側妃ロウェナは諦めない
「学園に在籍時は、優秀な成績だったと聞いている。
わかっていると思うが、既に王妃の産んだ王子が二人いる。それゆえ大層な望みは抱かず、権限を与えられた文官ぐらいと思い、側妃という栄誉をもって公務に励むがよい」
玉座からかけられる声。
国王陛下にご挨拶をと、ロウェナが下げた頭は上げることを許されず、淡々として冷たい声音からはどこか苛立った印象を受けた。
まるで不要なものを押し付けられたかのようだと考え、すぐに間違いではないのだと思い至る。
側妃を望んだのは国であり、王家でもあるが、国王陛下の意志も同じであるかは別の話だ。
国王陛下が愛してやまないというコンスタンス王妃殿下は、王家の黄金に似た金髪と、爽やかな空を映した瞳の方だった。
王妃殿下を見初めた当時は婚約者候補が複数いたが、その中で最有力候補であった令嬢の容姿が気に入らず、学年が違うのをいいことに交流せずにいたのは有名な話。
よほど華やかな外見がお好みなのだろう。
黒髪と、青と表現するよりも黒に近い濃紺の瞳では、陛下のお気に召さないのは明白だった。
謁見の間に通されてからずっと、周囲の者達とやり取りをしている間すら、ロウェナは頭を上げることを許されないままだ。
陛下、と叱責にも似た声が隣で上がれば、「気分が悪いので後は任せる」という言葉と同時に、不満を示すパフォーマンスであるかのように絨毯の上で微かに響く足音が聞こえた。
今ここで動いていいのは王のみ。
周囲の静止の言葉すら振り切ったのか、少しして扉の開く音が聞こえる。
「コンスタンスに代わって公務をする者が必要なだけならば、婚姻届に署名だけはしてやろう。後は好きにするといい。私を煩わせるな。
ああ、側妃はあくまで決裁を行う権利を持つための、立場上の名前でしかない。所詮は公務を行うだけの者だから、側妃としての予算は計上せずに給与として支給せよ」
「陛下!我が義娘に対して、余りにも無体な真似を!
事前に整えた契約書に記載のないことに勝手に決められるとは、いかがなものか!
今の発言を撤回して頂きたい!」
横から張り上げられた声は怒りに震えている。
家の矜持を傷つけられたからではなく、ロウェナを慮っての言動だ。
彼はそういう人なのだから。
けれど、返される言葉はないまま、足音だけが離れていく。
閉まる扉の音の後、横に立つ養父に顔を上げるように言われたロウェナに見えたのは、空の玉座だった。
自分の名前を呼ぶ養父、アーサー・マーシュクロフト伯爵に笑みを向ける。
「どうやら雇用関係でよろしいようですので、その方向で進めてまいりましょう」
側妃ロウェナ。
この日、新しい社畜が爆誕した。
* * *
「ロウェナ、側妃の打診がきた!」
今日も今日とてアーサー・マーシュクロフト伯爵の後妻の座を狙うロウェナが、彼の息子であるケヴィンと彼の婚約者であるリリーを加えて良からぬ企みを相談していた応接間に、父であるヴェクスホール子爵が飛び込んでくる。
本来なら子爵家の娘如きが恐れ多いと顔色を悪くするところだが、あいにく緊張を感じさせない父親の顔にあるのは、何でも楽しもうという悪癖からくる、好奇心と期待に満ちたものでしかなかった。
勿論、多少なりともの怒りはあったようだが。
もしそうなら、娘から殴られていただろう。
お父様、と窘めてみたが、もう耳には入っていない様子だ。
「子爵家なのに側妃とはこれまた一体どうしたものかと思うけれど、それだけ我が娘が優秀だということで鼻が高いし、高くなりすぎて王家からの使者にロウェナの自慢をしたら、すぐさま鼻っ柱を折られてしまったよ。貴族っていうのは容赦がないねえ。
