第29話
「好きになることに、「いい」も「いけない」もないのですよ」
頭上から落とされたシェリーの言葉は、少なからず今の私には衝撃的なものだった。
「いいもいけないもない?」
「そうです。人が誰かを愛することを、他の誰かが咎めることは決して出来ないんです。誰が誰を好きになろうが、それは個人の自由なんです。その背景にどんな事情があるにしても、それを咎めることなんて誰にだって出来ないんです。マリィ様、それがあなた自身のことであってもです。その気持ちをご自身で否定してしまったら、その気持ちが可愛そうじゃないですか。だから、自分の気持ちにだけは、誇りを持って下さい」
「でも、この気持ちはアレックには迷惑になるだろうし、マリィーシアのことだってあるし……」
涙はとうに止まっていた。
一生懸命に私の為に心を砕いているシェリーの言葉に私も真摯な気持ちで向き合った。
「殿下が迷惑だとおっしゃったんですか?」
「アレックには私の気持ちは言ってない」
そう、言えなかったのだ。言わせてもらえなかったと言ったほうが、正しいのかもしれないが。
「言ってもいないのに、先回りして迷惑だと決め付けるのは良くないですよ。マリィーシア様は……」
シェリーはマリィーシアのことをよく知らない。
もしかしたら、会ったことすらなかったかもしれないのだ。会っていたとしても、よくて一回だろう。
「マリィーシア様はっ。私が見た限り、マリィーシア様は殿下のことは何とも思っていないようでした。幼少の頃から見ていたので、私には解ります。はっきり申し上げて、殿下はマリィーシア様のタイプではないので」
ハンナが、シェリーの後を引き取った形で言葉を紡いでいく。
「マリィ様が今後、日本でしたかしら……に帰られてしまうのか、それともこちらに残って頂けるのか私には解りませんが、その気持ちを押し殺すことだけはお止め下さい。自分の気持ちに目を背けて、我慢して、なかったことにすることは、想像以上に辛いものです。それはもうマリィ様は十分理解なさってますよね?」
真剣なシェリーの瞳が直接私の瞳に語り掛けてきているようだ。
シェリーの言いたいことは解る。そう出来ればどんなにかいいだろう。
自分の気持ちをアレックに洗いざらい吐き出してすっきりしたいと何度も思った。こんな気持ちは私の錯覚でしかないのだと、目をつぶって見ないようにしたことだってある。
でも、そう思ったすぐ後であっても、アレックに会って、言葉を交わしただけで、どんな決心も覚悟も全て崩れ去った。
「ありのままのご自分の気持ちを、認めてあげればいいんです。足掻くから辛いんです。ありのままに身を任せればいいんです」
シェリーってお姉さんみたい。私にお姉さんがいたらこんな感じだったのかな。
まだ知り合ってそんなにたっていないのに、私の為に親身になってくれるシェリーを、口元の緩んだ表情で見上げる。
「ありがとう。三人がいてくれて本当に良かった。私、アレックに話してみる」
誤解されたままなのはイヤだ。自分の今感じている想いをきちんと伝える努力をしよう。
誰かが私の体の自由を奪って、口を塞いだとしても、私はそんなものに屈したりしない。
自分の気持ちは、自分の言いたいときに言う。誰の指図も受けない。
「私、ちょっと行って来る」
「あっ、どちらへ?」
「ふふっ、アレックんとこ」
マーシャの呼び掛けに、走りながら叫んだ。
思い立ったが吉日。
私は、これからズバッと愛の告白に行きます。
「アレックっ。話があるのっ。五分だけ時間頂戴……って、あっ」
ノックをせずに勢い良くドアを開けて半ば叫ぶようにそう言ったが、アレックの机を挟んだ向かい側に立つその人物を見た途端、私の声のボリュームは一気に萎んで行った。
「これは、マリィ殿。殿下に何か用でしたか?」
お伽噺に出てくる真の王子のような完璧なスマイルを顔面に貼り付けて、ギルドはそう言った。
「えっと、うん。そうだったんだけど。先客があったんなら夜でいいや。うん」
出鼻を挫かれた……気がした。
これも、誰かの陰謀なのか、と知りもしない誰かを恨みたくなった。
「そうですか、それなら丁度良かった。姉上から伝言を頼まれていたのです。亀を見に行く約束をしていたのに、急な来客があったそうで申し訳ないと。それで、もしよろしかったら私に庭を案内して下さいませんか? 丁度私の要件も終わったところですので。 殿下、姫をお借りしてもよろしいですか?」
シルビアと約束していたことにギルドに言われて始めて気付いた。
「構わない。マリィも暇を持て余しているのだろう」
この部屋に入ってまだ数分しかたっていない、だが、一度たりと私の方を見ようとはしないアレックがそこにはいた。
怒ってる……?
どうして? 昨日、私が祐一のことを答えられなかったから? 私がアレックの問いかけに無視したと思ってるの?
だから、部屋を出て行っちゃったの? アレックが、祐一を今でも好きな私に気を使って部屋を出て行ったんだと思った。それは、違うの?
恐らくアレックは私の視線に気付いているだろう。それでもまるで意地でそうしているように書類から目を放そうとはしない。
「殿下の許しも出たことですし、マリィ殿よろしいですか?」
「えっ、うん。別にいいけど……」
「けど、なんですか?」
「ううん。何でもない。行こうかギルド。行ってきます、アレック」
ギルドに肩を抱かれて、ドアに誘導される。
振り返ってアレックに声をかけたが、アレックは反応を示さなかった。聞こえないふり、聞こえているくせに……。
昨日の雨が嘘のように、雲一つない真っ青な空が眩しいくらいに輝いて見えた。
こんな奇麗な空を原っぱに横になって眺めたいところだが、生憎雨の雫が残っていて出来そうになかった。だが、その代償として、太陽の光を反射する雫がキラキラと眩く、美しかった。
十分な雨を浴びた草花は、水を得た魚のように、ピンと真っ直ぐに元気よく伸びていた。
「さすがだ。美しい。王城の庭園ともなると立派だな」
「あっ、話し方が変わった」
「だって、さっきは殿下の前だったし、マリィはこういう話し方の方が好きなんじゃないかと思って。違った?」
やはりシルビアと似ている。外見は、それぞれ王子様、お姫様って感じなのに、話してみると気さくで、ユーモラスで楽しい。シルビアは中身はちっともお姫様じゃなくて、お転婆娘。ギルドも中身は王子様じゃなくてきっと野生児だ。それは、直感。
「そうだね。その方がいい。堅苦しい話し方は嫌い」
「ほらねっ」
けらけらと笑うギルドを見ていると、悩んでいた気分が少しずつ晴れていく気がした。
こんなに晴々とした天気の下で、湿ったれた表情をして、湿ったれた気持ちでいるなんてもったいな過ぎる。
雨の次の日の庭園は、普段とは違うワクワクに溢れている筈なんだ。それを楽しまなくて、何を楽しむって言うんだ。
「さあて、行きますか。ちょっと、元気出て来たっ。今日は、ドレスだけど女官長に怒られるよっ」
笑顔でギルドを見上げると、ギルドはくすりと笑った。
「姉上が言っていた通りの方だ」
「えぇっ、シルビアなんか変なこと言ってなかった?」
「まさかっ」
「何て言ってたの?」
「それは秘密」
からかうような笑顔を私に向けると、私の手を取ってギルドは走り出した。
「うわっ」
急に引っ張られたことに、女性らしからぬ声をあげたが、ギルドを前に女の子ぶるのは馬鹿らしいと、後悔しかけた考えを捨て去った。
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