第128話
「お前のその力が欲しい。我の妃となるがいい」
馬鹿男から出てくるのは、馬鹿な言葉ばかり。もはやこの馬鹿男を国王などと呼びたくはない。
「お断わりよ。もし私があなたの妃になったとしても、私はこの力を使ったりしないわ。妃になるのは、反吐が出るほどイヤだから、有り得ないけど」
「ほう。お前を拷問にかけてもか?」
力、力、力。
この馬鹿男は、暴力がなければ、人を動かすことすら出来ないのだろうか。だとしたら、寂しい人間だ。暴力に訴え、人を従わせて、最終的に何が残る。残るのは憎しみと恐怖。全てを失った時、ついてきてくれる人間がいるのか。
早くそれに気付いてくれればいいと思う。
「私は力に屈したりはしないよ。あなたは可哀想だね」
「私が可哀想だと?」
馬鹿男は、不可思議とでもいうように眉をしかめた。
「可哀想。周りがちっとも見えていない。あんたは自分の欲望ばかり。あんたがすべてを無くしたときに、誰か一緒にいてくれる人はいるの?」
「他人に何の価値がある。くだらない。価値があるのは、金と名誉だけだ。人などただの駒でしかないではないか。そういえば、お前を裏切った、女に目が眩んだ愚かなあの王子はどうした?」
私は肩をぴくりと強張ったのを、アレックは目ざとく見ていた。
「どういうことだ、マリィ?」
聞こえないフリをしても良いでしょうか?
ニヤニヤとことの成り行きを見守っている馬鹿男を睨み付けた。
「別に何にもなかった」
「姫は、今日あった出来事も忘れてしまったのか? そうではあるまい。姫が忘れたいと願っているのではないか? さあ、忘れた姫とここにいる王子に私が教えてあげようじゃないか」
意地の悪い笑みを浮かべる馬鹿男を見ていると、胸やけがしてきそうだ。
「やめてっ」
「遠慮するな。親切心だ」
「話すなら、早く話せっ」
「簡単なことだ。姫に心を奪われた愚かな貴殿の兄上が、姫を手に入れるために国を裏切り、私の計画に加担した。そして、私の隙を狙って姫を我が物にしようとした。たったそれだけのことだ」
いかにも愉快だと言いたげに不愉快な笑みが浮かんでいる。
「私に感謝してほしいものだ。姫の貞操は守ったのだからな。まあ、唇を奪われたくらいわけもあるまい」
アレックの様子を窺っている。アレックがこう言えばどんな反応を示すか、報告を受けてある程度承知しているはずだ。
「アレック……」
アレックの握り締めた拳がわなわなと震えている。
「マリィ。大丈夫だ」
アレックは微笑を向けると、男を見据えた。
「それは随分と兄上が世話になったようだ。貴殿がおっしゃったことが事実だったとしても、俺は兄上を許すだろう」
わなわなと震えていた拳はもう平静を取り戻していた。
真っ直ぐに馬鹿男を見据える眼差しは、少しも揺れていない。
「なぜだっ」
「一度誤りを犯したくらい何だと言うんだ?」
実際には、ブレさんが私にキスをしたのは二度目なのだけどね。
「マリィが何も言わないのは、彼女が兄上を許したからだと考える。マリィが許したのなら俺も許そう」
今日のアレックは何割増しか格好よく見えるよ。
「裏切り者は処分すればよい」
「人の誤りを認めることも出来なくて、何であんたなんかが王をやってんの? どんなに優秀な人間だって間違いくらい起こすもんだよ」
「間違いを正すのが王の務め」
「あんたがやってんのは、間違いを正してるんじゃない。間違いをした人間を排除しただけ。そんなのは、正すとは言えない。あんたが一番間違ってるんだよ」
私の言葉は馬鹿男には何一つ通じない。馬鹿男の心に入り込むことは出来そうにない。
相容れない存在。私とは考え方も生き方も根本的に違う。私が何を言っても、馬鹿男の信念が曲がることはないのだろう。