正直うちは中立派だから、これっぽっちも栄誉とか感じないけど、まあ一波乱ありそうで嫌だよね!」
他人事のように野次馬根性に満ち満ちていて、誰もがため息を隠さない。
「お父様、その発言は不敬罪一直線で、さすがにどうかと思います」
ロウェナが言えば、後の二人も同意して頷く。
「そうですよ、子爵。俺達はこれから、親父にロウェナの嫁入りを受け入れるよう、ちょっとした計画を立てていたところだったんですよ。
さっさと断ってきてください」
「断れたらよかったけどね。なんと、王命で持ってきているんだよね」
ちゃんと王印入り、と丸めていた書類がひらりと解かれて、そこには見たことない印が押されていた。
大きくて細工が豪奢で、国旗に描かれた王家の家紋入り。
どう見たって王印で、どう見たって王命だ。
幼馴染三人で書類を眺め、内容の確認と不備がないかのチェックを無意識でするのは、習慣病に近い。
「見たことありませんが、このような精度の高い印はなかなか作れませんし、本物だと思います」
「文章のまとめ方は完璧だなあ。
さすが王城で務める人は、仕事の出来が違うよな」
「紙も高品質で、ペン先が引っかかることはなさそうで。
おそらくですが高位貴族で今年流行しているものと類似していますわね。
きっと王家用として特別に作らせたのでしょうか。実にうらやましい話ですこと」
冷静に分析を始めた三人を、ヴェクスホール子爵が呆れたように見る。
父親も父親ならば、娘も娘。そして幼馴染たちは似た者同士だ。
「もう少し焦ったりはしてみないのかい?
ほら、これはもう全てを捨てて隣国に逃げ出したいと言い出すとか」
「我が家は隣国に親戚どころか知人もいません。
そんな勢い任せの逃亡に、安定した未来はないですよ」
ロウェナは父親に突っ込みを入れながらも、不思議そうに首をかしげる。
「けれど、側妃になれるのは伯爵相当までと決まっていたはずです」
「そこはそれ、あちらもよく考えていて、一旦マーシュクラフト伯爵家の養女にした後に、すぐさま側妃コース。
容赦ないよね。酷いよね。うちにいる跡取りはロウェナだけなのに」
「ええ、俺ら兄妹になるわけ?」
ケヴィンが嫌そうに言う。
ロウェナの方もお断りだ。
「私はアーサー様の後妻としてマーシュクラフト伯爵家に入るつもりなので。
後、跡取りについては親戚からと散々言っていましたよね」
「そう、それだよ。アーサーに嫁ぐならば、マーシュクラフト伯爵家には成人した息子もいるから、ロウェナに子が生まれたら我が家の後継ぎにしたらいいと思っていたのに。
側妃になってしまうと、子爵家に子を下賜しないだろうし、ちょっと困るというか、うんと困るって話だよ」
親子仲良く軽快なトークを弾ませているが、内容は重量級だ。
「とにかく王命だから、これは絶対。
明日改めてマーシュクラフト伯爵家で相談することにしよう。
さすがに可愛い娘を家畜のように、ホイホイと出荷するわけにはいかないからね」
そう笑顔を浮かべたヴェクスホール子爵は、何かを思い出したように紙をクシャリと握りつぶした。
** *
「うちの娘は実に健気でさあ、幼いころからの初恋を大事にしていたわけ。
その家の息子を懐柔して幼馴染の立ち位置を上手に利用しながら、外堀を浅く埋めていく。
粘り強く、時には強かに。
華やかではないかもしれないけれど、優秀で、可愛い一人娘なんだ。
アーサーにくれてやるのは勿体ないけど、娘が幸せだというなら仕方がないとまでは最近思っていたのにさあ。
それなのに、どういうわけか陛下の補佐官がやってきて、娘を側妃に寄越せって言うわけだよ。すごく酷いよね」
