第31話
颯爽と歩き去るギルドの後ろ姿、アレックの心配そうに覗き込む潤んだようにも見える瞳。
私にはその後の記憶がまるでなかった。
目を開けるとそこには、祈るように手を合わせ、目を瞑っている三人の侍女たち、視線を上げれば今ではすっかり見慣れてしまった天井があった。
自室のベッドであることに間違いはない。であるならば、庭園にいたはずの私がここに横たわっているということは、アレックが私を運んでくれたということだ。
あの後、私は気を失ってしまったのだろうか。
「マリィ様っ」
マーシャが私が目覚めたことにいち早く気付いて、嬉しそうな叫び声を上げた。祈りを捧げるように、しっかりと目を閉じていたシェリーとハンナも弾かれたように目を開けた。
「「マリィ様」」
「私……」
発した声があまりにがらがらで、そして喉が酷く痛むことに驚いた。
「マリィ様は、ひどい熱で倒れられたのです。殿下がここまで運んで下さいました」
ああ、そうか。やっぱりアレックが。私は、アレックの手を煩わせてばかりだ。
だからアレックに突き放されても文句は言えない。こんな女、さっさとどっかに行けばいいと思われてもいたしかたないことだ。
「先程まで殿下もこちらにおいでだったのですが、ジョゼフ様に無理矢理連れていかれてしまいましたわ」
「そう。シェリー、お水を一杯くれる?」
熱があるせいだろう、喉が凄く渇いていた。
シェリーが持ってきてくれたお水を飲もうと、起き上がろうとするのだが、全く力が入らず困ってしまった。
「マリィ様、無理はなさらないで下さい」
シェリーの助けを借りて、漸く起き上がると水を一息に飲んだ。
「ありがとう。ごめんね」
私がそう言うと、三人は一様に泣きそうな顔になった。
「マリィ様はお礼も謝罪も私達に言う必要なんてないんです。私達は、マリィ様に仕えることが出来て幸せなんですから。こんな時に私達のことなんてどうでもいいんです。何も考えずにゆっくり休んでいて下さい」
マーシャに似付かわしくないシェリーのようなしっかりとした物言いに目を見張った。
半ば強引に寝かし付けられて、私は再び目を閉じた。
熱で頭が錯乱しているのだろうか、閉じた目頭が熱く感じた。ここで涙を流したら、またあの三人に心配をかけることになる。更に熱くなる目頭と鼻の奥がつんとくる感覚に精一杯堪えた。それでも堪え切れずに震えだしてしまう体を隠すために頭の上まで布団を被った。
「心配ないから仕事に戻っていいよ」
そう言葉にしたかったが、今口を開いたら嗚咽と弱音しか出てこないことが解り切っている。唇を強く噛み締めてしのぐしか術はなかった。
三人ともお願いだから一人にして。
この時ばかりはそう願わずにはいられなかった。
熱が高かったせいだろうか、私はそのまま意識を手放した。
次に目を覚ましたのは次の日の朝方のことだった。
前日から起きることなくぶっ通しで寝ていたためか、昨日までの朦朧とした頭は大分ましになっているようだった。
体を起こし、窓の外に目を向けると朝日がさんさんと照らしていた。
ベッドの脇に置いてあるテーブルの上に水があるのを見付け、コップに注いで一気に飲み干した。
まだ水が冷たいところをみると、シェリー達が朝までついていてくれたのだろうと察しがつく。
「あっ、マリィ様」
ドアが開く音が聞こえたと思ったら、すぐに声とともに三人が入ってきた。
「マリィ様。食欲はおありですか? 消化の良いものを作って貰いました」
「うん、ありがとう。そんなに食べられないかもしれないけど……食べるよ」
「はいっ。じゃあ、私が食べさせて差し上げます」
マーシャが嬉々として手を挙げながら、ずいっと前に出てきた。
「えっ? 大丈夫だよ。一人で食べられるから」
