第119話
トラメフィア王国から非常識な内容の文書が届いた。
その内容たるや、
『マリィーシア・カリビアナ嬢を我が妃に迎えたい』
というもの。
この文書には、私やアレックだけじゃなく、ルドルフや周りの皆も憤慨していた。
早々に私がアレックの妃であり、トラメフィア王国に嫁ぐことは出来ない旨をしたためた文書を送った。
するとその返事として、
『婚姻をただちに解消し、我が妃として嫁がせよ。それが貴国にとって賢明な行動である』
とあった。
私をトラメフィア王国に嫁がせなければ武力行使もいとわない、といった所謂脅しでしかなかった。
「なんなんだっ。絶対にこんな男にマリィを渡したりしないぞ」
憤慨して暴れまくるアレックをジョゼフに任せ、私はルドルフに対峙した。
「私、トラメフィア王国に行ってくる」
「何を言っている。離縁なんて私は認めない」
珍しくルドルフが声を荒げた。聞いていた人々も次々に頷いている。
「違うよ。アレックと別れるつもりなんてちっともないよ。私はね、直接このどうしようもないバカ国王を説教しに行くんだよ。必ず帰って来るって約束する。だから、行かせてくれないかな?」
「マリィが行くなら俺も行くぞっ」
暴れ回っていた筈のアレックがいつの間にか後ろに立っていた。
「ダメよ。アレックじゃ、冷静に話なんて出来ないでしょ? 誰かを同行させることを許してくれるなら、ブレさんを連れて行ってもいいですか?」
「私もお供させて下さいっ」
今まで壁に背中を向けて黙っていたシェリーが前に乗り出してそう叫んだ。
「ダメよ。シェリーには、ご両親がいらっしゃるで……」
「両親は先日亡くなりました」
私の言葉を遮り、かぶせるようにそう言った。
「シェリーっ。それは本当なの? どうして帰らなかったの。言ってくれれば良かったのに」
私に遠慮して言わなかったのだろう。私なんかのために親の死に目に会えなかったというのか。
「私には、帰るつもりが毛頭ありませんでした。私の両親は、私が侍女になると決まった時、どんなことがあっても主人に仕えなさいと言いました。私達にどんなことがあっても、主人を優先しなさいと。両親は、私がここにいることを誇りに思っていると思います」
泣いてくれていいのに。弱音を見せてくれていいのに。もっとわがまま言ってくれていいのに。
きっと、そう言ってもシェリーは、大丈夫です、と燐とした笑顔を向けるのだろう。
「分かった。マリィ、私が反対しても行くのだろう?」
「はい」
「そうか。ならば、行くといい。ブレットとシェリー、それからニールも同行してくれ。いいな」
「はいっ」
アレックは、不満そうでいつまでたってもブツブツと何事か呟いている。
「支度が整い次第出発したいのですが……」
「止めても無駄なのだろう。好きにやってみなさい。だが、マリィ。必ず無事に帰ってくるのだぞ」
「ありがとう、ルドルフ。絶対に無事に、一人も欠けることなく帰って来ます」
深々と頭を下げたあと、部屋を出た。
「ブレさん、勝手に決めちゃってごめんね。本当は、行きたくないよね?」
「大丈夫だよ、マリィ。お前が俺を選ばなければ、自分から志願していたさ」
「そう言ってくれると、ありがたい」
ブレさんと話を交わしている途中も、アレックが後ろからブツブツ言っている。
足を止めて、アレックに向き直った。
「アレック。ちゃんと無事に帰ってくるから。ね?」
ブレさんは自室に行く為去っていき、ニールとシェリーも支度をするためそれぞれ散っていった。
「アレック、聞いて。私ね、アレックとずっと一緒に楽しく過ごしたいの。アレックと色んなことしたいし、いずれは赤ちゃんだって産みたいし。それには、このどうしようもない厄介な事例を早いとこ片付けたいのよ。長引かせたくないの。気の抜けない日々を送るのもイヤなの」
早く少し前のような幸せな時間を取り戻したい。ゆっくりとアレックと過ごしたい。
そのためには、行動するしかないように思うのだ。
「大丈夫。私にはこの力があるもん。いざとなったら、ここに瞬間移動して帰ってくるからね」
捕まってしまったって、アレックの胸に飛んでくればいいんだ。心を読んだり読ませたりすることだって出来る。
「行くな。お前と離れるなんて考えられない。行かないでくれ」
アレックが泣き出してしまうかと思って、抱き締めた。
これからこの温もりから離れて、旅に出なければならないんだ。そう考えただけで、止めてしまいたくなる。だけど、私たちの未来は自分で守りたい。
私の手でアレックを、みんなを、国民を守りたい。
「アレック。大好き。帰って来たらアレックのわがまま一杯聞いてあげるから、いい子で待っててね」
「俺は子供じゃないぞ。……行くんだな。行ってこい。行って、必ずバカ国王を止めてこい。そして、必ず俺の胸に帰ってこい。約束だ」
「うん。約束ね」
永遠の別れになんて絶対にさせない。戦争になんて、絶対にさせない。アレックにあんな顔、絶対にさせるもんですか。
私からアレックの唇を塞いだ。私の背中に回されたアレックの腕が窒息しそうなほど私を強く抱いた。
私達の旅は、リューキの背中に乗って行くことにした。
前々からこんなこともあろうかと、リューキの背中に載せる籠を作って貰っていたのだ。これで、落ちる心配をすることもない。
「リューキ、私達を乗せてくれる? 危険な旅になるかもしれないの。それでも、乗せてほしい」
『僕はマリィのパートナーだよ。いつでも乗せるよ。危険でも僕はマリィの傍にいる』
リューキのざらざらした肌を撫でた。四人も乗せたことのないリューキには、重労働だろう。でも、リューキには頑張って貰うしかない。
籠のなかに乗り込む前に、アレックに駆け寄り抱きついてキスをした。名残惜しいが、アレックの胸を押して離れると踵を返して走った。
今、振り返ったらダメだ。
アレックの顔を一度でも見たら、引き返してしまうだろう。
私は引かれる想いを強引に断ち切り、既に乗り込んでいる三人の手を借りて籠の中に乗り込んだ。
「リューキ、お願いね。行先はトラメフィア王国」
ぶあさっと大きな音と風を巻き起こしリューキの翼がはためいた。
ふわりとリューキの状態が持ち上がったと思ったら、一気に上昇した。漸くその時、アレックの姿を見下ろした。
アレックは笑っていた。私の帰りを信じて、笑顔で見送ってくれていた。
離れたくない。ずっと傍で、その温もりの中に閉じ籠って生きていきたい。争いなんてなく、厄介事なんてなく、ただ平和に、ただそれだけを望んでいるだけなのに。
自分に課せられた運命をこの時ばかりは呪いたくなった。
お母さんは、私が帰って来るまでカリビアナ王国に留まっていることを約束してくれた。
「いい、マリィ。危険が迫ったら、私を呼ぶこと。必ず助けに行くから。本当なら行かせたくないのよ、でも、行くと言ったら行く娘だということを分かっているから」
真剣な目で私を送り出してくれたお母さんの目には涙が溜まっていた。懸命に涙を堪えていた。一粒だって落とすまいとしている姿を見て、私も涙をこらえた。
絶対に帰って来る、この城へ。
城の上空から見下ろし、心の中でそっと誓った。