にこにこと愛想の良い笑みを浮かべているが、ヴェクスホール子爵の言っていることは辛辣だ。
「娘の相手ときたら、成人になったら考えると気を持たせた上で、自分の出世のために駒として利用する。
あまつさえ娘を親から取り上げて子爵家を途絶えさせようとする屑のことを、国王補佐官アーサー・マーシュクラフト伯爵はどう思う?」
当て擦りをされて、ロウェナと父親の向かいに座るマーシュクラフト伯爵の眉間に皺が寄る。
その隣にいるケヴィンが「さっさと婚約だけでもしないからだ」と、これまた冷たく言い放った。
「……私は反対した」
苦々しげに返された言葉は、いつもより低い声音をしている。
「それを口にすれば免罪符なのでしょうか」
「こら、リリー。女性がそういった生意気な口をきかない」
両家に挟まれる形で設置されたソファにはリリーと父親のグラントン男爵だ。
ケヴィンとリリーの結婚を控えているグラントン男爵家にしても他人事ではないため、こうして参加してもらっているのだが、額の汗を拭くのに懸命で話に付いていけそうな様子ではない。
「マイクス、そんなに畏まらなくてもいいじゃないか。
なにせ私達は学園の同級生として、今も誼を結んでいるのだから」
揶揄うヴェクスホール子爵の言葉に、恨みがましい目を向けるグラントン男爵。
「トーマス、君は本当に自由で結構だが、私たちは子を持つ親だ。
見本となるべき私たちが、ちゃんとしないでどうする」
「うちは優秀な娘に育ったから何の問題もないし、アーサーも君もそうだろう?」
親馬鹿な発言をするヴェクスホール子爵だが、どの親も子が優秀であることを否定しない。
なんだかんだと、親世代も似た者同士なのである。
「まあ、冗談はここまでにして、そろそろ真面目に考えよう」
ヴェクスホール子爵の言葉に、マーシュクラフト伯爵が疲れた様子でお茶のお代わりを侍女に頼む。
すぐさま新しいお茶が淹れられた後、侍女たちは部屋の外へと出された。
「側妃は断れないだろう。王命として、城での会議で可決されたら伯爵家と子爵家では対抗しようがない。
マーシュクラフトもヴェクスホールも中立派ゆえ、どこかの派閥に入っているわけでもないから庇護も受けられない」
並べられた言葉にあるのは、お断りできないという結論だけ。
「アーサーはサージェント侯爵と縁が無かったっけ?」
「亡くなった妻は確かにサージェント侯爵の血縁者だが、そう近親でも無かったから王命を覆すほどの助けは得られないと思う。
何よりサージェントは侯爵夫人の件で、王家とは距離を置いているから難しいな」
それにしても、とアーサーが言いにくそうに言葉を続ける。
「侯爵夫人との間にあった学園での事件から、陛下は王家よりの華やかな顔立ちを好まれるのだと思われる。
正確には、王家や高位貴族らしい華やかな容貌でないと、自身の伴侶として認めないだろう。
側妃としてロウェナ嬢を立てたとしても、寵愛どころか正式な側妃として認められるのかも疑わしい」
マーシュクラフト伯爵の目が伏せられ、顔が歪む。
ヴェクスホール子爵に言われなくとも、今の状況が良くないことはわかっている。
それでも補佐官として、国の最善手を選ばなければならない。
けれど、ロウェナは実にあっけらかんとしていた。
「陛下からの寵愛?
別に無くていいじゃありませんか」
そうしてマーシュクラフト伯爵へと向き直った。
「私はアーサー様に嫁ぐのを諦めるつもりはありませんので、陛下の寵愛とかいらないです」
「だが、しかし」
どう言ったものか、悩むマーシュクラフト伯爵と逆に、ロウェナは開き直った様子だった。
「私に求められているのは公務を捌く能力でしょう?
