第33話
身仕度を整え、アレックと最後の朝食を取った。
湿っぽくならないように、なるべく明るく話し掛けていたので、私の箸はなかなか進まなかった。
旅の支度は昨日のうちに三人に手伝って貰って整っていた。
三人は私と共に旅に出ると言ってくれたが、私はそれをよしとはしなかった。
三人には家族や大事な人がいるだろう。この国は平和で戦争のない国だから危険意識は薄いのだろうが、旅は安全なところばかりではないのだ。戦争中の国だってあるだろう。民族意識が強くよそ者を問答無用で排除しようとする国もあるだろう。危険な獣が出る森を通らなければならない時もあるだろう。恐ろしい疫病に感染するかもしれない。そんな危険をあの三人に強いることは出来ないのだ。
私の必死な説得に三人は最後には納得してくれたのだ。
その三人の姿がいつの間にかなかった。私の荷物もない。残されたのは私とアレックだけ。アレックとの最後の別れの場を作ってくれたのだろう。
「私、そろそろ行かなきゃ」
旅立ちの時は迫っていた。恐らくギルドはもう待っているだろう。これ以上待たせるわけにはいかない。
今更ながらに後ろ髪を引かれる想いを精一杯断ち切った。
「マリィ。お前は興味深いものに気を取られると回りが見えなくなる。この国を出れば危険も多い。気を付けるんだぞ」
「うん。解ってる」
「知らない奴についていったりするなよ。良い奴ばかりとは限らないんだからな。お前は誰でも信じてしまうところがあるから」
私は思わず吹き出してしまった。
「なんだ?」
「ごめんっ。だって、アレックお母さんみたい」
アレックはあからさまに不機嫌な顔をあらわにした。
別にからかったつもりはなかった。純粋にそう思ったのだ。
「ありがとう、アレック。気を付ける。でも、私運だけはいいからきっと大丈夫だよ」
「大丈夫なもんか」
「絶対大丈夫。私、旅の途中で命を落とすなんてドジなこと絶対しないから。だから、私のことはもう気に掛けてくれなくても大丈夫だから」
アレックに笑いかけた後、私は席を立ってドアへと足を向けた。
これでお別れ。もう二度と会うことはない。
ドアのノブに手をかけた。
私は……。
ノブに手をかけたまま私は考えていた。
このまま行ってしまっていいのかと。
私は振り返るとアレックに駆け寄り、抱き付いた。
アレックがしっかりと受け止めてくれたので、態勢を崩すことはなかった。
私は顔を上げると両手でアレックの耳を塞いだ。
「アレック。これから私が言うことは、私の我が儘なの。どうしても言わなければ、後悔してしまうから。……アレックが好き。大好き。誰かを思って眠れなかったり、その笑顔を思い浮べて涙が出たのは初めて。私はここを去るけれど、私の心はずっとアレックの傍にいる」
私は微笑んだのち、アレックの耳を塞いでいた手を放し後退った。
「バイバイ」
それだけ言うと、私は部屋から飛び出した。
走って走って走って、部屋が見えないところまで来ると、その場にしゃがみこんで泣いた。
私の告白は、アレックの耳を塞いでいたので、実際のところは届いていない。
でも、これで良かったんだ。悔いは残したくなかった、けれど、私の気持ちを知ってアレックを困らせたくはなかったから。
その場でひとしきり涙を出すと、立ち上がり何もなかったかのように歩きだした。
城の大きな門の前には、ルドルフとシルビア、ジョゼフ、キールとニール、侍女達、それからその奥にはギルドが待っていた。
私との別れを悲しんでくれているのか、寂しそうに俯く女性陣。男性陣はしっかりと私を見据えてそこに立っていた。
奥に立っているギルドの表情は見えない。微笑んでいるのだろうか。
私は皆の前に立つ前に王城を振り返り見上げた。もう二度と戻ることはないだろうこの城は、朝日に照らされて美しく輝いていた。
アレックがいるであろう部屋の窓を見る。別れをしたばかりなのに、もう会いたいと願ってしまう。さようならをした筈なのに、戻りたくて仕方なくなる。
自嘲気味に苦笑を洩らすと、俯いた。再び顔を上げて、城を背にした。
もう、振り返らない。振り返ってはならない。
「マリィ……」
真っ先に声をかけてくれたのは、シルビアだった。
今にも泣き出しそうなシルビアの表情を見て、くすりと微笑んだ。
「シルビア。王妃様なんだからそんな情けない顔しないの。こういうときは、特上の笑顔で私を見送ってくれなきゃ。そんな顔見せられたら、行きづらくなっちゃうでしょ?」
シルビアの隣りで、ルドルフがシルビアの背中をゆっくりと撫でてあげている。
「お世話になりました、陛下。シルビアには良くして頂いて、勿論陛下にも、感謝してもし足りないくらいです。有難うございました」
「お世話になったのは私達の方だ。特にシルビアはお世話になった。こちらからお礼を言うところだ。感謝する」
「いえっ、勿体ない言葉です。どうか、シルビアを幸せにしてさしあげて下さい」
「無論、そのつもりだ」
ルドルフの温かい笑顔がシルビアを包んでいた。シルビアにはルドルフがいるから何の心配もない。
「ジョゼフ、キールとニールも。今までありがとう。アレックのことよろしくね」
三人は、勿論、と請け負ってくれた。
この三人がいれば、アレックも大丈夫。頼もしい三人だから、任せておけばいいだろう。
「シェリー、ハンナ、マーシャ。今までどうもありがとう。あなた達がいてくれて本当に感謝しているの。最初は仲が悪くて心配したけど、今は三人仲が良いから私がいなくっても頑張っていけるよね」
「マリィ様がいないと私達頑張れませんっ」
マーシャが涙を堪え切れずに泣きだしてしまった。
「私がいなくても大丈夫よ。私が来る前だって、あなた達はちゃんと出来ていたのでしょ?」
「それでも、マリィ様がいないお城なんてもう考えられないですっ」
ハンナまでもが涙を流し始めた。
「大丈夫、最初は私がいなくて変な感じかもしれないけど、そのうち時がたてば私の存在すらも忘れてしまうよ」
「そんなことありませんっ。私達がマリィ様を忘れるだなんてっ」
珍しくシェリーが声を荒げてそう言った。いつも大人なシェリーが感情をむき出しにする事なんて見たことがなかった。
「そっか。ありがとう。私も忘れないよ」
こんな風に思ってくれる人に見送られていくのは、幸せなことだ。
私は幸せ者だ。
みんなに深々と頭を下げると、振り返ってギルドを見た。
「ご一緒願いますか、マリィ姫」
ギルドの手が差し出される。
この手を取れば、もう私は引き返せない。
この場面に来ても引き返すことを考えている自分に心底呆れる想いだった。もうどんなことがあっても引き返す事なんて出来やしないのに。
俯いて自分の手を見ていた。
さあ、手を出そう。これから始まる冒険の一歩を踏みだろう。
私がギルドの手を取ろうと手を差し伸べたその時、事件は起きた。
私の体がグイッと引っ張られるように、上へ上がって行く。
もしかして、私はこのまま日本に帰るんだろうか、と一瞬そう思ったがその間隔はまるで違った。引っ張られる感じはほんの一瞬で、私がこの国に来た時に感じたあの違和感は下がって行くような感じだったし、そんな短い感じではなかった。
「ギルド、悪いがマリィは俺が貰い受ける。お前には申し訳ないが、これを手放す気はない。陛下、勝手をお許し下さい」
頭上から今一番聞きたかった人の声が聞こえてくる。