第111話
気持ちの良い空だった。
アレックに見付からないように、こっそりと部屋を抜け出し、裏庭でリューキと一緒に草むらに横になり、空を見上げていた。
「今日の空は一段と綺麗だね、リューキ」
こんなに清々しい気持ちで空を眺めることが出来るようになったのは、ひとえに今回のいざこざが良い方向へ解決に向かったからなんだろうと思う。
ノエルをみんなと馴染ませるのに相当苦労した。
私が無理矢理引っ張って、部屋まで連れて行ったが、みんなの反応は刺々しいものだった。私にあんなに辛い思いをさせた女として、受け入れるつもりはないといった断固とした態度だった。特にその態度が謙虚に出たのは、マーシャとエレーナだった。マーシャは、素直な子だから怒りもすぐに態度に出てしまうのだ。エレーナは、今回、璃里衣から任されたこともあって、私を元気づけようと気を配ってくれていたこともあって、ノエルに対する嫌悪感も激しかった。
それから、少し意外だったのは、ジョゼフがアレックに対して怒っていたこと。アレックに聞いた話によると、ノエルの指示に従うことを最後まで反対していたこと。私を心配して、私の傍にいると申し出たこと。アレックがジョゼフを私の傍につかせたのだと思っていたので、かなり驚いたものだ。早速ジョゼフの傍によって、「本当に私のことが大好きだね」、なんてからかったら無表情がほんの少し揺らいで、頬を赤く染めていた。
毎日、ノエルがみんなに馴染むようにと連れて行ったからか、徐々にみんなの態度も軟化していた。
ノエルがみんなの前で泣きながら謝罪したのもきいたのかもしれない。みんな、心の優しい人ばかりだから、そういう態度をとるのも限界に来ていたのも要因だろう。
今では、ノエルとマーシャが一番仲が良いくらいだ。
もうノエル一人をあそこにおいておいても大丈夫だろうと判断しての、本日の脱走だった。
そんなこともあって、なかなか会いに来れなかったので、リューキは拗ねていた。拗ねて、初めは口もきいてくれなかったが根気よく話し掛けていたら、どうにか機嫌を直してくれたようだ。
璃里衣とは、ほぼ毎日鏡を通して話をしている。私がへこたれていた期間に何度も呼び掛けてくれていたという。私は、全く気付いてあげられなかった。それが璃里衣の心配を刺激したのか、毎日、通信することを義務付けられている。
そうそう、璃里衣はどうやら佑一に気持ちを告げたらしい。今まで妹のようにしか見られていなかったので、女として見てくれるよう願い出たんだそうだ。
璃里衣とシア、そして佑一の三角関係が始まったのだ。
私は、三人ともに幸せになって欲しいが、それは無理なのかもしれない。今は見守るしかなさそうだ。
「で、お前はこの空を見上げて何を考えてるんだ?」
「アレック」
私を見下ろす黒い影。顔が見えなくても、声を聞けばすぐに分かる。
逆光でその表情は見えないけれど、微笑んでいる気配がする。
私が脱走したのに笑っているなんて珍しいこともあるもんだ。
「幸せだなって思ってたの。アレックはどうして笑ってるの?」
腕で陽射しを庇いながら、アレックの表情を見ようとするが、明るさに目が慣れている瞳は、上手に捉えてくれない。
「お前を捜し回るのは久しぶりだ」
「それが楽しいの?」
「ああ、楽しくて嬉しいんだ」
心底楽しいと思っているのが伺える声音だった。
「じゃあ、毎日脱走しようかな?」
「それは勘弁してくれ。……それにしても、その竜はリューキだよな。見ない間にこんなに大きくなったのか」
アレックは、長いことリューキに合っていないので、私なんかより驚きは大きいだろう。
『アレック、何で来た。今、僕はマリィと遊んでるんだ。帰れ』
「マリィは俺のなんだよ、残念だったな。お前が引っ込め」
二人とも見た目は大人なのに、中身は全くの子供で困る。
二人のどうしようもない口喧嘩は放っておいて、再び空を見上げた。隣の二人の大人気ないむきになっている声が、丁度いい感じの睡眠誘発剤となって、やがて私は眠りについた。
「マリィ。そろそろ起きろ。風邪を引くぞ」
薄らとぼやけた視界の中でアレックとリューキが並んでこちらを覗き込んでいる。
さっきの険悪な雰囲気が取り払われ、二人はとても仲が良さそうに見えた。
なんだ、仲いいんじゃん。
それが、嬉しくて寝呆け眼のままでにへらと笑った。二人の表情が一瞬変な風に変わったのを、はっきりとしない頭で考えていた。
アレックは、突然私を抱き抱えると、リューキに軽く声をかけて歩きだした。
「アレック。部屋まで運んでくれるの?」
「ああ」
本来ならお姫様抱っこで、王城を練り歩くなんて断固拒否するところだ。
ところが、今日はなぜかとても眠くて、拒否するどころか、アレックの歩くことで生じる振動が心地よくて、再び目を閉じ、眠り始めてしまった。
ここは、夢の中だろうか?
アレックの温もりが感じられる。恐らく、私はアレックに抱き締められているんだと思うのだ。
夢の中で、温かいベッドに横になり、アレックに包まれている。
とても安心で、心地よくて、海の中を泳いでいるみたいだ。
頬を誰かに触れられているのを感じる。その指が私の首の後ろに回り少しだけ頭を持ち上げられる。
せっかく寝ているんだから邪魔しないでよ。
そんな風に思っていると、唇に何かが触れたと思ったら、唇をこじ開けられ、液体のようなものが流れ込んできた。
その液体を反射的に嚥下した際のあまりの苦さに、深い眠りも妨げられ、飛び起き咳き込んだ。
涙目になって咳き込む私の背中を優しく擦ってくれていたのは、
「マリィ、大丈夫か?」
アレックだった。
「アレック。今の何?」
「何って薬だ」
どうにか咳は治まり、私の背中を未だ擦っているアレックを見上げた。
「薬? 何の?」
なぜ私が薬を飲まなきゃならないのか、理解できない。別に私はどこも具合の悪いところはない。
「解熱剤だ。薬を飲ませたくても眠り続けていたから、口移しで飲ませた。苦かっただろう? ばあさんが煎じた薬だからよく効くが、苦いのが難点だ」
解熱剤……。
熱があるんだ? そういえば、なんだか悪寒のようなものを感じる。だるい気もするし、あんなに眠かったのも熱のせいだったのかも。アレックは私が熱を出したのに気付いたから、抱っこで部屋まで運んでくれたんだ。
「ああ、アレック。やっぱり私、具合悪いみたい。すごくだるいの。寝るね」
考えることが、誰かと話すことがとても億劫だった。
「アレック……。寒いよぉ」
横になって十分に布団をかけているのに、とても寒かった。熱が今、上がっている最中なんだろう。寒くて仕方ない。
アレックは、頷くとベッドの中に潜り込んできた。そして、私を包み込むととても温かかった。温かいけれど……。
「アレック。あんまり私に近付くと移っちゃうよ」
「構わないさ。その時は、マリィに看病してもらう。それより、これなら寒くないか?」
十分に温かい。温かいどころか、病気中の心細さも解消されるという一石二鳥ときている。
「うん。ありがとう」
「ああ、ずっとこうしててやるから安心して寝ろ」
私はそれに返事を返す前に、ことりと眠りについてしまった。