第20話
「マリィーシア様。そろそろ帰りませんと、殿下が心配されますので……」
ニールの情けない声が私の背中を追ってくる。
「やぁだよぉ。そんなしゃべり方する人の言うことは聞けません」
背後できっとニールは眉毛を下げて、困った顔をしているのだろう。
あんなに何度も注意してるのに、どんだけ意固地なんだっての。
ニールは真面目が取り柄なのかもしれないけど、もっと笑顔を見せてくれてもいいと思うんだ。ニールの笑顔を見ることは今日一日を通しても一度もなかった。
きっとニールには笑顔がとても似合うから。
「勘弁して下さい、マリィ様。殿下に殺されかねません」
「アレックがそんな事するわけないでしょ? それに私、難しいこと要求してないよ? そんな硬いしゃべり方はイヤだって言ってるだけ。ねぇ、ニール。あなた最近いつ笑った?」
「……」
振り返ってニールの顔を覗き込んでみれば、言葉に詰まる姿が目に入る。
言葉に詰まるほどに、自分がいつ笑ったかを思い出せないのだろう。
「あのね、笑うってとても大切なことなんだよ。いつでも笑顔でいれば、その回りには自然と人が集まって来るの。笑顔は自分だけじゃなくて、他人をも幸せにするんだよ? だから、笑うことを忘れちゃダメなんだよ」
死んだおじいちゃんが私によく話してくれた話だ。
そして、おじいちゃん自身もよく笑う人で、その言葉のとおりおじいちゃんのまわりにはいつも人が集まっていた。
おじいちゃんが亡くなった時も、たくさんの人がおじいちゃんの死に涙していた。
そんなおじいちゃんみたいになりたかった。だけど、私は変人扱いされて、私の回りには人は集まりはしなかった。
それでも、私はおじいちゃんの教えを守って笑うことを止めなかった。笑い方を忘れる事なんてなかった。
「どうしました? マリィ様」
「何でもない。死んでしまったおじいちゃんのことつい思い出しちゃって。気にしないで」
本当は涙が零れそうだったが、ニールを安心させる為に、笑顔を作って見せた。
すると、ニールの口元がふっと弛んで、笑顔に変わった。
「仕方のない方ですね。そんなときまで笑う必要なんてないと思いますよ?」
「笑ったっ。今、ニール笑ったよねっ?」
私の興奮気味な声に困ったように笑顔を作るニール。
私はあまりの嬉しさに、涙が零れそうだったのも吹っ飛んでしまった。
「私の笑顔で誰かが幸せになるとは思えませんけど」
「何言っちゃってんの? 私、今幸せ貰ったよ、ニールから。今、ここに幸せ貰ってる人間がいるんだよ」
人の笑顔はとても気持ちのいいものだ。例えそれが、何年かぶりの笑顔でとてもぎこちのないものであっても。
「ははっ。それは良かったです。ただ、言葉に関してですが、幼い頃からこのようなしゃべり方だったものですから、いわゆる癖みたいなものなんです。今日明日で直るようなものではありませんので……」
「もう、いいよ。そのしゃべり方に私も慣れちゃったから、無理に直さなくてもいい。それがニールなら、それでいいよ。……あっ、私が欲しかったやつだっ」
隣の店になにげに視線を移せば、私が欲しかった類のものが、山積みになっているのを発見し、とてとてと走って行った。
その場に残して行ったニールが何故か放心しているのも知らずに。
「うんうん。これならきっとアレックも喜んでくれるよっ。ニール、今日は付き合ってくれてありがとね」
王城へと続く道を、夕焼けのオレンジの景色を眺めながら、ゆっくりと並んで歩いていた。
王城への道は少しの傾斜がどこまでも続くように感じられる、ちょっとしんどい道ではあるのだけど、徐々に坂を上がって行くと、街並みの全貌を見下ろせるようになる。
その景色を見ながら、私は後ろ向きになったりしながら歩いて行くのが好きなのだ。アレックが一緒だとすぐに止められるし、ジョゼフが一緒だと叱られる。