「そうよ。マーシャに食べさせて貰っても、マリィ様は嬉しくないわよ。こういうのはやっぱり殿方にして貰うのがいいのよ」
ハンナの意見に食べさせると気合い満々だったマーシャもしきりに頷いている。
「じゃあ、その役俺が引き受ける」
「アレックっ」
扉に寄りかかってこちらを眺めていたのはアレック、その人だった。
「ノックはしたんだが、応答がなかったから勝手に入らせてもらったぞ」
そう言うとベッドに向かって歩きだした。ベッドとアレックの間に立っていた三人は、ささっと脇に下がり道を開けた。
「ここは俺が引き受けた。お前たちは朝食でも食べてくるといい」
三人はアレックと私に頭を下げたのち、部屋を後にした。
三人の姿を見送った私は、パタンとドアが閉まったのを見送ってからアレックを見た。
「気分はどうだ?」
「大分いい。あのっ、アレック。昨日は、その……運んでくれてありがとう」
「お前はそんなことは考えなくていい」
考えなくていいって言われたって、考えないわけにいかない。
「でも……」
「でもはなしだ」
枕元の椅子に腰掛けると、私の額に手を当てた。
「まだ熱はあるようだな。今日は一日寝てるんだ。いいな」
自分でも本調子とは言えないこの体を十分理解している。そんな無茶をするほど馬鹿じゃない。
私が頷くと、アレックは満足そうに頷いた。
「ほらっ、あ〜んだ」
日本じゃなくても、「あ〜ん」って言葉を使うんだってことが面白かったのと、アレックがそれを真面目な顔で言っているのが可笑しくて、思わず吹き出した。
笑った拍子に涙も出てきた。
正直、今アレックに会うのは辛かった。アレックにどう接していいのか解らない。
「ヤダッ。笑い過ぎて涙が出てきちゃった」
目を擦りながら、すぐにばれる嘘を吐いた。
アレックは何も言わず、誤魔化して笑っている私を見守っていた。
「へへっ、もう平気だよ」
私はきちんと笑えているだろうか。いや、明らかにいつもとは違うものになってしまっているだろう。出来れば暫く放っておいて欲しかった。せめて頭が冷えるまで……。
それから私達は食事を取ることに専念した。
アレックの目が見られない。さっきの私の涙を、アレックはどんな風に受け取っただろうか。
気まずい雰囲気が寝室内を包み込んで、息が詰まる思いだった。
「アレック。もういい」
「もういいのか?」
「昨日、ずっと食べてなかったからあんまり急に食べたら胃がびっくりしちゃう」
「そうか」
沈黙が怖いと思った。アレックといてそんな風に感じたのはここに来てから初めてのことだった。
「じゃあ、俺は仕事に行って来るな」
食器を持って立ち上がったアレックが小さな笑みを向けると背中を向けた。
「……アレック」
「ん? 何だ?」
振り返ったアレックの目と視線がかち合うと私は慌てた。
呼ぶつもりなど毛頭なかった。呼んで何を言うつもりだったのかも理解せぬまま、本能的にアレックの名を呼んでしまったのだ。
「ごめん。何でもない」
そうか、とアレックは小さく笑った。
「また、昼に来る」
「いいっ。いいよっ。アレックは仕事もあるし、忙しいだろうから無理に来てくれなくていいよ。私には三人がいてくれるし、心配ないから。……これ以上、アレックに迷惑掛けたくないの」
「俺がっ、……俺が来たいんだ。俺が来たら駄目か?」
一瞬荒げた声に驚いたが、すぐに普段のアレックの声に戻った。
駄目かと好きな人に聞かれて、駄目だと答えられる人間がいると思っているのか。私は、頷くしかないじゃないか。
頷く私を見届けると、またな、と言って部屋を出て行った。
ポトリと涙が布団の上にしみを作った。
「もう泣き虫だなお姉ちゃんは」
呆れ顔の璃里衣の顔が私を見ているような気がした。
璃里衣はきっと泣いてばかりいる私を笑っているのだろう。