それはそれで結構なことですわ。アーサー様に嫁げない場合は仕官できるよう、試験のために勉強は一通りしておりましたし。
陛下に見向きもされない女として、学んだことを遺憾なく発揮できますわ」
花の盛りを公務に明け暮れる日々に費やすと言うのだ。
確かにロウェナは華やかな要素を持ち合わせていないが、内面に秘めた輝きは王冠を飾る宝石よりも美しいだろう。
「私は良い働き手として、国に貢献致しましょう。
ですから、私が側妃を辞した暁には、どうかアーサー様の後妻にしてください」
真っ直ぐな目がマーシュクラフト伯爵を見てくる。
いつだって彼女は押して引くことはない。
けれど、それを当たり前のように受け入れている自分がいることに気づいたのは、いつのことだったか。
「帰ってから家族揃って心中されているのと、子爵家丸ごと逃げ出されるのと、アーサーが大人しくロウェナの言い分を受け入れるのと、どれがいい?」
ヴェクスホール子爵が面白そうに語っているが、ここにいる全員が本気で言っていることぐらい知っている。
何でも面白がる悪癖はあるが思い切りがよく、娘が嫌だと言えば全てを捨てることも、自身の死すら厭わないだろう。
数秒の無言が広がる。
「ロウェナ嬢、君が側妃を辞めた時には他に嫁ぐ先もないのも事実。
陛下の補佐官の責任として、そして君を長く見ていた者として、君の希望を受け入れよう」
途端に歓声が上がった。
呆気に取られるマーシュクラフト伯爵の前で、ヴェクスホール親子がいそいそと契約書を広げ始める。
「それでは今話したことを改めて契約書の形に落とし込みましょう。
大丈夫です。大半のことは想定していたので、ほとんど書き上がっています」
自信満々に言い切るロウェナと、優秀な娘だろうと鼻を高くするヴェクスホール子爵。
綺麗な文字で後妻になるという条件を追記していく。
「まさかだが、最初からこうなると思って、話を進めていたのではないだろうな?」
絞り出すようなアーサーの声に、「諦めろ、親父」と息子の達観した言葉だけが返ってきたのだった。
** *
「国の黄金たる至宝であらせられた、キングズリー公爵殿下の退位に伴って離縁を求めます」
ハロルドが退位して間もなく、通り過ぎる際ぐらいでしか顔を合わせることのなかった元側妃との面会の予定が入れられた。
面会を許可した覚えはなかったが、身辺整理の一つだとして次期国王となったフレデリックが差配したものだという。
すでに王ではなくなったハロルドでは謁見の間は使えず、王城にある豪奢な応接間の一つで、宰相であるウィンザート公爵の立ち合いで会うことになった。
元側妃は公務を務め始めてからの片腕だったマーシュクラフト伯爵と、華やかな雰囲気をまとった侍女を一人伴っている。
あれから八年ほど経過したが、相変わらず華の無い姿だ。
化粧っ気がないせいで若々しくは見えるが、ソバカスを散らしたままで隠す様子もない。
黒髪は一つにまとめただけで飾りの一つも付けず、照明を反射する銀の縁をした眼鏡はただ賢そうな印象を与えるだけ。
襟の詰まった濃茶のドレスを着ている彼女は、どこから見ても城で働く文官の一人といった風貌だった。
とはいえ、長く貢献してきた恩もある。
邪魔にならないようなら、向かう離宮の管理業務を担わせるのに連れていこうと思っていたのだが。
「そうか。長きに渡る王家の忠誠に報いるため、離宮への同伴を許そうと思っていたので残念だ」
ハロルドが言えば、向かい側の席にいる誰もが目を丸くする。
まさか、そこまでの栄誉と慈悲を与えられるとは、思わなかったのだろう。
ハロルドは自分が寛容な方だと自負している。
けれど、彼女は首を軽く横に振った。
「有り余る栄誉でございますが、公務のない場所に、寵愛無き側妃を連れて行く必要はありましょうか。
キングズリー公爵殿下が真に想われる元王妃殿下がいらっしゃることを思えば、謹んで辞退申し上げます」
丁寧な断りの言葉と共に、深く頭が下げられる。
彼女の後ろに立つマーシュクラフト伯爵が俯いたのは、ハロルドの配慮に感動してのことだろう。
こみ上げる気持ちを抑えるためか、こぶしが震えていた。
「確かに。コンスタンスとの生活に同伴すれば、邪魔にはなろう。
わかった、離縁を許可しよう」
ハロルドが答えた瞬間、速やかに書類が整えられていく。
「キングズリー公爵様の手を煩わせぬよう、既に書類は用意しており、後は署名を頂ければよいだけの状態にしております」
いつも使っているインクとペン。それから数枚の書類。
「既にフレデリック国王陛下に中は精査頂いております」
どこまでもそつの無い様子に、ハロルドは満足そうに頷いてペンを取る。
書類の下部には既に署名がされている。
その上にハロルドの名前も記入し、そういえば名前は何だったかを確認しようとして、「キングズリー公爵殿下、向かわれる離宮のリストを持った国王補佐官が部屋でお待ちになられております」という言葉に、慌ててペンを置いて立ち上げる。
王国で所有している離宮は五か所。
何処で余生を過ごすのか、準備のために確認する必要があるのだ。
