そう、それはとても苦しげな声。私の助けが必要ならば、すぐに駆けつけてあげなければ。
『助けてっ、マリィ』
「ほらっ、また」
「俺には聞こえないぞ」
「この声は……」
きっと城の裏に違いない。
何処から聞こえるとも解らないその声。だが私にはその声が何処から来ているものなのか、意志とは関係なく体が勝手に動く。
ベッドから突然飛び出した私は、部屋を出ると場内を全速力で走りだした。
この声が何者が発しているものなのか、私にはどうでもいいことだった。誰かが私に助けを求めている。ならば、それが誰であろうと助けるのが私の信念だ。
「マリィ。何処に行くんだっ」
後ろからアレックの声が追いかけてくる。
バタバタという足音が徐々に近付いてくる。コンパスの長さが圧倒的に違うので、私がいくら全速力で走っていてもすぐに追いつかれてしまう。
「はっはっ、城の裏にいるっ」
「城の裏に誰かがいて、お前の助けを求めてるんだな?」
アレックの言葉に目一杯頷いて見せた。
それを見たアレックは私をヒョイッと担ぎ上げると、そのまま走りだした。
「ちょっ、アレック?」
「一大事なんだろ? お前が必死に走ってんだ。だが、お前が必死に走ってても、俺がお前を担いだ上で走っている方が断然に速い」
そう明言するとおりアレックの足は信じられないくらい速かった。
そもそもアレックが運動しているところなんて一度も見たことない。
「アレックって足速かったんだね」
「そりゃそうだ。ついこの間まで近衛兵に交じって訓練してたんだからなっ」
「知らなかった。……ごめんね、重いでしょ」
太っているとは思わないけれど、子供を担ぐのとはわけが違う。その上、走っているのだからアレックの負担は想像以上だろうと思う。
「ああ、すごい重いな。……嘘だよ。これくらい軽い軽い」
私がだんまりしたので慌てたように取り繕うアレック。
私を担いで走っていながら、話しているのに呼吸一つ乱れないのはどうしてだ。アレックが怪物のように見えた。いや、もとい。あまりに恰好良かったので惚れ直してしまいそうだ。
「おいっ、この扉を開ければ裏庭だぞっ」
アレックに降ろされて、そのドアの取っ手を回した。
扉の向こうにいたのは、私にもアレックにも信じられないものだった。
「おいっ、あれって」
「嘘っ」
私は導かれるように扉をくぐりぬけて裏庭へと出て行く。
裸足のままだったが、気にせずそのまま草の中を歩いて行く。
「私を呼んだのはあなたなの?」
私の声に顔を上げたそれは月明かりに照らされて美しい瞳をこちらに向けていた。
言葉がなくても解る。その瞳は肯定を現していた。
私が一歩一歩進んで行くその先に、それはそれは大きな竜がいた。