第101話
「アレック、大丈夫?」
今日の池での一件で、大分体力を消耗したようでいつもよりぐったりとしているように見える。
私が一人で水中の世界を楽しんでいる間にどれだけアレックは捜し回っていたのかと思うと、いたたまれなくなってくる。
「大したことはない」
そうはいっても、私の気が済まない。
「ごめんね。罪滅ぼしにマッサージしたげるね」
アレックをなかば無理矢理うつ伏せにさせると、丁寧にマッサージをしてあげる。
日本のお父さんによくマッサージをしてあげていたので、私の腕前は結構なものだと自負している。
「どこが一番辛い?」
「ああ、腕だろうな」
確かにずっと腕を振り回していたような状態なのだから、腕から腕の付けねに疲労がたまるだろう。
「アレックのせっかくの休みだったのに、私ばっかり楽しんじゃったね。ねぇ、アレック。他にして欲しいことある?」
マッサージの途中であるのに拘らず、仰向けに寝転がり、私を見上げた。
「いいのか? そんなこと聞いて」
私の手を握り、意地の悪いニヤニヤとした笑みを向ける。
「そんな顔して、何を言うつもりよ」
「分からないか?」
わざとらしく、誘導して、私に答えさせようとする。
「分かんないよ」
意地悪な問いかけには応じない。アレックが何を欲しているか分かっているとしても。
「じゃあ、言ってもいいか?」
上体を起こし、私の顔を覗き込んだ。私が視線をそらせば、追うように視線を絡ませてくる。
右手で頬を包むように撫で、細められた瞳で愛おしそうに私を見つめる。
反則だ。
そんな目で見られたら、何にも考えられなくなってしまう。何もかもアレックの思い通りに従いたくなってしまう。
その目に弱いことを知っていて、わざとそうしているのなら、今度思い切り殴り倒してやろう。
「今日は朝まで放さない」
朝まで放さないのは、今日だけではないのに。
王城に戻って来てからというもの、アレックは毎夜私を鳴かせた。それは、ほぼ毎日明け方近くまで続くのだが、アレックに疲れた様子はまるでなく、逆に以前よりも若返ったようにさえ感じられた。
「いつも朝まで放さないくせに……」
「昨夜は早めに寝かせただろう?」
不平を言い募る間も、アレックと私との距離は縮まり、いよいよ捕まった。
私はまるで蜘蛛に捕まった蝶のようだ。ただし、決定的に違うのは、私という蝶は捕まることを待っているということ。捕まりたいと望んでいるということ。
ねぇ、早く私を捕まえてよ。
口では不平を洩らしても、本心はまるで逆。天の邪鬼な私を、どうか無理矢理捕まえて、そしてこの素直じゃない口を塞いで……。
私の心情を見越したように、私の願いどおりに唇は塞がれた。
どうしてアレックには、私が考えてることが分かってしまうんだろう。
アルさんに心の中が読まれていると知って、早々にお母さんに相談した。お母さんもお父さんに心の中を読まれて苦い経験をしたと昔話を披露したあと、今左手にはめているブレスレットをくれた。
「これはね、他の人に心の中を読ませませんようにって願を懸けたものだから、よくきくわよ」
そう言って笑ってた。
お母さんがくれたブレスレットは確かにとてもよくきいた。色んな人の前で試して実験済みなので効果は保証済みだ。
だから、アレックは私の心を読むことは出来ないはずなのだ。
それなのにどうして分かっちゃうのかな。
「どうして?」
「ん?」
「どうして……私の考えてること……分かるの?」
何度も繰り返されるキスの合間に問いを投げ掛けた。
「お前のこと、愛してるからな……」
いつもはさらりと愛を語るくせに時折酷く照れたように赤面する。その表情が私は好きだ。
私にしか見せることのないその表情は私の宝物だ。
「へへっ、照れてる」
あんまり可愛いものだから、ついからかいたくなってしまう。
「お前……。そうか、そんなにお仕置きされたかったのか。今夜は朝までは勘弁してやろうかと思ったが、気が変わった。朝まで優しくお仕置きしてやる」
墓穴を掘った……ようだ。
アレックのお仕置きは優しい。お仕置きにもならないほどに優しく私を愛してくれる。
それは昼間泳いだ水の中のように心地よくて、安心できて、刺激的だ。
私はいつだってアレックにワクワクしてる。ドキドキだってしてるけど、やっぱりワクワクの方が強い気がする。
アレックへの興味が尽きない。どんな表情をしてくれるかワクワクして、どんな言葉を口にするかワクワクして、どんな風に笑ってくれるか、何に叱られるか……。上げだしたらキリがない。それほどに私は、私の心は、アレックに翻弄されてる。
「いいよ。アレックにならお仕置きされても」
ほら、また発見した。
アレックの驚いた顔に私はワクワクしている。
もっと、もっともっと私の知らないアレックはある。私は探検家だ。アレックの謎を調べる探検家。そして、その謎を調べ続けるのが私の生き甲斐。
アレック、あなたは私の心を読めるかもしれない。だけど、知らないでしょう? どんなことにもワクワクしている私の最大のワクワクがあなただということを。
「あら、マリィ寝不足? もう、アレックは仕方ないわね。そんなに昨夜は頑張っちゃったわけだ」
ケタケタと笑いながら私をからかうお母さんの姿を、じと目で睨んでみた。
「お母さんだって、お父さんとその……あれでしょっ」
お母さんの笑い声が一際大きくなった。ちょっと馬鹿にされた気分だ。
「ほら、脹れないの。リッチーはね、私が大好きなの。だから、夜は私を片時も放してくれないわ。きっとアレックも同じなんでしょうね?」
大人の貫録を見せつけるお母さんに、私は叶わないと思った。私はお母さんに反撃しようと言葉にしてはみたが、上手く言えず撃沈したというのに、恥かしげもなく、というよりも誇らしげにお父さんとの間を語るお母さんは凄いと思う。それだけ、お父さんのことが大好きなんだと思う。
「……うん」
「さあさ、今日は料理を教えて欲しいんでしょ? 早速調理室を借りてやってみましょう」
アルさんの家に滞在中にエレーナの前で宣言したことを私は忘れていなかった。
アレックに手料理を食べさせる。
私にとっては、無謀な挑戦なのかもしれない。けれど、大好きなアレックの為ならなんとか……なるかもしれないじゃないか。
正直誰に料理を教えて貰おうかと考えていたのだが、お母さんがこうやって日中こっちに遊びに来てくれるということなので、お母さんに教わることになったのだ。
「うん。やろうっ」
「マリィ。料理を作ることも一つの遊びだと思えばいいのよ。あなた、遊ぶことが大好きでしょ? ワクワクするでしょう? そんな風に遊びの一環だと思えば、料理も上手く作れるようになるの」
なるほど。そんな風に考えたことなかったな。
よくよく考えてみれば、手先を動かすってことを考えれば、図工や美術と同じようなものだと思う。包丁を使うのは、のこぎりを使うのといっしょ。鍋をかきまわすのは、筆を水で洗うのといっしょ。図工と美術は好きだったし、得意だった。そうやって考えてみれば、今からやろうとしていることはそんなに無謀な挑戦でもないような気がして来る。
「そっか。私、作れるような気がしてきたよ」
お母さんの腕に抱き付きながら、大きく微笑んで見せると、私の頭を優しく撫で微笑み返してくれた。
あっ、私いつの間にお母さんに甘えることが出来るようになってた。
それがなんだか嬉しくて、ちょっとだけ照れ臭かった。