第12話
私の手を依然放そうとしないアレックは、私が何処に行くの?、と尋ねてものらりくらりとはぐらかすばかりで、教えてはくれなかった。
落ち着きを取り戻したジョゼフは、私達の後を表情一つ変えずについてくる。その隣りには、キールが。
あれっ、そう言えば、キールいつの間に姿を現したんだ? 確か、あの小屋に乗り込んできたのは、アレックとジョゼフだけだったような気がする。
キールは、姿を現したと思えば、いつの間に姿を消し、姿を消したと思えば現れる。何だか、忍者みたいな人だと私は思う。
ジョゼフもキールも当然のように後に続くところを見ると、行き先を心得ているようだ。三人とも知っているのに、私だけ知らないという事実が私には気に食わない。
町を抜け、ただ道しかない道―――道の両脇は見渡す限り荒野が広がっている―――をひたすら歩き、しまいには日中でもほの暗い森の中に入ってしまった。
「ねぇ、アレック。何処に行くの?」
返事は決まってる。着いたらわかる、だ。
確かに着いたら解るかも知れないけどさ、それを知りたくなるのが心情ってもんさね。
とにかくこの薄暗い森の中、アレックの手に引かれ歩くことしか出来なかった。
都会暮しだった私には森とは無縁の生活だった。勿論、公園に行けば沢山木はあるし、林と呼べるくらいのものならなくもない。だが、お伽話でヘンデルとグレーテルが、白雪姫が、迷い込んだり暮らしていたりしたような奥深い森というのはない。そんな広大な土地があったら政府は早々に森を開拓してテーマパークでも作っているだろう。
それにしても立派な森……。葉っぱと葉っぱの間から微かに光が射している。
風が木々の葉を揺らし、サァッという音を奏でる。その音が四方八方から聞こえるので、圧倒的で恐怖心すら芽生えてくる。
だが、その恐怖心を払拭するように柔らかく可愛らしい野鳥のさえずりが聞こえてくる。
時折見せるその姿は青色の美しい鳥だった。
それから、シマリスも見ることが出来た。木の実を齧りながらこちらを眺め、私と目が合うとさっと走り去ってしまった。
初体験の森は、私にとってはワクワクの宝庫であり、自由に散策したいと思うのだけれど、アレックの手がそれを阻む。
「ねぇ、アレック。あそこに何かいるよ。行ってみようよ?」
「駄目だ。思ったより時間が遅くなってしまったからな」
ちらりと私を覗き見たアレックの目が、時間が遅くなったのは私のせいだと訴えていた。いや、実際そうなんだけどさ。
「この森には夜になると、狼や熊が出没します。遊んでいる暇はないのですよ、マリィ様」
ジョゼフの落ち着き払った声がアレックの後に続く。
「ちぇっ、じゃあさ、またここに連れてきてくれる? アレックが忙しいなら一人で来てもいいんだけど」
「仕方ないな、お前は。また、連れてこよう。ただし、絶対に一人でこの森に入らないように。約束出来るか?」
「ほんと? アレックが連れてきてくれるんなら一人で来る必要もないもん。約束出来るよ。アレックも約束ね?」
流石に私もこうも巨大な森に一人で挑もうという気は毛頭ない。それがどれだけ危険なことかは理解しているつもりだ。
だが、この約束。叶えられるかは解らないのだ。私がいつまた日本に戻るかは解らないのだから。
約束。
出来ない約束はするな、何て言うけど、出来る出来ないなんて未来のことを誰が予測できるって言うんだ。約束は願いのようなもの。こうなりたいね、こうありたいね、と願うこと。私はそう思ってる。
「さあ、もう着くぞっ。あれだ」
アレックが指差した先を見つめた私は足を思わず止めてしまった。
あ、あれは……おっお菓子の家……ではないのか。
そこに有る家は薄暗い森の中で一際異彩を放っていた。
ヘンデルとグレーテルですか?
