第30話
ギルドと庭園を巡って気付いたことは、ギルドがかなり幅広い知識を持っているということだった。
恐らくギルドはこの庭園に咲いている花の名前を全て知っているだろう。それだけに留まらず、それらの花に纏わる小話、言い伝え、伝説なども多く知っていた。
「そういう知識は旅の中で仕入れるの?」
「ああ、国にはその国に伝わる伝説なんかがわりと沢山あるからね。そういうのを聞いて回るのが好きなんだ」
「いいな。色んな物を見たり聞いたり探したり発見したり、色んな種族の人たちと交流を持ったり、色んな食べ物を食べたり。ギルドはそういうことをしてきたんだろうね」
王城(たまには町に出ることもあるが)でしか探険することの出来ない私にとって、ギルドの話は魅力的なものだった。
世界には、私には想像もつかないほどの沢山のワクワクが存在するのだろう。
「楽しいよ。今まで見たこともない驚くべきものを目にすることが出来る。俺は、メデゥーサ王国で竜を見たんだ」
「竜っ」
「そう、竜。メデゥーサ王国では竜の背に乗って短時間で長距離移動をすることを可能にした。竜は人とは相容れないものだと思われていたが、その常識を覆した。俺も一度乗せてもらったが、スリル満点だ。竜の機嫌を損ねたら、振り下ろされて地上に真っ逆さまさ。あのスリルは忘れられないよ」
この世界のどこかに竜がいるなんて。
想像もしていなかった。竜が存在するなんて。
かあっ、見たい。出来ることならその背に乗りたい。
「いいなぁ。私もいろんなとこ行ってみたいな。竜にも乗ってみたい」
「一緒に来る?」
「えっ?」
冗談かと思い、まじまじとギルドの表情を伺えば、そこにからかいは欠片も感じ取れなかった。
「嘘でしょって顔してる。でも、俺は本気で言っているんだよ」
真剣な瞳に真剣な声音。恐ろしいほどに吸い込まれる魅惑的な言葉。
「無理だよ。私は、ここにいなければならないんだから」
「マリィーシアの為?」
「どうして?」
明らかに私じゃないマリィーシアのことを言っている。真剣な表情は消えてはいないが、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
「姉上に聞いた。君がマリィーシアじゃないこと。入れ替わってしまったこと。いずれこの国を去るだろうこと」
シルビアがそのことをいくら身内とはいえ、王城外の人間に話すということは、それだけギルドが絶対的な信頼を受けているということ。
「それなら解るでしょ? 私は、この城でマリィーシアといつ入れ替わっても困らないように待たなきゃならないの」
「いつとも解らないのに? 君は俺と行きたいと思っているはずだ。世界を見たいと思っている。例え、マリィーシアと入れ替わったとしても俺と一緒なら王城まで責任を持って送り届けることが出来る」
子供の頃手に取った冒険の物語に憧れた。本気で冒険家になれたらと夢見たことだってある。
私にとってギルドの持ちかけた話は、夢みたいに舞い上がってしまってもおかしくないものだ。
それなのに、心にしこりがあるように思うのは……。
「なんで私を誘うの?」
「一目惚れって言ったら信じる? こんなこと急に言っても信じてもらえないかもしれないけど、廊下で外を眺める君の姿に心を奪われた。その前から、姉上に君のことを聞いて気になっていたからすぐに君だと解ったよ」
「嘘……」
「残念ながら本気。だから、考えてみて。あっ、もし俺を好きになれなくても、君と一緒に旅できるだけで幸せだから。旅の間に振り向かせればいいだけだからね」
「それって、ギルドは私を好きってことなの?」
そうだよ、と笑いながら当然とでも言いたげな顔をしてみせた。
初めて告白されたのは佑一だった。それほど時間は経過していないのに、ギルドにまで告白された。
もしかして、もしかしなくても、今が私のモテ期だったりするんじゃないかな。でも、よりによって何で私なんだろう。美しい姫は、世の中に腐るほどにいるのに。こんな変人っぽい(自分で言うのもなんだけど)女をわざわざ好きにならなくても……。
一人考え事に耽っていると、いつの間にかギルドの手が私の手を握っていた。
それに気付いて慌てて顔をあげれば、超至近距離にギルドの王子顔が。
ギルドの瞳を見たとたんに、直感で危険を察知した。
このままでは、何かと不味い。ギルドが強姦まがいなことをしないにしても、唇を奪われる可能性は大いにある。というか、絶対今奪われる危機に直面しているんだ。
イヤだっ、アレックっ。
近づいてくる美しい王子顔を見ていられなくて、ギュッと目を瞑った。
ギルドの息遣いが頬にかかるほどに近く感じられた時、私はもう駄目だと半ば諦めていた。
だが、いつまでたっても唇に柔らかい感触が与えられることはなく、気付いてみれば近くにあった筈の気配さえも感じられない。
意を決して瞳を開けてみれば、ギルドの肩を掴んで睨みつけているアレックの姿が目に入った。
「……アレック?」
アレックはチラッとこちらを見たが、すぐにギルドに視線を戻すと鋭い声でこう言った。
「どういうつもりだ? 我妻と知ってのことかっ」
呆然と成り行きを見守っていた私に、「我妻」という言葉が飛び込んできた。実際のところは違うのだが、その言葉は私をときめかせた。
嘘でもアレックにそう言われると嬉しい。
それが私が貰ってはいけない言葉だとしても。
「だが、マリィはあなたの本当の妻ではないではありませんか。私がさっき殿下にマリィを旅に連れて行っても宜しいですかと、訪ねた時には快諾して下さいましたよね。そのくせ、私がマリィにくちづけるのは良しとしない。いささか矛盾しているようにも思えるんですが」
快諾。アレックは、私がここを離れることを快諾したというのか。
何故……?
ずっと傍にいると言ってくれたのではなかったか。私もずっと傍にいると言ったではないか。それなのに、この城を出てもいいとそう言うのか。
「そうだ。マリィを旅に連れて行くことは許可した。それは間違いない。だが、マリィを泣かせてもいいとは言っていない」
そう言われて初めて気付いた。自分が涙を流していたということに。
何がこんなに悲しいのか。自分でも判断出来ない。
ギルドに突然の申し出をされたことか。唇を奪われそうになったことか。アレックに我妻と言われたことか。私がここを離れることをギルドに許可したことか。
「マリィの涙が私のせいだとお思いですか? 私の見解ではそうは思わない。勿論、私も悪かったのかもしれません。ですが、あなたが泣かせているのではないか、と私は思うのですが」
ギルドの表情には微笑がたえず浮かんでいた。まるでアレックの怒りを誘うような挑発的とも取れるそんな表情は、今まで私が話していたギルドとは全く別人のように見えた。
「きさまっ」
アレックがギルドの胸倉を掴んで持ち上げた。
「本当に私がマリィを連れて行っても宜しいのですね?」
アレックの怒りを直接受けているというのに、ギルドは涼しい顔でそう言いつのった。
「男に二言はないっ」
「そうですか、それは良かった。では、マリィ。いい返事を期待してるよ」
アレックの腕をあっさりと振り解くと、いつもの優しげな王子様スマイルを私に残し、颯爽と去って行った。
「マリィ。大丈夫か」
アレックに顔を覗き込まれて、その心配そうな表情に思わず大きく頷いた。
大丈夫じゃない。大丈夫なわけない。アレックにつき放されたような気がして心が折れそうだった。
私に優しくしないでっ。私にそんな顔見せないでっ。私なんかもうどうでもいいって思ってるくせにっ。