第15話
「ねぇ、何するのかな?」
「何も怖いことをするわけじゃないんですから、緊張しなくていいんですよ? 殿下に全てお任せすればいいんです」
そんなこと言ったって、私は未成年なんだよ。
そんな経験したことないんだもん。無理な話だよ。
「マーシャ、何で笑ってんの?」
「だって、マリィ様。さっきから心配だなんて口には出していますけど、お顔はそれはもう何が起こるんだろうってワクワクしてるのが隠せてないんですもの」
「うはっ、バレたか。だって、初めてのことをする時ってワクワクしちゃうじゃん」
緊張してないっていったら嘘になるよ。でもね、どんなことだって私にかかればワクワクの源になっちゃうんだよね。
「マリィ様だけですわ。皆緊張で顔が強張るものですもの」
そんなもんなのかなぁ。
まあ、人は人、私は私だからいいんだけどさ。
「とにかく、マリィ様は殿下の隣で笑っていて下さればいいんです」
シェリーが心底心配そうに顔を青ざめていた。
「そんなの容易い御用だよ。私はアレックが好きだから、隣にいるだけで楽しんだもん」
「「まあ」」
ハンナとマーシャが両手を口にあて、喜んでいる。
あっ、かなり誤解を招いてしまったようだ。
友達として好きって意味だったんだけどな。変なふうに解釈したみたい。
そんなこと有り得ないんだけどなあ。
だって、アレックにはマリィーシアがいて、私には祐一がいるんだから。アレックがマリィーシアをどう思っていたかは解らないけど、きっと結婚するくらいなんだから好きだったんだよね。
「はいっ。マリィ様、準備が整いましたわ。本当に美しいです。普段、お化粧なさらなくても十分お綺麗ですけど、今日は一段とお綺麗です」
シェリーの言葉は社交辞令だって解っているけど、ちょっとばかし口が弛むのは聞き慣れない言葉だからだ。
「お世辞だって解ってるけど……ありがと」
頬をほんのりと染めた私へ三人の生暖かい視線が降り掛かる。
何か言いたいなら何か言ってっ。
誉められ慣れていない私にとって、例え社交辞令であっても対応に困ってしまう。
何か言いたそうな、それでいて口元に微笑を浮かべながらのその視線は居心地悪いものだった。
そこへ天の助けのように、ドアを叩く音が彼女達の視線を逸らしてくれた。
「はい」
「マリィーシア様。そろそろお時間ですが、ご準備は整いましたでしょうか」
「はい。出来ました」
ドアを開けて現れた女官長はいつもより鼻息も荒くとても興奮しているようにも見えた。
何か熱く燃えちゃっている人みたいだ。
「マリィーシア様。本日、婚姻の儀の後、パーティーがございます。宜しいですね。くれぐれもそそうの無いように、マリィーシア様は殿下の隣で笑っていていただければいいのです。笑うと言ってもいつものように大きな口を開けて笑うのではなく、手で口を隠して笑うのです。それから、決して料理を勢いよく大きな口を開けて食べずに小さな口で少しずつお食べ下さい。あとは……」
「うん。大丈夫っ。十分に解ったから。ほらっ、もう行かなきゃいけない時間だよね?」
なんだって女官長に目を付けられちゃったんだろう。
やっぱり、あれかな。シルビアを連れ回してびしょんこにしてしまったからかな。
あの日から、顔を合わせれば小言を言われる毎日。
それにしても、女官長の目から見て、私っていつも大口開けてるんだな。
それはちょっとショックかも。これでも女官長の前では口をすぼめてたはずなんだけど。
「さあ、参りましょう」
本日、私はアレックと結婚する。といっても、私はマリィーシアの代理にすぎないのだが。
これ以上、婚姻の儀を延ばすと、周りがうるさいらしいのだ。マリィーシアと私が再び入れ替わるのを待てればそれにこしたことはないのだが、こうなってしまった以上私が代わりに出る他ないのだ。
マリィーシアには申し訳ないって思っている。乙女にとっての人生で大切なビックイベントに出れないなんて。私なんかが出ていいものでは決してないのに。
ごめんね、マリィーシア。あなたのアレックを取ったわけじゃないんだからね。これはただの儀式に過ぎないんだから。あなたがここに戻ったら二人だけで愛を誓い合ってね。
心の中でマリィーシアに対する謝罪を口にした。
アレックと二人、王と王妃が座る玉座の前に跪く。
本日のアレックは純白の衣を纏っていた。まさにお伽話の王子様、実際王子様なのだけれど。
後方に控える官僚や近衛兵、有力貴族達も息を呑んでいるのが解る。
玉座に座る王には数度会ってはいたが、その時の印象とはまるで違った。王であるルドルフは、それはそれはこっちの目のやり場に困るくらいの愛妻家で、シルビアにべったりなのだ。シルビアにメロメロな王しかみたことがなかったので、常人とは違う異彩を放ったオーラはやはり王様、と感心せざるを得なかった。
王もまたアレックと血縁なだけあって美しい顔立ちをしている。
ルドルフとシルビアが並ぶと圧倒的な美にひれ伏してしまいたくなる。
従官がアレックの前に一枚の紙を差し出す。それは所謂婚姻届というものなわけだ。
なるほど、私がシェリーにマリィーシアの署名を練習させられたのはこの為か。まさか皆が見守る中でサインすることになるとは思わなかった。
少し震える手をなんとか動かし、書き慣れない署名を書き上げる。
その用紙は従官によって王の元に届けられた。
「アレクセイ・カリビアナ及びマリィーシア・グルドア。これをもって婚姻が結ばれたことを証明する。また、ここにいる全てをその証人とする。マリィーシア・グルドア、そなたはこれよりこの国の王子の妃として、マリィーシア・カリビアナとする」
王の言葉が言い終わると、そこに陳列していたもの達から歓声が起こった。
怒号のような激しい歓声に圧倒され、だらしなく口を開いてそれを見ていた。
「婚姻の儀って簡単なんだね? 日本のとはちがくてちょっと拍子抜けした」
あの後、あの部屋から下がった私は急に力が抜けた。広い廊下にアレックと二人、肩を並べて歩いていた。庭園の横を通るその廊下からは私が大好きな景色が広がっていた。
「俺は第五王子だからあの程度だが、王は国民の前でもっと大袈裟な儀式をさせられていたよ。お前の国日本ではどんなことをするんだ?」
「日本では新婦さんがお父さんと一緒に入場するの」
「新婦?」
「結婚する女性を新婦。男性を新郎っていうんだ。お父さんに連れられて来た新婦さんは新郎の手を取って壇上に上がるの。そこには神父さんがいて、そこで誓いの言葉、指輪の交換、誓いのキスをするの」
ここでは誓いの言葉も指輪もキスもなく、署名だけだった。日本の結婚式の知識しかない私にとって、ただ人がみている中で婚姻届にサインをしただけの儀式に拍子抜けしたのも仕方ないと言える。
「指輪?」
「うん。私は結婚していますって証。左手の薬指につけるんだよ」
自分の薬指に目を落とした。いつか私も誰かのお嫁さんになる時、この薬指に二人だけの愛の証をはめることになるんだ。
私の憧れ。お揃いのリングを私の大好きな誰かと。
それは祐一かもしれないし、全く別の人かもしれない。
「マリィ」
「ん?」
振り向いてまず目に入ってきたのは、アレックの閉じられた瞳で、それがあまりに近いことを不思議に思った。
その後気付いたのは、唇に感じる感触。