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光の住人  作者: 海堂莉子
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第127話

 空を見上げた。

 今、この場にいる全ての人々の心を反映しているかのように、黒い雲が覆い尽くしていた。

 牢を出て見上げた際には、青空だったはずの空がほんの少しの間に変わっていたことに驚いた。

「みんなの心を青空にしなきゃ」

 私は胸元に隠していたケースを取り出した。以前、お母さんに貰ったもの。その時必要なものになる不思議な道具。前使った時には大きな針だった。その大きな針で黒い穴を縫い繕ったのだ。

 今度は何が出てくるのか、開けるまで分からない。

 私はそのケースを開けた。

 出てきたのは弓と弓矢だった。大きさなんかは特に普通の弓となんら変わりはない。

 ただ一つ他と違うのは弓矢だ。矢の先端が、通常尖っているはずの箇所が、へこんでいる。壊れてへこんでいるというよりも、意図的にそこに何かを埋め込むためにへこんでいるように見える。

 迷うことはなかった。

 私には分かっていたからだ。そこに何を埋め込むのかを。

 胸元に輝くそれの鎖を勢い良く引きちぎった。青色の宝石を鎖から外すと、それを矢の先端へはめ込んだ。あの海で人魚(姿は見ていないが)が私にくれた青色の宝石だ。

 それは見事に先端にはめ込まれると、キラリと一際強く輝いた気がした。

「きっと出来る」

 半ば自身に言い聞かせるようにそう呟いた。

 弓を真上に向けて構えると、大きく引いた。

 弓を弾いた経験はいまだかつてない。どこか突拍子もないところに飛んでいく可能性もあった。

 だが、迷わない。迷えば、尚更弓が揺れるだろうから。

 しっかりと目一杯ひきつけてから弓を弾いた。

 弓矢は、真上に向けて恐ろしいスピードで上がっていく。重力があるのだから、上に行くほどスピードは下がるはずなのに、不思議とスピードは加速しているような気がしてならない。

