第117話
「サイラス。場所を変えましょうか」
心は何故か落ち着いていた。サイラスが私を光の住人だと知った時、どんな行動を起こすかは想像できないが、私は酷く落ち着いていたのだ。
脅されるかもしれない。無茶な取り引きを言い渡されるかもしれない。ただ純粋に何かお願いされるかもしれない。まあ、最後はないような気がするが。
サイラスを伴って庭園に出た。池の前のベンチに座ると、後ろからついてくるサイラスに座るように促した。
「私が思うに、サイラスはさっきの質問の答えを私から聞かなくても、知っているのでしょう?」
私よりも何故サイラスが怯えているのだろうか。
俯いたまま僅かに頭を上下した。
「なら、なんでそんなことを聞くの? あなたは、どうしてここに来たの? もしかしたら、生き倒れというのも嘘なんじゃない?」
「生き倒れになったのも賊に襲われたのも事実だよ。ただ、父上に言われて、ここに潜り込むように言われたんだ。俺には父上が何を企んでいるのか分からないけど、きっと良くないことに決まっている。だから、マリィ。十分気をつけて」
全て信じて良いものか。
巧みな嘘かもしれないのだ。人は真剣な顔をして、嘘を吐く。
「サイラス。あなたの父上か、それか近しい人に何か香を操る人がいるかしら? それとも今回、旅立つ時にお守りか何かを渡されなかったかしら?」
背後から突然、声がして飛び上がらんばかりに驚いた。それはサイラスも同じだったようで、口を開いたまま声の主であるお母さんを見ていた。
「どうなの、サイラス?」
今、このタイミングでここにいるということは、無事に催し事は済んだのだろう。
「あ? ……旅立つ前にお守りだと言ってこれを渡されました」
慌てたサイラスが首もとをまさぐると、服の中からペンダントを取り出してきた。
「それちょっと見せてくれる?」
サイラスはお母さんに促されるまま、ペンダントを受け取った。そしてそれを鼻に近づけると僅かに顔を歪めた。
「サイラスは、父上にマリィを攫ってくるように言われたのね?」
サイラスがうなだれている。
まさか、本気で私を攫おうとしていたのか?
「父上は、俺にマリィを攫ってくるように命じました。俺は、父上に逆らえません……」
「そりゃそうよね。逆らったら殺されるものね?」
「お母さん、どういうこと?」
「あの男は、私が国を離れられない今を見計らって、マリィを攫うように息子を差し向けたのよ。このペンダントには、私達が嫌がる獣の匂いが付けてある。普通の人間なら気にならない匂いだけど、私達には嫌なものよ。体中の力が入らなくなり、意識を失う。あなたが攫われないで済んだのは、この匂いがとても弱いものだったからよ。サイラス。あなた、これを水の中に落としたかしたんじゃない?」
「はい。落としたわけではないのですが、賊に襲われた時に泥だらけになってしまったので、小川の水で洗いました。それから、この城に来てから池に飛び込みました」
大体のことは理解した。
私が初めてサイラスにあった時に嫌な感じがしたのは、その匂いがまだある程度残っていたからなのだ。サイラスの人柄じゃなく、その匂いに反応していたのだ。
私が意識を失わずに済んだのは、サイラスがペンダントを洗ったことと、散歩中に池に飛び込ませたことで、その匂いが水に流されたからなのだ。
「どうして私を攫わないの、サイラス? 私を攫わずに国に帰ったらお父さんに……」
「そうね。あの男は誰にも心を許さないの。実の息子でも容赦なく切り捨てるでしょうね」
なぜ、私をすぐに攫わなかったのか。私はちょくちょく脱走しては一人になるので、例えペンダントの効力がなくても、攫おうと思えばいつでも出来たはずなのに。
「俺には、父上のやるような強引なやり方は出来ない。そういうのは好きじゃないんだ」
「そうね。サイラスは、あの男と血が繋がっているとは思えないほど優しいものね。サイラスには虫も殺せないわよ」
さっきから聞いていれば、どれだけ残忍な奴なんだ、サイラスのお父さんは。
「サイラスは本当に私を攫う気はないの?」
「ああ、ない」
「じゃあ、ここにいたら? 殺されに帰るなんてあんまりだもの」
殺されに行こうとするものを行かせるわけにはいかない。
「それにしても、あの男がマリィのことを知ってしまったなんてね。あの貪欲な男がそう簡単には諦めてはくれないでしょうね」
「マディ殿。あなたが知っていることを全て話して頂けないか?」
気付けば、アレックとルドルフ、シルビアまでもがそこにいた。
「そうね。でも、ここでは誰が聞いているか分からないわ」
「では、場所を移そう」
王城の中の一室に入ると、ルドルフは人払いした。
会議室のような(実際会議の際に使うのだろう)部屋に、テーブルが円を描く形で置かれている。
「私から、話をするわね。この話は実証はされていない話だから、信じる信じないは個人の自由だと思うけどね」
お母さんは、私に話してくれた人魚が先祖という話をその場にいた人々に聞かせた。
しんと静まり返った部屋に、お母さんの声だけが際立って聞こえる。
「その王子がいた国というのが、トラメフィア王国であり、アリィが逃げ隠れ、トラメフィアと戦った国がカリビアナ王国だった」
その事実は私の知らされていないものだった。
まさか、王子がいた国がサイラスの国だったとは。サイラスは王子の血を継いでいるのだ。
「王子の執念は凄まじいものだった。私達が隠れ暮らすようになったのは、トラメフィアに見つからないようにするためだったのよ。トラメフィアの国王がマリィの存在を知ったなら……」
「なんとしてでもマリィを手に入れようとするわね」
シルビアが優雅な声を崩さず、語尾を引き取った。
「お母さんは狙われないの?」
お母さんも捕まってしまったら……。
「私の存在に気付いていないか、それとも知っているのか」
「何を?」
「マリィ。私達の寿命はとても短いの。私もそんなに長くないのよ。それを知っていて、私には利用価値がないと思っているのかもしれないわね」
「嘘……」
お母さんが長くないって、どういうこと? まさか、お母さんが長くは生きられないってことじゃないよね?
せっかく会えたのに? 私達の長い空間がまるで嘘のように大好きになったのに? 長くないってどれくらい? 十年? 五年? 一年? まさか、もっと短いんじゃ。
「大丈夫よ、マリィ。そんなすぐに死んだりなんかしないから」
私の不安を払拭させるように微笑んで見せた。
だがその微笑みには、一種の覚悟のようなものが見て取れた。自分の運命を受け入れた静かな瞳をしていた。
まだ、別れたくない。もっと、教えて欲しいことがある。そんな急にそんなこと言われたって。
「マリィ。そんな顔をしないで。私が必ずあなたを守から。ね?」
駄々をこねた子供を宥めるように言うお母さんに懐かしい思いがふっと湧いてくる。小さい頃に同じ言葉を貰った気がする。
「俺もお前を守るぞ」
アレックが、泣きそうになっている私の頭を撫でる。
「「「俺も(私も)守るよ」」」
いくつかの声が重なっていた。ここにいるみんなが味方なんだ。
「私もっ、みんなのこと守るからっ」
涙なんて吹き飛ばした。今ならどんなことでも出来る気がした。
みんなと一緒なら……。
戦える。
皆さんこんにちは。いつもありがとうございます。
終わりの目処がたちました。あと十数話で終わる予定です。
最後までお付き合い頂けたら幸いです。