第28話
「……アレック。アレックはマリィーシアが好き?」
聞きたくて、聞きたくて、でも、怖くて聞けなかったこと。
答えを聞くのは怖いけど、いや、答えなんて解りきっていることなんだけど、言葉にしてしまった問いは、今更なかったことには出来ない。
「残念だが、俺にそういう気持ちは一切なかった。マリィーシアとの結婚は大分前から決まっていたが、会ったのはお前がこの国に来た数分前だ。ほぼ初対面に近い」
ああ、そうか。
私がアレックとマリィーシアとの対面の場を台無しにしてしまったんだ。
「ごめん。私が邪魔してしまったばっかりに……」
「別に構わない。どんなにマリィーシアと長い時間を共にしたとしても、俺の感情が変わることはない」
「それが政略結婚ってやつなの? 好きでもない相手と結婚しなきゃならないのが王族なの?」
日本で生まれ育った私には、それが日常、それが当たり前だと考えるこの国の人々が理解できなかった。
「基本的にはそうだ。だが、そうじゃない時だってある。結婚相手がマリィーシアであることに、反対する理由がなかったからそうしただけだ」
「じゃあ、もしアレックに好きな人がいたのなら、全力で抵抗した?」
「そりゃ、するだろう。命を懸けても愛しい人がいたのならそうしたさ」
じゃあ、今は? 今は、命を懸けても守りたいと思う人がいる?
とは、聞けなかった。
だが、これで一つ解ったことは、アレックもマリィーシアも互いにそういった感情を抱いていなかったということだ。
自分がどう感じているのか、自分自身でさえはかり知ることが出来なかった。
「お前はどうだ? 佑一とやらが恋しいか?」
目を見張って、アレックを見ていた。
実際には視線はアレックに向けられてはいたが、目が霞んで、目の前に靄がかかり、アレックの姿は見えていなかった。
金縛りにあったように指先一つ動かすことも出来ず、喉は干上がったように、渇いていた。
体が動かすことが出来なかった分、頭の方は回転していた。回転しすぎて、目が回るほどに。
なんで佑一のこと知って……。
あっ、そっか。前に恋人が恋しいかと聞かれたことがあったっけ。知っててもおかしくないよね。
私は、なんて答えるべきなのかな。
正直に全てをぶちまけるわけにはいかない。でも、嘘は吐きたくない。
いっそ、今の私の気持ちを素直に打ち明けてみようか。
だけど、佑一を裏切ることになるし……。とは思うものの、アレックに心惹かれた時点で既に私は佑一を裏切ってるのだ。
今更、佑一の為、佑一がいるから、佑一を傷つけたくないなんて、私の傲慢な考えでしかない。
私の心にはもうアレックが住み着いてしまったのだ。
いくら綺麗事を並べ立てても、事実は一つ。そう、一つなのだ。
「言葉に出来ないほど、好きなんだな。胸が詰まるほどに会いたいんだな」
アレックはあろうことか、私が佑一のことで頭が一杯で言葉が出せないのだと、思っているようだった。
自分の罪の意識に、無意識のうちに胸をギュッと掴んでいるのを見て、佑一と会えないことで胸を痛めているのだと判断したようだった。
反論しようにも、未だ金縛りが続いていて、声が出せずにいた。
頭を振ることすら叶わない。
「……今夜は自室で寝る。お休み、マリィ」
何も答えず、反応もない私にそう声をかけて、背を向けた。
行かないでっ。違うよっ。私が好きなのは佑一じゃない。アレックなんだよ。
その背中を目で追いながら、何度も動かない口を動かそうとするが、神様はその術を解く気はないのだろう、アレックの背中が扉の向こうに消えた。
アレックの背中が消えたと同時に、魔法が切れたように身体に自由が戻り、アレックを追いかけようと、立ち上がろうとするのだが、微かに麻痺が残っているように、足に十分な力が入らず、その場にくずおれた。
「アレック……。違うよ」
閉じられた扉に空しく言葉をかける。
そこにアレックがいないことを知っていながら。
「違うよ、違うよ。好きなんだよ。アレックが好きなのに……」
ポトリと雫が落ちた。目に手を当てると、涙がぽろぽろと溢れて来て、指に流れ落ちた。
私は、この想いをアレックにぶつけようとしたのだ。
それなのに、体が動かない私は自分の想いを伝えることも、去って行くアレックを引き留めることも、追いかけることも出来なかった。
それは、誰かが、アレックに想いを告げるのを止めさせようとしているように思えた。今というタイミングで告げることはいけないと言っているのか、それともアレックに想いを告げること自体がいけないと言っているのか。
アレックを好きになるなと誰かに釘を刺されているような気がした。
それは、神なのか、祐一なのか、全く知らない誰かなのか。
私は、どうにか立てるようになると、ベッドに横になり涙に濡れたまま眠りに着いた。
「マリィ様っ。どうなさったんですかっ、その顔」
半分眠ったままの私を、マーシャの金切り声が起こした。
「んあ? そんなに酷い顔をしているかな」
「酷いなんてものじゃありませんわ。そんないたわしい顔になられて……。昨夜、殿下と何かあったんですか? こんな込み入ったこと侍女無勢が聞くのは、差し出がましいかもしれませんが、私、マリィ様がそんな顔をなさるなんて、殿下が許せませんわっ」
ハンナの怒気を含んだ物言いとマーシャの威勢のいい頷きに、私は苦笑した。
「ハンナ、マーシャも。殿下が何かなさったとは限らないのだから、滅多なことは言うもんじゃないわ。だけど、マリィ様。その顔はとても……、こちらが見ているのも辛いくらいです。今日は外出はなさらない方がいいと思いますわ。お化粧で何とかなるとも思えませんし」
シェリーが二人をたしなめ、気遣わしげにそう言った。
三人の悲しそうな表情を見れば、鏡を見なくとも、私がどんな顔をしているかなんて、容易に想像がつく。
昨夜、あれだけ涙を流したのだ。そうなっても何等可笑しくはない。
「マリィ様。私達でよければ、何でも聞きますし、何でもやります。どうか、一人で泣くなんてことなさらないで下さい。私達がいつでも傍にいるのですから」
ハンナの言葉は、私の心を温かくした。
温かくて、優しくて、嬉しくて、気付いたらまた涙が出ていた。
昨夜、あんなに涙を流して、もう当分涙は流れないだろうと思っていたのに。
「あっ、あっ、あっ、マリィ様っ」
マーシャの慌てた声が聞こえる。
「泣いてしまえばいいんです。気が済むだけ泣いてしまえばいいんです。私達がここへは誰も通しませんから、安心して下さい」
シェリーが私をふんわりと抱き締めると、優しく背中を摩ってくれた。
女の子にこんな風に優しくしてもらったのは、初めてかもしれない。
この国に来て、人生で初の女友達が出来たと言ったら、三人は気分を悪くするかな。私なんかが友達だなんて言ったら、怒るかな。
「……私、アレックが好き」
「まぁ、マリィ様」
かすれた声でそう言えば、たちまちマーシャが色めきたった。
「だけど、どうすればいいのか解らないのっ。好きになっちゃいけなかった。好きになんてなりたくなかった。それは、ずっと解ってたはずなのにっ」
マーシャの嬉しそうな顔が、一瞬に萎んでしまった。
「好きになることに、「いい」も「いけない」もないですよ、マリィ様」