 矢は上へ上へと進み、雲まで達するとその矢が刺さった箇所を中心にして、黒い雲が晴れて、空が見え始める。

 空の中央まで届いた矢は、上空で止まったように見える。そして、矢は宝石が埋め込まれた箇所から枝分かれし、大きな花のように広がった。

 その上に輝く青い宝石は、おしべのようにその真ん中に浮いている。

 花びらと化した矢は、そのまま下へと落下していく。そのまま空中に留まる青い宝石は、突然弾けとんだ。黒い雲がそれと同時に吹き飛ばされていく。

 太陽が出てきたことで、辺りは急に明るくなった。そこへ宝石が弾け飛んだことで、雨のようなものが降ってくる。

 一見すると天気雨のような感じを受ける。だが、それは雨ではない。雨でもなく、雪のようで雪でもなく、光のようで光でもない、シャボン玉のようでシャボン玉でもない。

 雨よりも雪よりも光よりもシャボン玉よりも美しかった。

 私はそれが落ちてくる様を、惚けたようにただ見つめていた。

 落ちてきたそれを受け取るように、右手を胸の前に上げた。

 手の平に振り落ちたそれは、

「泡?」

 人魚姫は、王子を刺すことが出来ずに海へと飛び込み、海の泡となって消えた。

「海の泡……」

 人魚が私にくれたあの宝石は、海の泡の結晶だったんじゃないか……。

 日本で語られた人魚姫が事実であるのなら、これらの泡は人魚姫なのではないかと思えてくる。人に恋をして、海の泡となった人魚達なのではないか。

 ふと我に返ると、辺りは静まり返っていた。

 辺りを見渡せば、みな海の泡を見上げていた。

 不思議なことに、血を流し、倒れていたもの達がゆっくりと起き上がる。

 兵士たちは戦いも忘れて、海の泡に見入っていた。

 今までどんよりと黒い感情が覆い尽くしていたこの戦場から、それらが消えてなくなっていくのが分かる。手に持っていた弓が小さく小さく縮んでいく。

「マリィ。あなたは、やったのよ」

「私、戦いを止めることが出来たのかな?」

 お母さんから貰った道具は、その仕事が完了しないと小さなサイズには戻らない。弓は、小さなサイズに戻ったのだ。

 ならば、私がすべき仕事を遣り遂げたということとなるのだ。

「ここにいる誰一人からも戦意が感じられないわ」

「お母さんっ、怪我は?」

「直してくれたのかもしれないわ。この泡が……」

 完全に命を落とした人を救うことは出来ないが、怪我はあの泡が癒してくれた。

「女神だっ」

「光の住人だっ」

 竜に乗った私達を見つけた幾人かが口々に声を上げた。

「マリィ様っ」

「奇跡を起こされたんだっ」

 カリビアナの国民達も声を上げる。

 正直、私が奇跡を起こしたわけじゃない。奇跡を起こしたのは海の泡であり、人魚の力だ。私は弓矢を放っただけにすぎないのだ。

「なんか、凄いことになっちゃったな……」

 奇跡とか女神とか勘弁してほしい。

「お母さん、私、馬鹿国王のところに行こうと思う」

「私も行くわ。もう、決着を付けましょう。いい加減付け回されるのはうんざりよ」

「うん。取り敢えず、アレックどこにいるかな?」

 アレックの姿はすぐに見つかった。

「リューキ、ごめんね。アレックを拾ってそのまま城にいる馬鹿国王のとこまで飛んでくれる?」

『もちろん』

 すぅっと低空を飛行し、私はアレックの手を掴んだ。

「お前たちはここで待っていてくれ。もう、戦いは終わった。怪我人は手当てを、命を亡くしたものは丁重に扱ってやってくれ」

 アレックの指示にカリビアナ軍のみならず、トラメフィア軍の兵士たちも威勢の良い返事を返す。

「アレック。良かった無事で……」

 アレックに抱きつくと、涙が零れ落ちた。まだ、最後まで終わってはいない。泣くのは、そのあとにすべきだ。けれど、涙が勝手に出てきてしまったのだ。

 自分で思っているよりも何倍も私はアレックと離れていることが堪えていたのだ。

「もう、離れないからっ」

「ああ、そうしてくれると俺も嬉しいよ。俺がどれだけ心配したと思ってるんだ? もう、お前をどこにも一人でやったりするもんか」

 ブレさんが起こした裏切りを私の口からアレックに伝えることはしない。アレックが逆上してブレさんに切りかかってしまうのは勘弁して貰いたい。可能であるのなら、墓場まで持って行こうと考えている。

 アレックの指が私の頬をなぞり、そっと頬にキスをした。

「これ以上のことをすると、リューキが煩いから我慢するよ。全ては、終わってからだ」

 リューキの体がぶるりと揺れた。その通りだと、肯定しているかのようだ。

 初めてここに乗り込んだ時のように、バルコニーへと降り立った。

「リューキ、戦場の方でなにか手伝えることがあれば、手伝って欲しいの。皆を怖がらせないようにね」

『分かったっ』

 リューキとお母さんの竜は連れだって、戦場へと戻って行った。

 竜の背中を見送ると、三人は部屋の中へと踏み込んだ。

 馬鹿国王は、大きな椅子に座り、紅茶などを優雅に飲んでいた。

 自国の国民が、国王の命令を受け、命をかけて戦っているというのに、お前は呑気に紅茶など飲んでいるのか。

 この男は駄目だ……。

 人の尊さも、人の痛みも、人への敬意もなにも分かっちゃいない。こんな男が国王であることが、国民にとってどんなに悲運であるのか分からないのだ。

「おやおや、お揃いで。戦いは終わったのかな?」

 この男を殴りたいと思った。殴ったって恐らくこの男には何も伝わらない。何を話しても、魂に語りかけてもこの男の気持ちを変えることは出来ないのだ。

「国民に戦う意思はもうない。戦いは終わったんだ」

 私が内心、腸が煮えくりかえっているその隣りで、アレックが淡々とそう述べた。

 一見、冷静そうに見えるアレックだが、その実かなり怒っているのが分かる。

 静かな怒りが、アレックを包み込んでいた。


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