第113話
「おい。何をしている?」
ブレさんを見下し、地の底から聞こえるような低い声を出すアレック。
まだ仕事中のはずのアレックがなんでここにいるんだろう。
「今すぐ離れろっ」
「あのっ、落ち着いてアレック。ブレさんは悪くないんだよ。私が勝手に抱き付いたんだから」
私が慌てて言い募ると、眉を上げて私を凝視した。
「お前はなんて無防備なんだ。仮にもこいつはお前を好きだと言っている奴なんだぞ?」
静かに怒りを顕にするアレックは、感情を剥き出しにしている時よりも恐ろしい。
「私は、お兄ちゃんが出来て嬉しかっただけなの」
ただ、嬉しさを共用していただけなのだ。私にも、ブレさんにも、やましい気持ちはなかった。
「じゃあ、お前は俺がリリィを抱き締めても何も感じないのか?」
それは……イヤだ。
肝だめし大会をした時、誰にも言わずにいたけれど、アレックと並んで歩く璃里衣にヤキモチを妬いた。ただ、二人で並んで歩いていただけなのにだ。絶対の信頼と愛情を寄せている璃里衣なのに。
もし、アレックが璃里衣を抱き締めているところを目撃してしまったら、私はきっと酷く嫌な気持ちになるだろう。激情に身を任せて璃里衣に暴言を吐いてしまう可能性さえある。
「イヤだっ」
ベッドから抜け出ると、アレックに駆け寄って飛び付いた。
たかだか想像しただけだ。それなのに私は、涙を流していた。子供みたいにアレックにしがみ付いて、駄々こねた。
それなのに、見上げたアレックの表情は嬉しそうに歪んでいた。……人の気も知らないで。
「あらあら、アレクセイ。口がゆるみきってるぞ」
ブレさんの声に、ここにはアレックの他にも人が存在していたことに思い至る。
「アレクセイ。心配いらないよ。俺は、妹としてマリィが可愛いだけだ。前にお前に言った言葉は取り消す。お前がマリィを泣かせても奪ったりしない。まあ、兄としてお前を許しはしないだろうがな。俺は、二人の幸せを願うことにした。見守ることにしたんだ」
アレックにしがみ付いたまま、ブレさんの笑顔を見ていた。綺麗な、全てを吹っ切れたような、いさぎのよい笑顔だった。
どうしてブレさんは、わざわざ一方通行な恋ばかりするんだ。アレックといい、私といい。ブレさんならそんな恋を選ばなくても、他に想いを寄せてくれる人は沢山いるだろうに。そう考えると、自分のことのように胸が苦しくなった。
「ブレット。ありがとう」
アレックがブレさんの名前をきちんと呼ぶ姿も、お礼を言う姿も初めて目にした。
アレックがくすぐったそうに俯いて、照れている姿を私とブレさんはニヤニヤしながら見ていた。
「てことで、さあ、マリィ。お兄様の胸の中に飛び込んでおいで」
今までの良い雰囲気を台無しにするように、ブレさんが両手を広げて私を待っている。
アレックは、そんなブレさんをワナワナと肩を奮わせながら、睨み付けている。
「えっと、お兄ちゃん。今はちょっと……」
アレックが爆発してしまいますからっ。今はあまり逆撫でしないほうが良いのでは。
そんな思いを視線に乗せて伝えるも、分かっていないのか、分かっていてわざとそうしているのか、アレックを煽り続けた。
「ブレット。さっきの言葉は取り消すぞ。少しでもお前を見直した俺が馬鹿だった」
アレックはそう吐き捨てたが、ブレさんはまるで動じた風でもなく、ニコニコしている。
「アレクセイ。そんなにお前も俺の胸に飛び込みたいのかい? さあ、兄上と呼ぶが良い」
両手を広げてアレックを招き入れようとしている。
空気が読めない人。というより何も考えていないのかな。何となく、アルさんを思い出させる。あの親にしてこの子あり……。アレックの対応の仕方が、アルさんと酷似している。
親子揃って愛情表現の仕方が同じってことだよね。いわゆる変態じみているってところでしょうか。
「アレック。なんか疲れたから横になっていい?」
「何? そういうことは早く言え」
