第21話
アレックに帰りたいかと問われ、頷き返した後、アレックは淋しそうな表情を浮かべて、そうか、と小さく呟いた。
思い上がりかもしれないが、アレックのそんな表情を見て、私が帰ることを少なからず淋しいと思ってくれているのかと思うと、不謹慎にも嬉しさが込み上げてきた。
アレックの腕に手をかけ、額を押し付けた。
「どうした? マリィ。疲れたのか?」
「ううん。……うん、やっぱり疲れたみたい。もう少しこのままでいてもいい?」
アレックの反対側の手が私の頭上に乗り、撫でてくれる。
言い様もない切ない想いが込み上げてきて、涙が出そうになる。
「家族が恋しいか?」
アレックは私の異変に直ぐに気付いたが、私の涙のわけを大きく勘違いしていた。
アレックの腕に額をつけたまま、かぶりをふった。
「恋人が恋しいのか……」
えっ?
ぼそりと呟いたアレックの言葉に私は顔を上げた。
「なんで……」
聞く迄もない。今では、私の心の声を聞かれないようにすることが出来るようになっているが、こちらに来た当初、アレックは私の心の声を聞くことが出来ていたのだから、当然祐一の名前も何度か聞いていたのだろう。
「……違うの。違う、そうじゃない。この涙は違う」
私はこの時、祐一のことが恋しくて涙を流しているのだとアレックに思われたくなかった。
あんなに毎日一緒にいて、あんなに好きだと思っていたのに、恋人になったばかりの一番幸せな時だったのに、今は祐一のことを素直に一番好きだと言えない自分に失望した。
離れてからまだそんなにたっていないのに、なんて私は薄情ものなんだろう。
「違うの……」
自分の気持ちに苛々していた。
結ばれることの決して叶わない人を好きになれば自分が傷つくことは解っているのに。この胸に一生隠しておこうと思うのに……。
顔を見てしまうと、
声を聞いてしまうと、
その手に触れてしまうと、
目と目が合うと、
優しくされると、
私の意に反して、心は震えだす。
止めたくても止められない想い。
隠したくても隠しきれない想い。
どうしよう。私、こんなにもアレックのことが好きだ……。
アレックのことを考えただけで涙が出るほどに。
「もう平気っ。へへっ、ごめん。泣いたりして、ちょっと今日はやっぱり疲れたかもしれない。町で興奮しすぎて気持ちが高ぶってたのかもしれない」
なんとか涙を押しこめて、目尻を手の甲でごしごしと少し乱暴に拭うと、笑顔を作りながらそう言った。
「じゃあ、今夜は早く寝たほうがいい」
アレックは自分の寝室があるが、最近では、というより婚姻の儀以来、必ず私の部屋で寝るようになっていた。
ただ、寄り添って寝るだけ。
「今夜は俺も自分の部屋で寝ることにするよ。その方がゆっくり寝れるだろう」
二人で寝ることになれきってしまった私が、一人で寝れるのか一抹の不安が、過るが自分のことを心配してくれているアレックの好意を、無下には出来ず黙っていた。
その夜。
「ほら、マリィ。お前はそろそろ寝た方がいい」
そうアレックが口に出したのは、私が欠伸を3回ほど噛み殺した頃だった。
「ううん。まだいいよ」
本当は、眠くて眠くて仕方なかった。
日中ずっと町を出歩いていたのだから、疲れてもおかしくはない。前回、アレックとジョゼフ(キールもいたけど)と外出した時も疲れてバタンキューしたものだった。
「眠いんだろう? 話なら明日でも出来るだろう」
そうかもしれない。でも、もし出来なかったら? 何かの拍子で私が日本に帰ることになったら?
私には、明日があるようでないのかもしれない。
だからこそ、一分一秒を大切に使う必要がある。
「……」
「俺が寝るまで傍にいてやるから」
これじゃ私はまるで子供だ。それもとびっきり小さな子供。
寝ることを愚図る小さな子供。
もしかしたら、私はアレックにそう思われているのかもしれない。または、妹とか。
「解った。寝る。寝るまで傍にいるって約束だからね」
私はいつからこんなに甘えん坊になってしまったんだろう。
日本で、母親にも父親にもこんな風に甘える事なんてここ十何年なかったように思う。もうこの歳になると恥ずかしくて、両親に素直に甘えることも出来ない。いくら、甘えたいと思っていても。
「仕方ないな。ほら、おいで」
アレックの手が当然のように私の前に出される。
私はそれを当然のように手に取るのだ。
アレックの見守る中、私は大人しくベッドに潜り込んだ。
私が横になると、私の手をアレックはそっと取った。
「アレック。……お願いがあるの」
天井を見ながら、アレックに声をかけた。
「なんだ?」
「あのね。無茶なお願いだって解ってるんだ。贅沢なお願いだって解ってる。でもっ、でもね、私がこの国にいる間……、私の傍にいて」
言い切った後、私は恐る恐るアレックの顔を見上げた。
アレックは微笑んでいた。
「アレック?」
「当たり前だ。ずっとお前の傍にいる。逆に俺がお前にお願いしたいくらいだ。頼むから俺の傍から離れるな。お前が王城を抜け出そうとする度に、実際今日は抜け出したがな、俺がどんな気持ちでいるか解ってるのか? 俺は、お前を俺のこの胸の中から本当は出したくないんだ」
アレックはずいっと顔を近づけると、私の額に自分のそれを押しつけると、非難がましい目を私に向けながらそう言った。
それでも、私の胸は鼓動を速めていた。
聞きようによっては、告白を聞いているようにも聞こえる。
期待してはいけないと解っていても、淡い期待を抱いてしまう乙女な私がいた。
そっか、こういうところが女性をたぶらかす要因になっていたわけだ。
アレックの無意識の発言。確かにそれは、100%本心なのかもしれないが、アレックには大して深い意味はもたない。だが、乙女心を持つ女性達にしてみれば、最高の口説き文句となるわけだ。
罪な男よっ。
「ありがとう」
それでも、アレックの言葉は素直に嬉しい。
アレックがどんな気持ちであれ、私を傍に置きたいと思ってくれているのは真実なのだから。
「でも、私が王城を脱走するのは、あれは私のせいとかじゃなくて、私の中の探検心とか冒険心とかが勝手に行動を起こしちゃうんだよね。こればっかりは私の意志では中々克服できないわけで……」
いや、ぶっちゃけ克服しようなんて思ってもいないですけどね。
だって、私からワクワクをとったら一体何が残るのって感じじゃないですか。
「お前ってやつは……。そんなことジョゼフの前で言ったら説教されるぞっ。まあ、お前を縛り付けるつもりはないけどな。だが、絶対危険なことはするなよ。危険な界隈に出入りすることは禁止するぞ。それから、一人では絶対行かないこと。前もって俺に言え、止めたりしない。近衛兵は必ず一人は連れて行くこと。俺が行ければ本当はいいんだが」
「ジョゼフに説教される前に、アレックに説教されてるよ……。ちゃんと解ってるよ。無茶は……多分しないと思う。うん、多分」
悲しいことに、多分と言うことしか出来ない自分が憎い。
だって、ワクワクには勝てないんだもん。こう、思い立って城の外に行こうって思ったら、そのまま行きたくなっちゃうじゃない?
「あっ、そうだ。すっかり忘れてたよ。アレックにお土産買って来てたんだった。おっと、こりゃまだ寝てらんないね」
そう言って飛び起き、ガサガサと荷物をまさぐる私に、アレックは呆れた視線を送っていた。