マーシュクラフト伯爵が書類を確認して頷いているので、特に不備はないだろう。
「私は次の用向きがあるので退室する。
書類の手続きはそちらで進めておいてくれ」
そう言い渡して応接間を去る。
残された彼らの表情を、ハロルドはもう知ることがない。
** *
とんだ一週間だった。
コンスタンスのいる離宮へと居を移し、これからは夫婦の距離なく一緒に暮らそうと思ったら、まさか家財道具の一切合切を売り払って退去してしまったのだ。
それもハロルドを脅し、離縁届にまで署名をさせる始末。
離宮に残されたものは少なく、使用人もいない中での生活は、固くなっていくパンと葡萄酒を細々と摂取して生き長らえるものであり、湯を沸かすこともできないことから風呂に入ることすら叶わなかった。
なぜか照明だけは薄ぼんやりと灯るため、夜に怯えなくて済んだのが不幸中の幸いだ。
三日目になって、使用人の移動に時間がかかるからと王城から早馬に乗った騎士が到着し、近隣の村から調理済の串肉やパンを買い上げて用意してもらう。
どうせなら近隣の村から若い娘を何人か世話係として連れてくればいいのに、フレデリックから許可が下りていないからと拒否される。
風呂代わりにと洗面器に用意された湯を使い、手拭いで体を拭っていたが、何もかもが不愉快だった。
そんな中、ふと側妃だった女のことを思い出した。
公務を難なくこなしていたと聞くし、確か元々は子爵家の出身だったはずだから、高位貴族に仕えるための躾だってされていただろう。
もし連れて来ていたら、風呂も用意させることが出来ただろうし、服だって鞄から出して皺の無い状態に整えたかもしれない。
料理は無理かもしれないが、近隣の村へと歩かせて料理の調達だってできただろうし、茶の一杯だって淹れられたはずだ。
そう考えると、短絡に離縁を許可したのは、少し惜しいことをしたかもしれない。
コンスタンスとは離縁したので、ハロルドの余生を行き届いたものにする為には、使用人だけではなくて、離宮を取り仕切る女主人の役割を担う者が必要だ。
その為にコンスタンスの弟であるローガンを連れてきたはずが、ここに来てから全くハロルドの役に立つことなどできていない。
あまつさえ横領の疑いがあるともなれば、離宮の、特に金銭面を任せるなんてありえない話だった。
仕方がないので、フレデリックから派遣された使用人が揃ったら、改めて公爵夫人として迎え入れる旨を言っておこう。
暫くしてフレデリックから多少の物資と使用人達が贈られてきたが、想定していた人数よりも少ないことに愕然とする。
執事が一人に従者が三人、侍女が五人、料理人が見習い含めて三人と庭師が二人。
それから御者が二人、下働きの使用人は近くで採用したらしい男性ばかりで八人だった。
余りにも少ないと抗議するも、執事からは全ての使用人の給与はハロルドの個人資産から支払われるため、それを見越しての人数であると説明されて、今度は呆然としてしまう。
てっきり王家から賄われると思っていたが、どうやら違ったらしい。とんだ計算違いだ。
新しく配属された執事がローガンを見て、雇用予定の者かと聞いてくる。
当然だと言おうとして、ローガンを離宮に置くということは、ハロルドの個人資産から彼に必要な金を出さなければならないことに気づく。
暫く考えてから首を横に振る。
「暫く滞在する客人なだけだ」
その言葉で状況を察したらしい執事が、心得た風に頷いた。
暫くしたら離宮から適当な場所に送り出されるだろう。
それから、とハロルドは言葉を続ける。
「側妃だったあれを、改めて公爵夫人として迎え入れようと思う。
フレデリックに伝えて、王命による婚姻の準備を進めておいてほしい。
あれなら上手に離宮の管理ができるだろう」
その途端、執事が何とも言えない顔をして、ハロルドの顔を凝視する。
使用人を手配して連れてきたらしい、フレデリックの従者までもが固まっていた。
まるで真意を推し図ろうとするかのようで、どこから出してきたのかマドレーヌを齧ったままの姿でハロルドを見る。
執事が軽く咳払いをした。
「キングズリー公爵殿下、いくらなんでも元側妃殿下に対して『あれ』呼ばわりはいかがなものかと。
あの方は現在マーシュクラフト伯爵夫人ですので、そうお呼び願います」
今度はハロルドの笑みが固まって、執事を凝視する。
「……どういう意味だ?」
機微を察するのに長けているからこその執事のはずだが、彼は困った顔でフレデリックの従者へと顔を向ける。
従者の方は何度か見かけた顔だが、確かハリス伯爵家の者だっただろうか。
いや、ハリス伯爵家は娘が一人だけで、婿入りする他家の者だったはず。
執事に代わって、彼が口を開いた。
「ここからは私が。再度申し上げますが、マーシュクラフト伯爵夫人と呼んでください。
元側妃ロウェナ殿下は離縁後、そのまま生家である子爵家に籍を戻され、それからマーシュクラフト伯爵家に嫁いでいますので」
説明された内容に呆然とする。
マーシュクラフト伯爵が代替わりしていないならば、確か親子ほどの年齢差だ。
それに余りにも早すぎる。
「おかしいだろう!