ベッドまでたった2、3歩で行ける距離なのに、私を抱えようとしている。その手を丁重にお断わりして、自らの足でベッドへ。
すぐ後ろをアレックがついてきて、大丈夫なのか、大丈夫なのかと何度も聞いてきて、少々鬱陶しい。
私が横になると、その傍らにくっついてきて、私の手を握る。まるで私が大病を患った入院患者のような対応に、苦笑が漏れる。
「アレック仕事は?」
「もう片付けてきた。逃げ出して来たなら、今ごろジョゼフに捕まっているだろ?」
確かに。
アレックがここに来てから大分たっているのに、ジョゼフが姿を現さないのなら、アレックのいっていることはあっているのだろう。
「じゃあ、ずっとここにいてくれる?」
「ああ、ずっとここにいるさ。お前はゆっくり休め」
アレックが私のおでこにへばりついた髪の毛を払ってくれた。
「だから、お前はもう出ていけ。お前はうるさいからマリィが眠れない」
「アレクセイ。お前って俺にだけ酷いね」
私もそう思う。
「馬鹿を言え。俺は優しいだろうが」
アレック。いくらなんでも自分で自分のこと優しいなんてよく言えるな。確かにアレックは優しいけれど、ブレさんには結構冷たいと思う。でも、そうやって付き合うのはアレックの照れ隠しでもあるんだよね。小さい頃に色々とあったから、そんな態度でしか表わさないけれど、アレックは絶対にブレさんのこと好きだと思う。
「えぇ、そうなのかな? まあ、いいや。マリィが寝るならもう行くよ。早くよくなってな」
優しい優しいお兄ちゃんの笑顔。私もその笑顔に応えると、アレックは気分がよくないのかむくれてしまった。
「うん。ありがとう」
またねと手を振るブレさんを見送るとそっと目を閉じた。
「ところでアレック。本当に仕事終わったの?」
確かにジョゼフが来ないので、仕事は終わったのかもしれない。けれど、仕事がないからと言ってジョゼフがすぐにアレックを解放するとは思えないのだが。
「あんまり俺がそわそわしているから、今日はいいからお前の看病してこいってジョゼフに追い出された」
「やっぱり。そんなことだろうと思ったよ」
ジョゼフは何だかんだと言って私とアレックに甘いから、そんなことだろうと思った。あとでたっぷりとお礼してあげないと。何がいいかな……。
「マリィ、疲れたんだろう? もう寝ろ」
「あのね、疲れたってあれ嘘だよ。アレックがブレさんにまた殴りかかったら、それこそ疲れちゃうから、そう言っただけ。本当はね、退屈で死にそうだったの。ブレさんが来てくれて助かったんだ」
ブレさんが来てくれて、喧嘩みたいになったけど、アレックも来てくれて、本当は凄く嬉しかった。退屈で仕方なくて、少し寂しい想いをしながら眠りについたので、夢見が悪かった。
その夢はとても残酷な夢だった。
戦争をしていたんだ。この国とどこかの国が。私はそれを上空から見ていた。そして、アレックもその戦争で戦っているのだ。この国は、基本的に戦うことを知らない平和主義な人々だらけなので、国民は戦い方を知らない。そんな人々が返り血を浴びながら戦っている。
「光の住人は我々のものだっ」
国民の一人がそんなことを叫んでいた。
この戦争は、もしかして光の住人を奪い合うことで始まったものなのか。
……原因は、私。
私のせいで、罪のない人々が次々と倒れていく。血を流して行く。大切な人が目の前でくずおれていく。すると、憎しみが生まれる。徐々に生まれていく憎しみの渦が、広がって辺りを暗い闇の中へ引き摺り込んでいく。
光のない闇の中で、刀を振り回し、叫び続け、誰かれ構わず向かって行く。
まさに地獄。
私がどんなに叫んでも、誰の耳にも届かなかった。どうにかして下に降りたいと願っても、その願いは叶わなかった。
そして、私は見たのだ。暗闇の中、見える筈もないのに。
アレックが倒れていた。
アレックの胸には弓矢が突き刺さっていた。息をしているようには見えなかった。
……私が、アレックを殺したようなものだ。私が、殺してしまった。私が、私が、私が……。