第26話
あるしとしとと控えめな雨が大地を濡らしている静かな日のことだった。
雨の降る日は、外に出れないから私は嫌い……って言うと思ったでしょ?
でも、実際はそうでもないんだよね。雨の日だって色々と楽しいことはある。
例えば、ハンナ達と城内でかくれんぼしたり(城内が広いから本気出さないと、見つけるのに苦労する)、樋からぽたっぽたっと落ちる雨水の下にコップなんかを置いてメロディを作ってみたり、いつものように城内を探険したり、アレックの仕事を邪魔して(決してわざとじゃないよ)みたり、ただただぼんやりと雫が落ちる様を見ていたり、と退屈することはなかった。かくれんぼが女官長にばれた時には、半端なく怒られはしたが……。
今日の私は、廊下の窓から雨を見ていた。
不思議とその日に限って、誰も暇な人がいなくて、みんな忙しそうにしているのを見て、手伝いを申し出たのに、みんな手伝わせてはくれなかった。
ちぇっ、私お手伝いは得意なのにさっ。
ちょっと拗ねた気持ちで部屋を出て、廊下を歩いている時に、ふと足を止めて外を眺めていたら、なんか楽しくなってきて、拗ねた気持ちはいつの間にか消え去っていた。
「ねぇ、君こんなところで何をしているの?」
私は振り替えることもせずに、口を開いた。
「ん? ほら、あそこに亀がいるのが見える?」
その人物が私の指差す先を見ようと私の隣に身を乗り出した。
私はさして気にすることもせず、亀の行方を指で指し示す。
「ほらっ、池の真ん中辺りに岩があるでしょ? その岩の上に亀がいるじゃん」
私には、その声の主が誰かなんて大した問題ではなかった。
「ああ、あの亀ね。あの亀がどうしたの?」
「うん。あの亀ずっとあそこで何かを見てるんだ。何かなって思って観察してたんだけど、よくよく見てたら亀の視線の先の枝に鳥がとまってるのが見えたんだよ。で、思ったわけ。何であの亀はあの鳥をあんなに熱心に見てんのかなって。亀が鳥を捕まえるなんて聞いたことないし、猫なら解るけどね、じゃあもしかして……」
「あの亀はあの鳥に恋をしてるんじゃないか……」
「なんで私の考えてること解ったの?」
私はこの時始めて隣の人物を見た。
私と同じくらいの歳の男の人が私を見下ろしていた。
アレックともジョゼフとも、キールやニールとも違う少年っぽさを残した無邪気な微笑みがとてもよく似合う人だった。
「君の考えていることが解ったんじゃなくて、君の意見と俺の意見が同じってことだよ」
「あっ、そっかぁ。ところで、あなた誰?」
どう記憶をほじくりかえしてみても、この人と会ったことはないように思えた。
「あの亀があの鳥に恋してるとして、じゃあ、あの鳥はどうだと思う?」
あの鳥……。
その人から視線を外し、鳥へ視線を移すと、まさに丁度飛び立とうとしているところだった。
何処か遠くへ飛び去ってしまうのだと思って見ていると、鳥は真っ直ぐに亀の方へ向かい、ゆっくりと亀の甲羅に降り立った。
「ねぇ、あれって亀と鳥は両想いってことかな?」
あの鳥が亀に危害を加えるために甲羅の上に飛び乗ったようには見えない。
ぴょんぴょんと甲羅の上を飛び回る鳥は心なしか楽しそうだ。
「そうかもしれないね」
「ふふっ、なんかいいものを見たぁ。今日は退屈な日だと思ってたけど、そうでもなかった」
あの亀と鳥を見ていると、心が温かくなってきて、自然と口元には笑みが浮かぶ。
「俺も、興味深いものを見つけた」
楽しそうにはずんだ声、彼も亀と鳥のことを言っているのだと、この時の私は思っていた。
「マリィ様っ。マリィ様」
マーシャが大きな声を張り上げながら、こちらに走って来る。