その強い信念だけは、誉めるに値する。
馬鹿男との意思の疎通を諦めかけたとき、ドアがノックされ、数人の男たちが返事を待たずして乗り込んできた。
「お話し中失礼いたします」
丁寧に私達へ頭を下げたのは、牢で会ったあの監守さんだった。
「あっ」
小さく声を上げた私に監守さんは小さく微笑んだ。
「父上。もう、十分でしょう?」
父上……。ということは、この人は監守なんかじゃなく、王族ということになるではないか。
「何が十分だと言うのだ。私は、姫の力を得て、この世界を我が物にするのだ」
馬鹿男の目は尋常ではなかった。何かに取りつかれているかのようだ。
もしかしたら、アリィが一度は恋をしたトラメフィア王国の王子の霊が乗り移っているのではないか。
「父上。あなたはやり過ぎた。罪のない国民を苦しめ、従わなければ即その場で処刑。他国の姫を私欲のために監禁し、無意味な戦争を引き起こし、多数の犠牲者を出した」
監守さんはどうやら本当に馬鹿男の息子のようだ。ではなぜ、監守などしていたのかは理解できない。
しかし、自分の親へ向けるものとは思えない冷ややかな目をしていた。
「私は王だ。みな、私にひれ伏すがいい」
「あなたには失望しました。あなたの暴君ぶりについていくものはもういません。元老院の面々も臣家達も我々王族も、あなたの王位の剥奪に満場一致で賛成しているのです」
「私は王だぞっ。そんなこと、私が認めないっ」
監守さんの呆れた視線に、馬鹿男はまるで気付いていない。それほどに動揺しているということなのだ。
「臣家、元老院、王族。それらのうち八割以上の賛同があれば、王位を剥奪することが出来る。勿論、知っていますね?」
馬鹿男が頭を抱えて、座り込んだ。
低いうめき声が聞こえてくる。
私もアレックもお母さんもことの成り行きを、口をつぐんで見守っていた。
「マリィ姫。地下牢での無礼、そしてなにより、父上の数々の無礼、お許し願えないだろうか? もう、この国の者があなたを付け狙うことはないと、約束致します」
監守さんは、私達の前に立つと深々と頭を下げた。
「いや、あのっ、私なんかに頭下げる必要ないから」
「戦いをおさめて頂いたこと、誠に感謝しております」
頭を下げてくれるなと言っているのに、再び監守さんは頭を下げた。
困惑した私は、アレックに助けを求めた。
「あなたはトラメフィア王国第一王子である、ラステル殿では?」
「ええ、そうです、アレクセイ殿。お会い出来て光栄です。できればこんな形でお会いしたくはなかった……」
どうやら二人とも初めて会ったらしいが、お互いのことをある程度知っていたようだ。
「本当にな。今後の話は我が国王とあなたでしてもらおうか。次の国王にはあなたがなるんだろう?」
「そうなるだろう。落ち度はこちらにある。どんな要求でも極力呑むつもりでいると伝えて欲しい」
この二人はどうやら馬が合うようだ。ほんの一時話しただけなのに、旧知の仲であるような雰囲気を築いていた。
「分かった」
「ねぇ、ラステルさん。あの馬鹿男っ、おっと失礼、国王はどうなるのかな?」
誰の声も聞こえないのか、放心している馬鹿男を見て私は、そう聞いた。
「父上には、静かな田舎の城でゆっくりと隠居生活をしてもらいます」
そっか、と小さく呟いた。所謂、人里離れた古城に軟禁される、ということだろう。
限られた相手としか言葉を交わさない小さな世界で、余生を送るのだ。
散々な目に遭わされた相手であるのに、なんだか可哀想になった。
「この人を愛してくれている人がいるのかな?」
「母上が」
「そっか、なら良かった」
一人でいい。愛してくれている人がいれば、いつか気付くだろう。幸せがなんであるのか。
気付いてくれればいい、いつか。
次回、最終話となります。