第18話
初夜なのである。
といっても私は本物のマリィーシアじゃないのだから、本来の目的を達成する必要及び義務はないのだけれど。
それでも殿方と一緒に一夜を過ごすなんて……、超楽しみっ。
アレックと一緒に何して過ごそうって考えたら、ワクワクが止まらない。
男の人と一夜を過ごすってことは襲われることだってあるんだって、常識として解っているけど、アレックはそんなことしないって確信がある。
私が嫌がることをするような人じゃない。
「ねぇ、アレック。何して遊ぶ?」
私の一言に天を仰ぐアレック。
「何よぉ。私、何も変なこと言ってないでしょ?」
「そうだなぁ、じゃあ大人の遊びでもしようか?」
私を覗き込むアレックの目が少しも笑っていないことに気付いた私はこの時始めて焦りというものを感じた。
「えっと、大人の遊びって何かなあなんて……」
「解ってるんだろ?」
気付かぬうちにベッドまで追い詰められていて、膝の後ろを引っ掛けてすとんとベッドの上に座る形となった。
「ひゃっ」
改めて顔を上げて、アレックの瞳を覗き込めば、それは艶やかに濡れていて、男らしからぬ色気を含んでいた。
怖いっ。
ギュッと目をつぶり体を強張らせた。
ふっ。
頭上で緊張の糸が切れたように、空気が変わった。
続いて弾けるようなアレックの笑い声が降ってくる。
恐る恐る瞼をこじ開けてみれば、ケタケタと笑うアレックがそこにいた。
「かっ、からかったの?」
ムッとしてそう言えば、パッと笑みは消えた。
影が落ちたと気付いた瞬間、おでこに柔らかいものが触れた。
「マリィは警戒心が無さすぎだ。相手が俺じゃなかったら、襲われてるぞ。それから、そんな顔他の男に見せるなよ」
そんな顔って一体私はどんな顔をしているんだろう。きっと顔が真っ赤であるのは間違いないと思う。
ほら、といって手を差し延べるアレック。
私はアレックのその一連の動作を一秒だって見過ごせないというように、かぶりついて見ていた。それは、無意識な行動であった。
「マリィ? どうした? 怒ってるのか?」
怒ってる? 私が?
怒りの感情なんて少しも湧いてこない。そんなもの心の何処にも存在しない。
頭を激しく左右に振って見せた。
「怖がらせてしまったか?」
反応のおかしい私に、心底心配そうに眉毛を下げていた。
その問いにも頭を横に振った。
確かに一瞬怖いって思ったけど、本当にそれは一瞬のことで、今はそんなもの何処かに消えてなくなっていた。
私は、心配そうに私の顔を覗き込むアレックの手を取ると、立ち上がりそのままアレックの胸へ頭を預けた。
「悪かった。悪戯が過ぎた。もうしない」
アレックは私を優しく包み込み、頭を撫でてくれた。
アレックは勘違いしている。
私は怒っても恐れてもいない。ただ戸惑っているだけだ。
この胸の速く激しすぎる鼓動と、言い様のない苦しみに。
その理由に、気付かないほど鈍感でも奥手でもない。だが、それを認めるわけにはいかなかった。
私には日本で待っている祐一がいる、アレックにはマリィーシアがいる。そして、私はいつか再びマリィーシアと入れ替わり、ここの人間ではなくなってしまう。
出て来そうな芽をいち早く刈り取ってしまわなければならなかった。
その気持ちは、決して育んではならないものだからだ。
「怒ってないよ。怖くもない。ちょっとびっくりはしたけどね」
心に一つの決心をして、私はアレックを見上げて微笑んだ。
私は絶対にアレックを好きになったりはしない。絶対に……。してはいけない。私の為にも、アレックの為にも。祐一やマリィーシアの為にも。
「ねぇ、アレック。何してあそぼっか? 夜は長いよ」
芽生え始めた小さな感情を心の引き出しの奥深くに押し隠して、いつもの私を演じる。
きっと大丈夫。
初期治療で、傷は浅いから、上手くやっていける。
私が日本に帰るまで、一体どれだけの月日をここで過ごすかは解らないが、芽生えた小さな感情を隠した引き出しだけは絶対に開けてはならない。
その夜、私達は明け方まで喋り続けた。友のように、兄弟のように。そして、二人寄り添って、手を繋いで、まるで双子の兄弟のように眠りについた。
翌朝、その光景を見た侍女達は、猫が絡み合い丸くなるように寝ている仲むつまじい二人を起こすことが出来ず、こっそりと部屋を後にした。
城中に二人の仲むつまじさが広まるのに一日とかからなかったのは言うまでもない。
「おばあさん、いる?」
「マリィかい? 私はいつもここにいるよ。さあ、入っておいで。今日は王子はいないんだね?」
相変わらずの暗闇の中から、おばあさんの声と擦るように歩く音が聞こえてくる。その声と音でおばあさんのいる場所がある程度解るっといった有様だった。比較的明るいところから暗闇に入ったので、目が慣れずおばあさんの姿を確認することは出来なかった。
アレックとの婚姻の儀から数日がたっていた。
ここに来てから曜日の感覚がない。日本からここに飛んできたのが一体何日前―――もしかしたら何ヶ月も前のことかもしれないが―――なのかさえもう思い出せない。
この国には曜日の感覚がないようなので、ただ一日一日が過ぎて行く。それだけしか私には解らない。
おばあさんのところに来るのは、アレックと一緒に来た日以来のことだ。
仕事で忙しいアレックを城に残し、こっそりと一人で城を抜け出しここまで来てしまった。このことがアレックに見つかればみっちりと絞られることになるのは火を見るよりも明らかだ。
「今日は一人……じゃないね。家の外に一人隠れているよ」
「うん。完全に抜け出せたと思ったんだけど、つけられてたみたい」
誰かがつけてくる気配は最早気付いていたが、恐らくアレックの差し金だろうと知らないふりをしていた。背後についてくるその人をもまいてしまったら、その後の説教が恐ろしいからだ。
「まあ、家の外に待たせておけばいいだろうよ」
シュボッという音とともに火が灯り、蝋燭の火が辺りを照らし、ようやくおばあさんの顔が姿を現した。
「婚姻の儀を行ったそうだね」
「うん。本当はマリィーシアがすべきことなのに、女の子にとっては大事なことなのに、私なんかが代わりにやっちゃって、マリィーシアに申し訳なくて……」
「それが必然じゃよ。それで良かったんだ。なるべくしてそうなったんじゃよ」
マリィーシアの代わりに私が婚姻の儀を行ったことがどうして必然なのか、おばあさんの言動はいつも私を困らせる。
「解んないよ、おばあさん。ねぇ、教えて。私は日本に帰れるの? マリィーシアはここに戻って来れるの?」
「知りたいのかい?」
私は黙ったまま深く頷いた。
「恐らく帰ることは出来るじゃろうよ。だが、マリィ、お前さんとマリィーシアお互いが共に帰りたいと望まなければ帰ることは出来ない。少しでも心に潜むものがあれば、下手をすれば全く別の場所に出てしまうことになる」
「心に潜むもの……?」
「気付いておるのじゃろ? その心の中に、既にあるもの。それが日本への道を妨げる」
ギクリとした。心の奥深くを見透かされた様な、素っ裸にされてしまったようなそんな気分。とても心許ない……。
「そんなの……ない」