第114話
ぶるりと震えて、その恐怖を打ち消すように頭を左右に振った。
「どうした、マリィ?」
いつもの優しげな声が私の名を呼んだことで、私のなかに潜んでいた恐れがそれ以上出て来ようとするのを防いでくれた。もし、あのまま一人でいたら私はこの恐怖にどっぷりと浸かってしまっていただろう。
あの夢の中のアレックは、感情の全く感じられない表情を浮かべ、強く握り締めた刀を躊躇なく、振り下ろしていた。同じように何人も何人も、アレックの足元には、血を噴き出して倒されている赤い塊がいくつも見えた。
アレックの顔をまじまじと見つめる。
私に見つめられて、のほほんと首を傾げている人物、人など殺したこともないであろう温室育ちのアレックがあんな風になるわけないのだ。
でも、思うのだ。あの夢が正夢だったら? あの夢が予知夢だったら? 私に未来を予知する力があるんだろうか。誰かが私に警告しているんだろうか。
いくら考えても、最終的に同じ最後を迎える気がして、恐ろしい。
「アレックは、この国で戦争が起こったらどうする?」
「なんだ? 突然。そんなことないとは思うが、そうなった時には、俺がお前を守ってやるからな」
呑気な笑顔に今ほど救われたことはない。その笑顔がそんなものはただの夢でしかないと、笑い飛ばしてくれているように感じる。
「そっか、その時はよろしくね。でも、絶対に死なないで」
まるで戦場に向かう兵士に向けた言葉のようで、自分自身戸惑った。
「勿論。俺はお前を残して死んだりしない」
ケタケタと小気味よく笑うアレックに心が少し柔らかくなった。
「うん」
アレックが頭をくしゃりと撫でて笑う。少しずつ現実を思い出し、不安や恐れも小さな塊へと姿をかえていく。
「ねぇ、アレック。何して遊ぶ?」
小さな塊を心の隅っこに片付けて、元気よくそう言えば、今度は呆れた笑みを浮かべる。
「お前は今日は大人しくしていろと言っただろ?」
「大人しく出来ることなら良いでしょ?」
大きく息を吐くと、お手上げだというように、肩をすくめた。
私とアレックはその日、トランプをして楽しんだ。途中でエレーナとシェリー、マーシャが加わって大トランプ大会となった。
身分の違いも関係なく、がちでトランプで勝負すると、大抵のゲームはシェリーが一抜けする。そして、びりは決まって私なのだ。
こんなに弱かったかな、私。
思えば私がトランプをしたのは、日本の家族と祐一だけだ。その時は、一抜けにならないとしても、びりにはなっていなかった。びりはいつでもお父さんかお母さんだった。
もしかしたら、二人は手を抜いて私と璃里衣を勝たせていたんだろうか。
そうなのかもしれない。そうなんだろう。
そんなことを思い出しながら、エレーナが持っているカードを抜き取りそれを引っ繰り返すと、まんまとジョーカーだった。
私が顔に出さないようにショックに打ち拉がれていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。
「殿下。ちょっと宜しいでしょうか?」
扉を開けてジョゼフが入って来た。どうやらブレさんも一緒のようだ。
「なんだ? まさか、今から仕事しろなんて言うんじゃないだろうな?」
「いえ。仕事ではないのですが……」
「城門のところに生き倒れがいるんだ。恐らく身なりからして、どこかの国の貴族か王族なんじゃないかな」
ジョゼフが躊躇っていると、ブレさんが一息に言い切った。
こんなところにわざわざ生き倒れ?
城門までには緩い坂をコツコツ登ってこなければならないのだ。
そこまで根性で歩いてきた?
「そいつ怪しいんじゃないのか? ブレット、お前見たのか?」
「ああ、見た。俺は、どこかの国の王子だと思う。どうする?」
「兄上は今、不在だ。第一王子のお前が決断することだ」
この王城に住み、城内のあらゆる位のものから信頼されているアレックであるからたまに忘れてしまう。
王が不在なら、その際の決断は第一王子のブレさんがすべきことなのだ。
「そうだったな。保護することにしよう。どこぞの王族が我々は助けてもくれない冷たい奴らだったなどと噂されるのも懸命でない。保護し、身元をただちに調べあげろ。身元が明かされてから、その後の対応は考える。いいな?」
「ああ」
アレックはブレさんとジョゼフと共に出ていってしまった。
アレックが出ていった後、部屋の中はしんと静まり、暗黙の了解でトランプはおしまいとなった。
「なんだってこんなところで生き倒れなんてなったのかしら?」
私と同じ疑問をエレーナは口にした。
「分からない。歩いてここまで来たのかしら。馬車は? 馬は?」
私の独り言のような呟きにエレーナも首を傾げた。
出来れば今すぐアレックを追い掛けて、私もその人をみたい。
「その生き倒れが男前で、どこかの国の王子だったらいいと思わない?」
エレーナのその言葉で、なにかしらの素敵な出逢いを望んでいることが分かった。
「素敵な王子様だったらいいね? そしたら、エレーナお嫁さんにして貰えばいいんだよ」
ニコニコしながらそういうと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「そういえば、エレーナは好きな人とかいないんだ?」
出逢いを望んでいるくらいだからいないに決まっているんだけれど。
「いっ、いないわ」
この手の恋話が恥ずかしいのか、私の顔を少しも見なかった。
エレーナは、アレックを凄く好きだ。恐らくそれはエレーナの初恋のようなものだったのかもしれない。どのくらいエレーナが強くアレックを想っていたのかは分からないが、長いことアレックしか見ていなかったことは予想がつく。アレック以外に目などいかなかったのだろう。
私が現れたことで、その想いは断たれてしまったのだ。
「じゃあ、エレーナはどんな人が好みなの?」
「えっ、ええっ、そうね。やっぱり優しい人がいいわっ。顔はそんなに気にしないの。本当に不細工な人はイヤかもしれないけど、それよりも心が奇麗な人の方がいい」
相当な不細工じゃなきゃいいというけれど、アレックやルドルフやブレさんを間近で見て来たエレーナの基準は恐らく高いように思える。例えば私が普通だなって感じる容姿の人を、エレーナなら不細工と感じるのだろう。
どっちにしろ、エレーナはまだ本気の恋をしていないのだと思う。
「エレーナって兄弟以外の男の人とあんまり話さないよね。別に男性恐怖症ってわけじゃないんでしょ?」
「そっ、そういうわけじゃないけど……」
エレーナが可愛い。
普段はどちらかと言えば高飛車な雰囲気のあるお姫様だけれど、こういう話をしている時のエレーナは始終頬を染めている。
「ねぇ、じゃあジョゼフなんかどうなの?」
「そんなの有り得ないわっ」
前前から思ってはいたんだ。ジョゼフとエレーナってちょっとお似合いなんじゃないのかなって。エレーナが家族以外で普通に話せる唯一の男性であることだし、ジョゼフと話している時のエレーナって、いつも頬がほんのり赤い。そして、突っ張っているような話し方をするのだ。それがなんだか照れ隠しで、突っ張って見せているだけのように私の目には映るのだ。
まだ、もしかしたら自覚がないだけで、エレーナは彼を意識しているんじゃないのかな。
ジョゼフとエレーナ。
とってもいい組み合わせだな、なんて思って一人口元をゆるめた。