でも、ニールは私の好きなように歩かせてくれた。
「いいえ。私もマリィ様とご一緒させて頂いて、楽しかったです」
とととっとニールの前まで来ると、後ろ向きに歩きだす。ニールと向かい合わせの状態になる。
「ほんとっ? じゃあさ、またデートしようねっ」
「デッ、デートですかっ。すみません。殿下に殺されますからそのようなことは言わないで下さいっ」
「んん? 俺が何だって?」
私の背中が何かにぶつかって、先へと進めなくなった。
頭上からは、聞きなれたアレックの声が降って来る。見上げれば、不機嫌なオーラを醸し出しているアレックの顔がニールを睨みつけている。
「お前達は俺達がどれだけ心配しているのかも知らずに、デートをしていたというのか?」
「いいえっ、とんでもございません。私は殿下の命を受けて、マリィ様の護衛をしていただけでございます。決してデートなどというような大それたものでは決してございません」
ニールは見ているこっちが気の毒になるほど焦っていた。
「アレック。デートじゃないよ、今日はね。私が今度はデートに行こうねって誘っただけだもん」
私の言葉に、アレックの表情がさらに険しくなったように思うのは気のせいだろうか。
「アレック? 私なんか変なこと言ったかな? 今度のデートは、アレックとジョゼフとあと侍女たちとみんなで行こうねって思ってたんだけど……。そんな大勢で行ったら、町の人に迷惑になるから駄目だった?」
そう言ったら、アレックが急に腹を抱えて笑い出した。
突然の出来事に、私もニールも呆然とその様子を見ていることしか出来なかった。
「お前ときたら全く。人の気も知らないで。ふっ、まあいい。ニール、ご苦労であったな。一人でこいつの相手はさぞ大変だっただろう。あとはこちらで引き取るから、もう上がっていいぞ」
ちょっと聞きづてならない台詞があったんですけど……。さぞ大変ってどういうことよ。それじゃまるでニールが私のお守りをしたみたいじゃないのさ。
まあ、ちょっとはそんな感じなのかもしれないけどさ。
完全に否定できないのが悲しいところではあるが。
ニールはアレックに丁寧に挨拶をして、去って行った。
「心配した。一人では出歩かないと約束したんじゃなかったのか?」
私の頭にアレックの大きな手が乗っかっていた。その手に邪魔されて見上げてもアレックの表情を見ることは出来なかった。
怒っている風でもなく、責めている風でもなく、少し寂しそうにも聞こえる声だった。
私は両手でアレックの手を掴むと言った。
「ごめんなさい。約束破って。おばあさんのところに行って来たの。どうやったら日本に帰れるのか聞きに行って来たの」
「マリィ。日本に帰りたいか?」
「うん」
日本に帰りたいかと聞かれれば、頷くしかない。だけど、心の中は素直に頷かせてはくれなかった。
ここにいたい。アレックの傍にいたい。
そう口に出してしまいそうな自分を必死で止めなければならなかった。言えたらどんなに楽だろう。誰の気持ちも考えずに、自分の気持ちを洗いざらい吐き出してしまったらどんなにか楽だろう。
でも、私はそれをしない。
それは、祐一を裏切ることになるから……。
それは、マリィーシアを悲しませることになるから……。
それは、アレックを困らせることになるから……。
隠しても隠しきれなくなってきてしまっている自分の気持ちに、無理矢理蓋をした。
皆さん、いつも読んで頂いて有難うございます。
今回は、マリィとニールのお話でした。キールとニールは顔はそっくりですが、性格はまるで反対です。キールはいつも笑顔で奔放でふらふらっとどこかに行ってしまうこともしばしば、それに対してニールは笑顔がなく生真面目で要領が悪い、でも優しい憎めない人です。