第9話
上機嫌なアレックを向かいに迎え、少し遅い朝食の時間。
「ねぇ、アレック。どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「今日一日休みを取ったんだ。お前が行きたいところ、どこにでも連れていってやるぞ」
どこにでも……。
なっ、なんて素敵な言葉なのぉ。
何せ私は未だに城の外に出たことがない。出ようとトライしたこと数回、門番のがたいのいいお兄さん達に阻まれること数回。泣く泣く王城に連れ戻されること数回。ううっ、完敗。無念。
「ほっ本当にっ?」
嘘だったら、アレックの胸ぐらを掴んで振り回してしまうかもしれない。
「嘘なもんか。嘘だと思うならジョゼフに聞いてみろ」
アレックにそう言われ、ジョゼフに視線を移すと、微笑を浮かべて頷いているジョゼフがいた。
「ィヤッターッ!」
両こぶしを突き上げ、ガッツポーズ。
あまりの喜びように(いやマナーの悪さに)そこにいたもの達が異星人との未知との遭遇でもしているかのような間の抜けた顔をしていた。
「まあ、マリィ。とにかく座ったらどうだ」
最初に口を開いたのはアレックだった。ジョゼフや侍女達は未だに驚きの顔のまま固まっている。
「だって、だってだって嬉しすぎて、踊りだしたいくらいなんだもん」
胸のドキドキがうるさいくらい。ワクワクして、ソワソワして落ち着かない。
もう、朝ご飯も喉を通りそうにもない。
「アレック。私ね、町に行きたいんだっ。行ってもいいの? ねぇっ、アレック」
「ああっ、連れていく。だが、お前の皿の上にあるもの全て食べてからな」
苦笑まじりで呆れたと言いたげなアレックの声さえ全く気にならなかった。
「でも、アレック。私、胸が一杯でこれ以上食べられそうにもないんだけど……」
まだ、皿には半分くらい残っている。
「行きたいのだろう? 町に。食べなければ連れて行かないぞ」
「意地悪っ。こんなことなら、食べた後に聞けばよかった。アレックも私が食べた後に話してくれれば良かったのに」
頬を脹らませる私に、悪かったな、と案外素直に謝り、まるで我が子を愛しむような細い目を向ける。
既に食事を済ませてしまっているアレックがそんな目で私を見張るので、食べにくくて仕方がない。
「あの……さ、あんま見ないでくれると嬉しいんだけど……」
「お前がきちんと食事をするか見張ってるんだ」
胸がドキドキワクワクしているのに加え、アレックの肉親を思い出させるようなまなざしがさらに喉の通りを悪くする。
だって、アレックのまなざしは、お母さんのそれとそっくりなんだもの。
今と同じように、食事中に他のことが気になりだした私を、「ご飯が終わってからね」と言って、目を放せば席を立ってしまいそうな私を優しいまなざしで見張っていた。
私は、気になっていることに早く取り組みたくてそのまなざしを振り払いたいという想いと、それでいて心地よくてこのままそのまなざしの中で包まれていたいという想いとの二つの複雑な想い抱えていた。
アレックのまなざしも酷く心地よく感じるとともに、鬱陶しくも感じた。
お母さんとアレックのまなざしにほんの少し違いがあるとすれば、それを受けている私の気持ちの奥深くに小さなざわめきを感じることだろうか。
不思議な不思議な感覚。今までに感じたことのない感覚。ふっとすぐに忘れてしまうようなほんとに小さな感覚。
それは何……?
