第17話
体が震える程に緊張していた。極度の緊張により音という音全てがどこか遠くから聞こえてくるような感覚に襲われていた。手が尋常じゃ無いくらい汗をかいていて、その割に体温を無くしたように青ざめていた。私にしてはここまで緊張するのは珍しいことといえる。
こんなワクワクすら忘れてしまうほどの緊張は幼稚園での発表会以来だ。
アレックがずっと握ってくれている手は汗でぐっしょりと湿っていた。
ううっ、汗を拭きたいから放してほしい。
だが、アレックは全く放そうとはしない。
「マリィ。緊張してるのか?」
「べっ別に。そんなんするわけないよ」
アレックがいかにも面白そうに私を覗き込むものだから、素直じゃない私は強がって見せた。
「今夜、楽しみだな」
アレックが耳元で囁いた。
「何が?」
「何がって、結婚して初めての夜にすることって言ったら、あれしかないだろ?」
結婚して初めての夜に……。
そっ、それって日本で言うところの初夜っ。
初夜にすることって言ったら……。
「なっ?」
私ががばりとアレックを見上げれば、ニヤニヤと艶やかな笑顔が出迎えていた。
信じられないっ。
アレックにはマリィーシアがいるんだから、そんなこと絶対するわけないじゃん。
でも、周りの目ってものがあるから、今夜はアレックと過ごすっていうのは確実なんじゃないの?
チラッとアレックを盗み見た。
もしかして、私、襲われるっっっ?
「マリィは面白いな。赤くなったり青くなったり、仮面をいくつ持ってるんだ?」
頭をくしゃりと撫でられ、柔らかい笑顔を満面に浮かべる。
「私を、からかったのね?」
ぷいっとそっぽを向けば、隣からはけらけらと小気味いい笑い声が聞こえる。
「さあ、我が姫。私と踊って頂けませんか?」
「イヤよ」
「マリィ。私と踊って頂けませんか?」
さっきよりも真剣なアレックの声にハッとなって、振り向く。普段は「俺」って自分のことを言うのに、ちょっと紳士っぽい喋り方にもドキッとさせられた。
真剣な瞳が私を覗き込んでいる。
「踊ってあげる。仕方ないから。でも、自慢じゃないけど私、下手くそだから足踏んでも文句言わないでよ?」
「ははっ、いくらでも踏んで構わないよ」
アレックは私をエスコートしてフロアの中央に連れていく。
まるでそれが合図だったように美しい音楽が始まる。
さっきまでの緊張がまるで嘘のように消えている。
悔しいけど、それを消してくれたのは目の前にいるアレックだと認めざるを得ない。
全く関係のない話で私の緊張をほぐしてくれたのだ。
「マリィ。ほら、顔を上げて」
女官長に同じセリフを言われた時、怖くて顔を上げることが出来なかったけど。今は違う理由で顔を上げることが出来なかった。
いつもとは違うアレックに、私の心が激しく震えていた。胸の高鳴りを抑えることが出来なくて、とてもじゃないけど顔を上げることが出来ない。
だって、きっと私の顔は真っ赤に染められているだろうから……。
「無理っ」
自分でも可愛くないと思う。素直じゃないと思う。
だけど、アレックの前で可愛い自分をアピールすることは出来そうになかった。
「あっ、もしかして恥ずかしがってんだ? それとも、俺に惚れてしまったかな?」
「そんなことあるわけないっ」
顔を上げて、アレックを睨みつければ、笑顔が待ち構えていた。
「やっと顔を上げたな。ずっと俺を見てて。俺だけをずっと」
それは勿論ダンスをしている間だけなんだろうけど、私には愛の告白のように聞こえて顔がほてるのを感じた。
これ以上、アレックを意識したくないのに……。今日の私は変だ。
「仕方ないから見てあげる。っていうか、アレックが私の顔を見たいんじゃないの? あまりに美しい私を」
「そうだよ。ずっと見ていたいんだ」
目を細めてそう言うと、そっと私を引き寄せ耳打ちした。
「今日のマリィは凄く奇麗だ」
吐息がかかるほどの近距離で囁かれた言葉に私の顔は沸騰しそうなほどに真っ赤になっていた。
「かっからかわないでよ」
「ははっ。ごめん。でも本当のことだぞ。マリィ。……そろそろ、楽しもうか?」
「えっ?」
アレックが私の手を強く引いたかと思うと、今までの倍はあろうかというスピードでリードし始めた。
こんなスピードで踊ったことのない私には、ついて行くのがやっと。いや、もうついて行けずに振り回されている感じ。
でも、そのスピード感が、私のワクワク心をむくむくと膨れ上がらせた。
うわっ、楽しいっ。ジェットコースターに乗ってるみたい。
くるくると回る私達を周囲の来客達は楽しそうに談笑しながら眺めていた。
あまりに激しく回る私達を、次第に手拍子で迎え初め、それはほんの少人数から、どんどんと大人数へと変わり、終いにはみんなが私達のダンスに見入っていた。
私も会場内が一体化する様を体で感じながら、ダンスを楽しんでいた。
もう、下なんか見ない。もう、足を踏んだらどうしようなんて気にしない。
ただただ、今、ダンスを楽しもう。
その曲が終わった時、会場からは盛大な拍手が沸き、さすがにそれには驚いた。
激しいダンスに肩で息をしていたが、とても清々しい気分だった。会場内が一つになった瞬間。それは、滅多に体験することの出来ない貴重な体験だった。
「マリィ。素敵だったわ、やっぱりあなたは楽しいわね」
今日のシルビアもそれはとても美しく、ルドルフと並ぶと絵になる。
ついついうっとりと眺めたくなるその二人に、賛辞を述べられ恐縮していると、再び音楽が流れた。
「今度は私達が躍って来るわ」
シルビアが上品に手を振って、その場を後にした。
その後姿を見送りながら、一人呟いた。
「本当、奇麗。お姫様の中のお姫様って感じ。お姫様になる為に生まれて来たって言ってもおかしくないね、あれは。一生かかっても私には無理だ」
「確かにあの人は奇麗だな。でも、マリィにはマリィの良さがあるぞ。お前はそのままでいい。大口開けて笑ってるお前が俺は好きだからな」
さらりと「好き」だなんて言葉を口にするアレックにどぎまぎした。
待って。そうよっ、こんな風にさらりと「好き」だなんて言葉を言えちゃう人だから、モテたんだよ。こうやって、勘違いする女性が後を絶たないってことだね。
ああっ、危ない。どぎまぎしちゃってどうすんのっ。
「罪な男だねぇ」
アレックを睨みつけながら、そう非難した。
「はぁ? 何で俺が罪な男なんだ。俺は本当のことを口にしたまでだ」
「だからぁ、そうやってさらっと「好き」とか言えちゃうから、傷つく女性達が出て来ちゃうんでしょ? 無責任にそういう言葉を言わないのっ。世の中には恋に夢見ちゃってる乙女な女性達が一杯いるんだからね」
全く、自覚がないのがたらしの典型的なパターンってことだよね。
「俺がいつ誰に好きなんて言ったよ。俺は誰かれ構わず好きだなんて言うような馬鹿じゃない。お前……」
アレックが最後に何か言った時、王と王妃のダンスが終わって会場内から再び歓声が上がった。
「ごめん、アレック。何? 聞こえなかった。もう一回言って」
「いや、聞こえなかったならいい」
少し拗ねたように、少し恥ずかしそうに頬を心なしか染めてアレックは言った。
その様子に私は、首を傾げた。