お菓子の家。お菓子の家ということは中にいるのは魔女なんじゃ。
「うっ……うっとり」
「は?」
「これぞメルヘン。あそこには魔女が待っているんでしょ? ねぇ、アレック。そうなんでしょ?」
もう、私の頭の中にはあの家の中にいるのは、腰の曲がった、黒いマントをはおった鷲鼻のお婆さんでしかない。優しい声をかけて家の中に誘い込み、太らせて食べてしまおうと狙っている悪い魔女でしかない。
私は、もう待ち切れずアレックの手を振り解いて、お菓子の家へと駆け出した。
「おい、こらっ待て」
アレックの制止は、頭の中メルヘンモードの私には一切効力を示さない。
アレックが大きな溜息を吐いたことなど私に知る由もない。
「あっれぇ。おかしいな。アレックっ。この家お菓子の家なのに、これお菓子じゃないよ」
「あははっ。それは全部偽物だ。本物のお菓子じゃすぐに崩れるし、物によっちゃ日持ちしないだろ?」
何て現実的。何て現実的な意見なのっ。
お菓子の日持ちを考えたイミテーションお菓子の家。プラスチックのようなもので出来ているのかと思いきや、その素材はとても柔らかく、本物のお菓子を忠実に再現していた。
全く何も知らずにこの森で迷ってしまった人は、きっとこれらに被り付いてしまうに違いない。
「もういいだろ? 中に入るぞっ」
「ちょっと待って。後も見たいから」
タタタッとかけて後を見ると、私は心底がっかりした。
後は予想外に普通の家……。表をこれだけ頑張ってるんだから裏は手抜きをしないで欲しかった。
しょんぼりと裏から戻って来た私を見て、裏がどうなっているのか知っていたであろうアレックとジョゼフ、キールは吹き出した。
「なんでっ。何でよ? 表をここまでやったなら、裏も頑張るのが普通でしょうがっ」
「きっとそのうちやるさ。今は、面倒くさいんじゃないのか?」
面倒臭いってあんた……、この家の住人はどんな人物なんだ。
「そらっ、入るぞ」
そう言うと、アレックはチャイムを鳴らすこともノックをすることもせず、いきなりドアを開けた。
「婆さん、来たぞっ」
やっぱりこの家で暮らしているのはおばあさんなんだ。
アレックに続いて中に入ってその中の暗さにまず驚いた。外があれだけ華やかな外観をしてるんだから、中もそれなりにと思っていた私を覆す有様だった。
夜ですか? そう聞きたくなるほどの真っ暗闇。先に入って行ったアレックの背中さえ見えない。
「アレック? どこ?」
「ほらっ、ここだ」
がっしりと腕を掴まれ、ギャッ、と小さな悲鳴を上げた。
だって、お化けが出て来そうなそんな無気味な雰囲気を醸し出してるんだもん。お菓子の家と見せかけて~の、お化け屋敷? みたいな。
「待っていたよ、アレクセイ。そのお嬢ちゃんが例のアレかい?」
「ああ、そうだ」
暗闇の中からぬっと音も立てずに現れたおばあさんに、悲鳴を出さないように口を塞いだ。
なんて、現れ方するんだ。
私のそんな動揺などお構いなしに、そのおばあさんは私を凝視する。実際には、暗闇でおばあさんの姿もあまりよく解らないのだが、その気配がその視線が私に向いていることは明らかだった。
「とにかくお座んな、二人とも。ジョゼフもそこに椅子があるから座って待ってな。キールはまた逃げ出したのかい? しかたのない奴だねぇ」
おばあさんのしわがれ声は、まさにお伽噺に出てくる魔女を連想させた。
良く見えないおばあさんの姿がさらにそのイメージを強くする。
「あんたっ、暗いのは嫌いだろうね。でも、少しだけ辛抱しておくれよ。あたしゃ、目が不自由でね。強い光に弱いんだよ」
「いえっ、大丈夫です」
手探りで椅子を探し、何とか腰を掛けた。
おばあさんががさごそと動く音だけが聞こえている。
ボッという音と小さなマッチの光が急に部屋に現われ、その眩しさに目を細めた。
「さて、じゃあ、このあたしに何が聞きたいんだい?」