離縁後の婚姻については、時期を空けるのが常識だ」
ハロルドがキングズリー公爵となって、まだ三月ほどしか経過していない。
離縁してからだと二月ほど。
何をどうしたら、たった二月で伯爵夫人になるというのだ。
けれど、フレデリックの従者は気にした様子がなく、首を横にだけ振る。
「常識ではそうですが、別に法律で定められてはおりません。
それに期間を設ける理由は、元夫との子を妊娠していないかの確認の為。
マーシュクラフト伯爵夫人につきましては妊娠の心配が無かったため、すぐさま婚姻となったようです」
言われたことは間違っていないが、ハロルドにしてみれば急すぎて納得がいかない。
そして会話の隙間に、失礼という断り文句と共に、懐から甘い匂いのする小さな包み紙を出して、今度は飴を口に放り込んだ。
一瞬、分けてもらいたいとも思ったが、元国王としての矜持がギリギリで押し留めてくれる。
「しかし、親子ほども年の差があるのだぞ?
いくらマーシュクラフト伯爵と長きに渡って公務をしていたとはいえ、同情からの婚姻はおかしいだろう」
あれに対する同情かと思ったが、それも否定される。
「いえ、その前提が違います。
婚約といった形は取られておりませんでしたが、口約束で婚姻の話はあったそうです。
夫人の生家であるヴェクスホール子爵家とマーシュクラフト伯爵家の間は良好で、両家当主が学園での同級生とあれば、嘘でもないでしょう。
つまり、キングズリー公爵殿下は想い合う二人を引き裂いたということになりますね」
「それでは私がとんだ悪者ではないか!」
ハロルドの非難めいた声に、フレデリックの従者からも同様の視線が返される。
「この話は社交界でも有名でしたから。
あれほどマーシュクラフト伯爵自身が反対し、陛下に確認するよう伝えたと聞いておりますが」
そんなことがあったかもしれない。
当時は周囲から側妃を迎えねば公務が立ち行かないと散々に言われ、苛立ち紛れに適当な名前を指しただけだ。
「そんなもの、リストに載せているのが悪いだろう」
「いえ、マーシュクラフト伯爵夫人はリストに載っていませんでした。
殿下が勘違いして指名したリストは、デビュタントする貴族子女の書類です。
周囲が気づいて訂正しようとしたにも関わらず、側妃殿下のお話をしようとする度に一切耳を貸さなかった為、致し方なく未成年の令嬢を側妃に迎え入れるなんていう、とんでもない手続きが進められたというのが経緯です」
やれやれといわんばかりに盛大に溜息を吐かれる。
「これにより現国王陛下は大層苦労されていらっしゃいます。
なにせ、前国王陛下が未成年の側妃を召し上げたということから、周辺国の王家と高位貴族から、まだ年端も行かぬご息女の縁談を持ち込まれているのですから」
そんなこと、聞いていない。
フレデリックは即位と共に王妃を持った。
それから日も浅いというのに、他国はそんなことをしているのか。
「更には今の殿下の発言を見越してでしょう、ヴェクスホール子爵家は爵位を返上されました。
平民となりましたので、もしマーシュクラフト伯爵夫妻が離縁しても、平民であっては公爵夫人など無理でしょう」
そんな馬鹿な。
呆気に取られて目の前の若者を見るも、表情を変えることもないことから嘘ではないらしい。
国から与えられた栄誉と保証を、自ら投げ捨てる者がいるなんて、ハロルドには信じられないことだった。
「ヴェクスホール子爵は土地を持たぬ一族です。
なにせ代々に渡って、今では希少な魔術道具の修理を行うために存在したのですから」
言われて、なんだと肩をすくめる。
「なんだ、そんな懐古に埋もれた骨董品を扱う者など、不要であろう。