……などとごちゃごちゃと考えてしまっていても、食べなければ念願の町探索には行かせて貰えないのだ。
なんとか苦労してたいらげると、満足そうなアレックの瞳に出会って、誇らしい気分となった。
「こらっ、マリィ。そんなに走るな。危ないだろ」
これが走らずにいられるかっ。
とは、思ったけれど、あんまり言うことを聞かないと城に引きずり戻されることになる可能性もあるので(アレックならやりかねない)、大人しくいうことを聞くことにした。
だが、それもものの1分で崩れ去ることになる。
「こらっ、マリィっ」
だって、だって、だってぇ……。
アレック煩いっ。
少しくらい大目に見てくれればいいのに。まるでお母さんみたいだよっ。
「こんないい男をお母さんみたいとは何事だっ」
アレックは私の顔色を見て、私の気持ちを読んでいるんだと思っていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。
アレックには私の考えている心の声が聞こえている。
そうでなければここまで仔細に人の気持ちを顔色一つで読み取ることは出来ないように思う。
「ねぇ、アレック。ちょっと実験してみたいから、アレックはここで待ってて。絶対動いちゃ駄目だからね。解った?」
と、アレックに返答を促すように言ったものの、私はその返答を聞かずに走りだした。
「おいっ、待てって」
「駄目っ。アレックはそこで待ってて」
アレックとその後ろに護衛として付いて来ていたキールが私の言葉に素直に足を止めた。
「アレック様……」
「すまないが、マリィを追ってくれないか? ここは町の中でも安全な場所ではあるが、あのじゃじゃ馬のことだ危険な界隈に潜り込むかもしれないからな。マリィに気付かれないようにな、見つかると後が煩い」
「はっ」
速やかにマリィの後を追うキールの姿と、その先を嬉しそうにスキップしながら走って行くマリィ。
その後姿を見送りながら、小さく息を吐いた。
「本当にじゃじゃ馬だな、あいつは……」
視界から消えたマリィの後を探すようにその辺りを見ながら一人ごちた。
マリィーシアの姿が忽然と消え、あの少女が現れた時にはそこにいた者全てが驚いた。だが、恐らく一番驚いたのはマリィ本人だったんだろうが。
マリィが初めて姿を現した時、不思議な感覚が俺を襲った。
懐かしいような、狂おしいような、何かを思い出しそうで、だが思い出せなくて、それはとても大切なことだったような気がして酷くもどかしかった。
マリィは恐ろしいほどのじゃじゃ馬だった。
王妃であるシルビアを連れ回すは、泥だらけのまま俺の前に姿を現すは、馬に乗せれば暴れ馬でそこらじゅう駆け回るは、穴を掘れといいだすは、泣き出すは。
だが俺はそんなマリィをいつも目の端にいれていた。仕事中でも窓の外で駆け回る無邪気なマリィの姿と声を常に意識していた。
何故か……。
放っておけなかった。
次に何をしでかすのか、俺はもしかしたら楽しみにしているのかもしれない。
頭を抱えたくなるようなこともしでかす、だが、それをも俺は待ちわびているような気がした。
どうかしてるな、俺は……。
『あー、あー。マイクテスト。マイクテスト。こちらマリィ。こちらマリィ。アレック、聞こえますか。どうぞ』
聞こえてきたのは、紛れもないマリィの声。
姿を探してみるがマリィの姿は何処にも見えない。
マリィの心の声……だろうか。
何故だかは知らないが、俺にはマリィの内なる声が聞こえるようなのだ。
『聞こえてるよ、マリィ。俺の声はお前に聞こえてるのか?』
心の中で、マリィに声をかけてみる。マリィが俺の心の声を聞くことが出来るという事実はない。そんなことはあのじゃじゃ馬からは一度も聞いたことがない。だが、話しかけて無視をするのも申し訳ない気がして、俺は声をかけてみたのだ。
『うわぁ、凄いっ。私、アレックの声聞こえたよ。凄いっ、こういうのってテレパシーっていうんだっけ?』
マリィの声がすぐ隣りにいるかのようにはっきりとくっきりと聞こえてくる。
『解った。お前の実験は俺の声がどこまで聞こえるかっていうものだったんだろう? もう、気が済んだら帰ってこい』
『うん、解った。って、きゃっ。何っ』
前半マリィ視点、後半アレック視点でお送りしました。