第25話
「鏡よ、鏡よ、鏡さ〜ん」
どこの誰の書斎であったかも解らないこの奇妙な部屋で、鏡を探して先程から引き出しを開いては、中を引っ掻き回すという行為を繰り返していた。
「どこにいるのか鏡さ〜ん」
即席で作ったメロディを口ずさみながら次から次へと引き出しを開けていく。
「ん〜、ないのかなぁ」
ひと通り引き出しを探り終えた後、腕を組んで、首をかしげそう呟いた。
なんの気なしにもう一度、一番上の引き出しを開けてみた。
そこは、先ほど日記を見つけた引き出しなのだが、そこにはある筈もなかった。この目で何度も確認したのだから。
が……。
そこには、高級そうな細工がまわりに施されている奇麗な手鏡が入っていた。
「なんでぇ」
そう問い掛けて、誰かが返事をしてくれるわけではないのだが、あまりのことに口をついて出て来てしまったのだ。
「私が鏡を呼んだから出て来てくれたのかな? まっ、いっか」
基本、深いことは気にしない主義、というか、あまり深いことを気にしていたら人生楽しめないと悟った私は、早々に考えることを放棄した。
「方法なんか知らないけど……、取り敢えず呼び掛けてみますか。えっと、こちらマリィ、こちらマリィ。マリィーシアさん、マリィーシアさん聞こえますかっ。聞こえるなら返事して下さい」
こんな方法でマリィーシアが出て来るほど世の中甘くはない。端から期待などしていなかった。
だが、私の予想を大幅に裏切り、それは起こったのである。
鏡の中から突然強い光が放たれ、目を明けていることが出来ずに、右腕で目を保護した。目を閉じただけでは防げないほどの強烈な光。
その光は放たれた時と同じように、唐突に消えた。厳密に言えば、鏡の中に吸収されたと言えるだろう。
遠慮がちに目を開け、鏡の中を覗き込めば、そこには先ほどと変わることなく私がいた。
イヤッ、違うっ。
顔は同じだ。でも、決定的に何かが違う。
それに気付くのに、少し時間がかかってしまった。
何故かって、ついこの間までは、それが、鏡に映るその姿が、私の普通だったからだ。
何が違うって、それは身に付けている衣服だ。
鏡の中の私は、高校の制服を着ていた。そう、つい1ヶ月前ほどまでは、その姿が私の日常だった。
鏡の中の私が遠慮がちに微笑んだ。
私は、少しも笑っていないというのに。私は驚きの為、だらしなく口を開いていた。
それが意味することといったら、その鏡の人物が私ではなく……、
「マリィーシアっ?」
私が叫び声を上げると、再び鏡の中の人物が微笑み、こくりと頷いた。
「あなたは今日本にいるのね?」
微笑みを浮かべたまま、大きく頷く鏡の中のマリィーシア。
姿は見える、私の声も聞こえるようだが、マリィーシアは喋れないのだろうか?
マリィーシアは頷くばかりで一言も発しない。
「お父さんもお母さんも璃里衣も元気?」
この問いにも頷くだけだ。
本当にマリィーシアは人見知りが激しい大人しい女性のようだ。
「いつまで通信していられるか解らないから、さっさと本題に入るね。私とあなたはもう一度入れ替わるべきだと思うの」
この時、初めてマリィーシアは頭を横に振った。
まさかの否定。
「どうして……?」
私が問い掛けると、漸く口を開いた。
「私は、全てを、知って、しまい、ました。全てを、知ってしまった以上、帰る、ことは、出来ないのです」
マリィーシアのたどたどしい小さな声が何とか私の耳へと届く。
俯き加減で、肩に必要以上の力を入れている姿は、人によっては守ってあげたいと思わせ、その反対に苛々を募らせてしまう人もいるだろう。
「どういうこと? 何を知ったって言うの?」
「帰れない。帰りた、くない。ここに、いたい」
私とマリィーシアの会話は噛み合うことはなく、すれ違っていた。
もはやマリィーシアに私の言葉は届いていないように思う。
「祐一は……。祐一はっ、あなたを守ってくれてる?」
祐一の名前を口にすると胸が詰まって苦しかった。
マリィーシアは、俯いていた顔をパッとこちらに向けると私の顔を見て、泣きそうな顔になった。
「……ごめん、なさい」
俯いているので本当の所は解らないが、その声からいって、マリィーシアは泣いているように思う。
ああ、そうか。この子は、祐一のことが好きなんだ。
どこか悲しく、どこかホッとしている、とても複雑な心境だった。
「マッ……」
マリィーシア。
そう呼びかけようとしたその瞬間、鏡は突然始めと同じように、強い光を放った。
またっ。
再び鏡を覗き込んだ時、そこにはマリィーシアの姿はなかった。映されているのは、私の間抜けな顔だけ。
「マリィーシア。早過ぎるよ。まだ、なんにも聞けてなかったのに」
鏡の中に映るのは私。マリィーシアが再び姿を現すことはなかった。
その夜、いつものようにアレックと談笑していた。
「今日は、城で何か面白いものは見つかったか?」
アレックは、私が城の中を歩きまわることを良しとは思っていないようだ。だが、それでもいつものこの時間に、何があったのかを聞きたがった。
「うん。何にもないよ。でも、絶対何か面白い物があると思うんだよね、こんなに広いんだから」
私は嘘を吐いた。
あの部屋、あの部屋で見つけた物、あの部屋で起こった出来事。それらは、隠さなければならないことでは決してないのかもしれない。だが、私の口は事実を語ろうとはしなかった。
あの部屋で見つけた日記と鏡は、私の部屋に持って来てしまった。誰にも見つかりそうにない場所に隠してある。
私の鞄の中。私が今まで日本にいる時に使っていた愛用の鞄。その鞄には誰も触れさせていない。
誰かに直接触らないで欲しいと頼んだ覚えはないのだが、それは暗黙の了解で、誰も私の鞄に触れようとはしない。その鞄に触れたら罰を与えられると本気で思っているような節がある。
「そう言えば、今度シルビアの弟が来るんだって? アレックは会ったことある?」
「ああ、そうだな。俺はまだ会ったことはないが、兄上は会ったことがあると言っておられたぞ。姉上に似て美しい青年だとな」
そっか、やっぱり美青年なんだな。
どんな人が来るのかワクワクしちゃうよ。
「興味があるか?」
「そりゃそうだよ。どんな人が来るのかなとか、どんな顔してる人なのかなとか、どんな声で喋るんだろうとか、どんな性格の人なのかなとか、初めて誰かと会う時にはいつだってワクワクしちゃうでしょ?」
「まあ、そうか?」
どうやら、そんなことを考えているのは私だけのようだ。
「ねぇ、アレック。なんか怒ってない?」
喋り方はいつもと大して変わらないように思うが、その実よくよく聞いてみれば、少し普段よりも声のトーンが低い気がする。
それに、顔は笑っているのに目が笑っていないような気がするのは気のせいか。
「そんなことはない」
「アレックはシルビアの弟が来るのがイヤなの?」
私の言葉に目を丸くして、私を信じられないものでも見るような目で見据える。
ええっ、私そんな突拍子もないこと言ったかな?
理解出来ないアレックの眼差しに、私は首を傾げることしか出来なかった。
「……鈍感なやつめ」
私が何をしたって言うんだ、とあれこれ考えあぐねていた私には、アレックが呟いた言葉は耳に届いていなかった。