第108話
ざざん、ざざんと押し寄せては返していく波を呆然と立ちすくして見ていた。
海はこんなにも大きく、私の不安さえも飲み込んでいってしまいそうだ。
「あ、リューキ。その姿のままだと誰かに見られたらヤバイかも。小さい姿に出来るかな」
私達の先祖であるアリィは、竜を小さな姿に変えてペットのように飼っていたと、お母さんは言っていた。
『マリィが願えば出来る』
その言葉に頷いて、目を閉じて願った。すると、ボンという小さな爆発音のあとリューキは小さな姿に変貌を遂げた。
その姿は、産まれたての頃のリューキのようで可愛らしい。
『ほらね』
満足気な声でそう言うと、私の腕の中に飛び込んできた。
大きい体ではそんな風に甘えることも出来ないので、今のほうが嬉しそうだ。
私は、リューキを抱いたまま砂浜に座った。リューキは私の膝の上で丸くなり、目を閉じた。
初めての飛行(しかも私を乗せての)で、遠くまで頑張って貰ったので、かなり疲れたのだろう。
リューキの頭を撫でながら、飽きることなく波の流れを見ていた。
この世界の海は、青色というよりも緑色をしている。澄んだ海水のためか、ここからでも魚が泳いでいるのが見える。
どれくらい海を見ていただろう。時折、子供たちが私の前を通り過ぎる。キャッキャッと楽しそうにはしゃぐ声が私の耳に優しく響く。いつまでも海を見続ける見たこともない私を、遠巻きに気にしながらも決して話しかけてくることはない。
子供が行き過ぎて、散歩の老人が行き過ぎて、ペットを連れた人が行き過ぎて、気付けば誰もいなくなっていた。
すでに日が地平線近くまで迫っていた。オレンジ色の夕日が海の色を綺麗に染めていた。
「綺麗だな」
不思議と心が落ち着いて来ているのを自分でも気付いていた。
耳を澄ましてよく聞いてみると、迫ってくる一波一波が私を励ましてくれているのだ。
『大丈夫だよ、マリィ』
『まだまだ頑張れるでしょ?』
『自分を信じて』
『逃げては駄目だよ』
『僕たちは君の味方だからね』
『君なら出来るよ。だって、仲間だろ?』
『失敗を恐れちゃいけない』
『ずっと、見守っているから』
『あなたは誰よりも強いのよ』
『幸せは自分で掴まなきゃ』
次から次へと言葉が降ってくる。砂浜にいるはずなのに、海の水に包まれているような気がしてくる。
ああ、私を認めてくれているんだな。
きっとこの声は、波ではなくて、人魚達の声なんだろうな。
そう思った。
『マリィ。あなたは、少しでも頑張ったの? 精一杯のことを死ぬ気でやってきたの? 何もしないで逃げることばかり考えるのは、あなたらしくないんじゃない。さあ、戻って戦いなさい。……今度ここへ来るときはあなたの最高の笑顔を見せて』
これは誰の声なんだろう。波のどの声とも違う。とても澄んだ美しい声。
でも、なんだか言われている内容はとても図星だった。
私は、何もしていない。傷付くことばかり恐れて、動くことすらしなかった。アレックを信じて待つことは、私の性格上性に合わないことくらい分かり切っていることなのに。待つなんてしおらしい真似出来ると、本気で思っていた自分が情けない。
そういうこと全部認めてしまったら、一気に楽になった気がした。生きる気力というか、戦う気力というものが沸き上がってくる。
なんでこんなに落ち込んでいたのかさえ分からないくらい元気が出てきた。
私は、すくりと立ち上がると、海に向かって叫んだ。
「ありがとうっ。私、逃げずに戦ってきます。今度はもっと元気なときに遊びに来ますねっ」
その大声に私の腕の中で寝ていたリューキが飛び起きた。
「ごめんね。リューキ。帰ろうか」
そう私が言った途端にリューキの姿が元のサイズに戻った。
リューキの背中に跨ると、もう一度海を振り返った。
もう、声は聞こえない。けれど、私たちをどこからか見守ってくれている気配だけをひしひしと感じることが出来た。
私のいわば親戚といえる人々の気配。人間には分からないだろうものだ。
ふと、海水の中にキラリと光る何かが見え、波とともに押し寄せてくる。
リューキの背から下り、光る何かを拾い上げると、それは小さな宝石のついたペンダントだった。
『それを持って行きなさい。あなたを守ってくれるわ』
あの美しい声が再び聞こえた。
「ありがとう。大切にします」
海に向かってそう声をかけて、ペンダントをつけると、宝石を手の平に乗せた。
水の雫のような形をしていた。この目の前に広がる海のような緑とも青ともとれる色をしている。もしかしたら、この海の水の結晶なのかもしれない。
首にかけただけで、安心感に包まれた。守られているような感覚だ。
私はもう一度海を見て、大きく頭を下げた。
そして、リューキの背中に跨ると、リューキの背中を撫でた。
「リューキ、もうこんなに暗いのにごめんね。大丈夫かな?」
『暗くても充分目が見えるから大丈夫。だけど、急ぐから振り落とされないようにしっかりつかまっていて』
ふわりと浮上して、ある程度の高さまでいくと、予告通りスピードをあげた。
必死につかまっていることで精一杯で、景色を楽しむ余裕すらなかった。
行きとは違って、気持ちを強く、明るく持てているためか、とてもすぐに感じた。
「リューキ。また、あの海まで連れてって貰っても良いかな?」
『いいよ。マリィの行きたい時にいつでも連れていく』
今度はお母さんと一緒に来たいなって思った。お母さんはあの海のことを知っているだろうか?
多分、お母さんもあの海で(もしかしたら違う海かもしれないけれど)、勇気を貰っているんだろう。
静かに目を閉じると耳に感じる風の音が、波の音に似ていてホッと気分にさせてくれる。
カリビアナ王国の王城を目にしたとき、力が抜けそうになって危うく落ちかけた。
裏庭には、私の帰りを待っていた面々が見える。そこにアレックの姿がないことを瞬時に見て取った。
悲しいとは少しも思わなかった。ただ、やる気だけがみなぎっていた。
ばさりと大きな音を立てて、着陸した。
「マリィ様っ。あなたって人はどれだけ心配させれば気が済むんですかっ」
ジョゼフの怒鳴り声がとても懐かしく感じた。あの子が現われてから、私が無茶をすることはなかったから、ジョゼフが声を張り上げる機会がまるでなかったんだ。
心配してくれてたんだろうな。私が想像するよりもずっと。
「ごめんね。ジョゼフ。ちょっとした気分転換だったんだ。許して」
私の普段通りの態度に、ジョゼフがハッとした表情を浮かべる。
「たまには旅に出たい時もあるんだよね……。ジョゼフ。私は本当に心配をかけたよね? でも、もう大丈夫。ある意味ジョゼフには迷惑なことかもしれないけどさ」
「迷惑なんて、かけてもらったほうが私的には」
「ははっ、ジョゼフ。それマゾ発言だよ」
今までジョゼフの顔を見ていただろうか。毎日、寝るとき以外はずっと傍にいたのに、ちゃんと見れていなかった。それだけ、下ばかり見ていたんだ。
「ジョゼフ。アレックはどこにいる?」
「しかし……」
「いいから教えて。どこにいるの?」
足を前へ。顔はあげて、顎は引く。背筋を伸ばして、真っ直ぐに前を見る。
さあ挑もう、戦いを。
お久しぶりです。
御迷惑をおかけしましたが、更新を再開いたしました。
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