既に魔術は廃れて幾久しく、誰もが生活に使うこともない。
そんなガラクタを直すだけの者の為に、爵位など必要はなかろう」
ハロルドが言えば、フレデリックの従者が安堵したように笑みを浮かべる。
笑顔の真意が読めず、ハロルドは無意識に眉を顰めた。
「そう言って頂けたのなら幸いです。
この離宮の照明は全て魔術道具ですから、どう報告しようか困っていたのですよ」
なんだと、と思わず声を発したハロルドは、間抜け面を晒していることに気づかない。
「こちらの離宮の照明については、以前ほどの明るさで灯らないことから修理が必要だと報告があったのですが、従来の照明への切り替えで問題無さそうですね」
年間の推定予算を提示され、思いがけない額に驚く。
「いくらなんでも照明ぐらいで、この額はおかしいだろう」
「そう言われましても、やはり毎日使うものですから。
王城ほどではありませんが、離宮もそれなりの広さですので、見合っただけの相応の費用が必要となります。
離宮の一部を閉鎖されて利用しなければ、また費用も変わってくるでしょうが、そのあたりは執事と相談願います」
これ以上、ハロルドの大切な個人資産から、無駄な出金が発生するなんて冗談じゃない。
「ヴェクスホールが爵位を返上しただけならば、ただの職人として呼べばよいだけだろう!」
もはや怒鳴り声と化したハロルドの言葉に、けれどフレデリックの従者は圧されることなく、のんびりと首を横に振る。
「残念ながら、ヴェクスホール元子爵は爵位を返上後、屋敷すら売り払われて王都から離れております。
現在はマーシュクラフト伯爵領か、もしくはサージェント侯爵領の可能性もあるかと。
なにせサージェント侯爵家は、かつて魔道具を世に送り出していた家系なのですから、使えぬ魔道具もいくつか残っているでしょう」
煮え湯を飲まされた相手の名前が出たことで、ハロルドの言葉が詰まる。
あちらもアルフレッドのことで王家に恨みを抱いているのだ。
フレデリックからアルフレッドがどうしているかの報せがないので無事だろうと思っているが、刺激して嫌がらせをされたくもない。
「ならば、代わりにマーシュクラフト伯爵夫人を呼べ!」
「残念ながら夫人は跡取りではなくなっていたので、修理における技術については何も受け継いでおりません。
なにせ王家から、家を離れる者には何も伝えぬよう、重々申し渡されていたとか」
何を言っても全て打ち砕かれることに、もはや冷静ではいられない。
「なぜ、そんなことを」
「王家から、易々と技術を他家に教え、他国に技術を流されたり悪用されたりしないよう防止の意味合いでしょう」
返事に頭を抱えたくなる。
よく考えれば当然のことだが、まさか、そんなことでハロルドの生活に支障が起きるなんて思いもよらなかったのだ。
「マーシュクラフト伯爵夫人が早々に嫁いでいましたら、今頃子どもが生まれてヴェクスホール子爵家の跡取りとして育てられていたかと。
そうなれば、ヴェクスホール子爵も易々と爵位は手放さなかったでしょう」
残念でしたね、という言葉には何の感情も籠っていない。棒読みだ。
「キングズリー公爵殿下はマーシュクラフト伯爵夫人に固執されておりますが、国王陛下が采配された者達は優秀です。
これからは執事にご相談されますよう」
言いたいことだけを言って帰ろうというのか、暇乞いの言葉と共に外套を手に、フレデリックの従者が立ち上がる。
「今はまだ国王陛下の周辺は慌ただしく、誰もが忙しいので、私も早く帰らないなければなりません。それでは、失礼致します」
良き隠居生活を。
それだけ言って颯爽と立ち去った若者の背を、そのペースについていけないハロルドは呆然と見送るしかなかった。