「あっ、マーシャ」
「あっ、マーシャじゃありませんわ。お探ししたんですから」
マーシャが頬を膨らませ、怒ったようにそう言うと、幼さが前面に出て来て可愛らしいと私は思う。
「ごめんね。勝手に出て来ちゃって。みんな忙しそうで退屈だったから」
「もう、準備も終わりました。これからみんなでティータイムでもって思ってたんです。マリィ様がいないと楽しくないですわ」
侍女達三人と私の四人で三時のティータイムは毎日欠かさない私達のイベント。
時にはシルビアやシルビアの侍女達も混ざって大人数のティータイムになる時もある。女性だけのティータイムは、日本で孤立していた私にとって、何よりも耐えがたい大切なものになっていた。
「そっか、もうそんな時間だったんだ。じゃあ、行こうか」
隣りの人物に声をかけようと振り返ってみたのだが、そこには誰もいなかった。
「あれ? いない」
「どうなさったんですか?」
「うん、ここに男の人いたでしょ?」
「すみません、私マリィ様しか見てなかったので気付きませんでした」
「そっか」
突然姿を消すなんて不思議な人だ。
まあ、城内にいたということは、再び会う機会もあるということだ。
マーシャを促して自室へと戻った。
「ねぇ、アレック。今日は何だって突然お食事会になったのかな?」
「ああ、どうだろうな。来てからのお楽しみだって言ってたぞ」
雨のすっかり止んだ夕刻、ルドルフとシルビアに食事に誘われ、アレックと二人、王の間へと向かっていた。
「楽しみだね。突然のことだもん、なんかビックイベントがあるんじゃないのかな?」
「いや、その反対でよくない知らせかもしれないぞ」
「ええっ、そんなのやだよ。絶対いい知らせだって。もしかして、シルビアに赤ちゃんが出来たとか……」
「ああ、それなら有り得るな」
シルビアの赤ちゃん……。
もともと赤ちゃんは大好きだけど、シルビアの赤ちゃんならば、それはもう食べちゃいたいくらいに可愛いんだろうな。
ああっ、楽しみっ。
私に抱かせてくれるかなぁ。
シルビアの赤ちゃんが男の子だったら、そりゃもう超絶な男前に成長するだろうし、女の子だったら国中の男どもが求婚するくらい別嬪さんに成長すること間違いなし。
その子達には私を「おばさん」とは言わせないわっ。「マリィ姉さん」と呼ばせることにしよう。
「おいっ、マリィ。どこまで妄想しに行った?」
「シルビアの赤ちゃんがおっきくなって、私を「マリィ姉さん」って呼ぶとこまで」
「ほぉ、おばさんではないのか。じゃあ、俺も「アレック兄さん」と呼ばせるかな」
茶目っ気たっぷりのアレックの表情が、私のハートを射抜いた。
あうっ、今のは反則だぜぃ。
容易く私にそんな表情を見せないでおくんなせぇ。
はあ、あまりの衝撃に自分でも訳の解らないキャラになってしまった。
「アレック。私も「アレック兄さん」って呼びたいっ」
目を輝かせて、アレックを見上げれば、アレックが驚愕の表情を浮かべた。
「馬鹿言えっ。お前は俺の妹じゃないだろっ。駄目だ駄目だ」
若干、頬が赤くなっているアレックを、イシシっとこっそり心の中で笑いながら見ていた。
「アレック兄さんっ」
「馬鹿っ。止めろっ」
アレックはそう呼ばれると、照れ臭いのかそっぽを向いてしまった。
アレックには少々刺激が強すぎましたか。
「ほらっ、着いたぞ」
扉の前の従官が、私達を確認すると扉を開けて中へと促した。
「おお、よく来たなっ。アレクセイ、マリィーシア殿」
ルドルフの明るい声が私を出迎えてくれた。
その隣りには笑顔のシルビア。
そして、その隣りには……。