オフィーリアとレア②
「こ…ここ…は?」
広々としたそこは大浴場のようだが人が見当たらない。どう見ても自分の家ではない事だけは分かる。
オフィーリアはまだゲホゲホと咳き込みながら周りを見回すと背後から視線を感じた。
そこには訳が分からないといった顔で、ただポカンと口を開ける事しかできない美しい男が居た。
どこかで見た事がある気がするけれど、どこだっけ?
んん?男……男!?裸!!お互い裸!
「きゃ…むぐっ!?んぐ??」
「待て待て、それはまずい。状況的にも、お互いの立場的にも」
すうっ…と息を大きく吸い、思わず叫び出しそうなオフィーリアの口を男が塞いだ。
「叫んだら確実に人が来る。ここ僕の家、二人とも裸、かなりまずい状況だってわかる?」
オフィーリアはコクコクと頷くと手を外されぷはぁっと息をした。
幸か不幸か湯船は乳白色で浸かれば裸は見えないが、見ず知らずの男に裸を見られた上に同じ湯船に浸かっているという現実に悶絶し、内心転げ回っていた。
先程口を塞がれた時の肌と肌が触れ合うリアルな感触が忘れられない。
「頼むからもう騒がないでくれよ。で、何で君はここに居るの?どうやって入ってきたの?場合によっては…って泣かないでよ。僕だっていきなり風呂から女性がでてきて困惑してるんだから」
「ぐすん…そうですわね、お互い見ず知らずの男女がこのような…」
そう言ってオフィーリアと男は互いに背を向けた。
そしてオフィーリアは両手をあげながら先程の状況をそのまま伝えた。要するに、私も分からないのだと。
「はぁ…?そんな事、ある?」
意味がわからないのも仕方ない。しかし明らかに怪しいのはオフィーリアの方だったからもし訴えられても弁明の余地はない。
「君、見ず知らずって…僕の事本当に知らないの?」
「はい…信じられないかもしれませんが、私は嘘なんてついていません」
「僕は君の事知ってるよ。噂の水鏡の令嬢のオフィーリアでしょ?僕はレア。そう言えば、今日のパーティで見かけなかったよね、爵位持ちは必須だったのに」
レアも爵位持ちなのかと一瞬思ったものの、オフィーリアは昼間の事を思い出し、また涙した。
「普段の私は、こんなに泣き虫ではないんです。今日のパーティに不在だったのも理由があります。一期一会の関係と思って私の話を聞いてくださいますか?」
「分かったよ、話を聞くだけなら。だったらさ、こっち向いて話して欲しいな」
「えぇっ!!そんな事ッ…」
チラリと相手を伺うと、さっきはよく見えなかったがとんでもなく美しい。オフィーリアの事を知った素振りだが、こんな夢に出そうなほどの美形に出会ったら忘れないだろうに。
バチっと目が合うと、いじわるそうに笑う顔に対抗心を燃やして向き合ったが則座に後悔した。
「もう、こうなったらヤケだわ」
オフィーリアは婚約者の不貞行為を目撃してしまった事、親同士の決めた仲なのに勝手に解消しようとしている事、祖母のいいつけを馬鹿にされた事、水鏡の令嬢と言われる事が実は嫌な事を話した。
「人ってあんなに獣の咆哮のような声を出せるなんて知りませんでしたわ」
「あはは、獣の咆哮って!それにしても…王家主催のパーティ会場でよくやるよ。そいつ下半身で物事考えてるんじゃない?」
「ふふっ、そうかも知れませんね」
レアは話を聞くのがとても上手い。それどころか幼い頃からの親友と話しているような気持ちになった。
「キス…私とはした事なかったのに」
「じゃあ、僕とする?」
「へっ?な、なにを言っているんですか!!からかわないでください!」
レアが本気なんだけどな。と言ったのは聞かなかった事にする。
「ところで、私の噂ってどんな風に聞いてるんですか…」
どうせろくでもないことは分かる。誰に対しても無反応で興味関心のない無愛想な女…。
「あー、いや…浮気性の侯爵家のエヴァンの婚約者は浮気されても水鏡のように美しく微動だにせず無表情なままだって。けど安心したよ。感情がないとか聞いてたけどさ、誰だって浮気されたら悲しいに決まってるよな」
そんな風に言ってもらえるなんて思っていなかったから呆然としてしまった。
浮気性のエヴァンも悪いけれどこの時代、婚約者でありながら性行為を拒否するオフィーリアも可愛げがなくて非があると言われるかと思ったからだ。
その気持ちを知ってか知らずか、レアはピュッと手で作った水鉄砲で顔めがけてかけてきた。
「ぶわっ!何するんですか!」
「オフィは全然無表情じゃないし、むしろコロコロ変わって可愛いから気にする事ないよ」
無邪気にキャッキャとお湯をかけ合い、ひと段落するとふうっと息を吐いてレアが口を開いた。
「ずるいな…オフィみたいな素敵な婚約者、僕ならもっと大事にするのに」
何の飾り気もなく言われ、思わず顔が赤くなる。冗談かも知れないけれど嬉しい。
ずるいのはどっちよ、そんな事言われたら誰だって好きになるに決まってる。
「私も、レアみたいな人が良かったわ。こんなに楽しく話せる男性はレアが初めてだもの。できるならエヴァンとは結婚したくない。今日話して思ったの。やっぱり夫婦は仲良くするべきだし、こんな風に結婚してもずっと仲良く話せる夫婦でいたいなって…」
でもそれは叶わないだろう。きっとこれからもエヴァンの浮気に泣き、愛のない夫婦生活を送り、悲しい思いをしたままその生涯を終えるのだ。
「オフィそれ、本当?本気にしていい?」
ぱあっと明るい顔で見つめてくるレアに目を逸らせなかった。
「あいつの事が好きって訳じゃないんだ?」
エヴァンとは生まれる前からの関係だ。自分には選ぶ余地なんてないし、爵位の事もある。
好きかどうかなんて考えた事もなかった。
だって、それが当たり前で決定事項だからだ。
上手く言葉が出ずコクリと頷く。
やった!と抱きしめられたがここは風呂場でお互い裸である事を思い出し、二人して顔を赤くしながら離れた。
「なあ、明日もパーティくるだろ?面白い物見せてやるよ」
そう言ってレアはオフィーリアの額にキスをする。
かぁっと一気に頭に血が上り顔が赤くなった。
頭がボーっとし、鼻の奥がツーンとした感覚に鼻血が出そう!レアに見られたら恥ずかしい!と思ったが体がうまく動かなかった。
レアの叫び声が反響し、だんだん遠くなる。
オフィ、オフィーリア、オフィーリア!………
「オフィーリア様!」
ハッと目を覚ますと見慣れた自室に寝かされていた。
両親や兄、侍女が囲うようにしてこちらを見ている。
「良かった!のぼせて倒れた時はどうなるかと…」
「これからは何があっても一人で入らせません、申し訳ございませんでした」
「オフィが一人にしてって頼んだんだろ?」
「そう言う問題じゃないでしょう?」
口々に話す中に割り込むようにオフィーリアが口を開いた。
「エヴァンの事でお話があります」