オマケ2. 第二王子アルフレッド14歳は黒歴史しか作れない
モブ視点による、アルフレッド第二王子が思春期一杯で過ごす学園生活です。
学園を卒業してから盛大にザマァされるので、このオマケ話にはザマァはありません。
痛々しい殿下だけが存在します。
「……アリス、どうして今ここに君がいないんだ」
中庭のベンチを見つめながら佇むアルフレッド殿下が呟く。
彼の呟きを耳にした近くのベンチに座る生徒達が一瞬殿下を見遣れども、すぐに目を逸らしながら限りなく自然な態度でベンチから立ち去っていく。
間違ってもアリスって誰ですか、なんて質問をする愚か者はいない。
アルフレッド第二王子、14歳。
どうにも多感なお年頃に入ったのではないかというのが、もっぱらの噂だった。
「やっぱりアリスってさぁ、アルフレッド殿下のあれってイマジナリーな恋人じゃないのか?」
勉強を教えてくれているエドモンドが、不意に窓を見ながら言った。
つられて視線を向ければ、いつものように学校の中庭にある噴水の近くでアルフレッド殿下が立ち尽くしている。
一人校内を歩き回り、悲劇の主人公の如く意味のわからない嘆きの言葉を吐く。
すっかり学園での風物詩だ。
「確かイマジナリーって妄想の産物だったっけ?
友達が一人もいない殿下のために用意された言葉だって辞書に書き加えようかな」
容赦ない表現で一刀両断したのは、一緒に試験に出る範囲の勉強を教わっているマイルズだ。
同じくらい頭が悪い癖に言うことがピンポイント過ぎて、不敬罪待ったなしである。
まあ、学園の中で本人や教師に聞こえないように言う分にはお咎めなど無い。
人の悪口を言ってはいけませんなど通らないのが貴族の社会で、誰も彼もが二枚舌の持ち主だ。
騙されないよう、踊らされないよう、清らかな精神などでいられない。
まあ、本人に聞かれようものなら即アウトだが。
「他にも勉強している奴がいるから、その煩い口を閉じろ。
一人芝居を繰り広げる余裕のある殿下と違って、俺達の成績は風前の灯だ。
次に補習なんてことになったら、今度こそ学園を退学させられて親戚の伝手で働きに出されてしまうんだぞ。
そうなれば一生田舎の小作人か小さい町の商店で商品整理だろうさ」
ウォルターが机の下でマイルズの足を蹴りながら、次の問題へと目を通す。
やばい、桁数が多い計算は頭がこんがらがって間違えそうだ。
「ウォルター、手間だけど一桁ごとにチェックを入れて、どこまで終わったかわかるようにしたらいい」
エドモンドの助言を守りながら、やたらと桁の多い計算を進めていく。
こんな計算、士爵の資産じゃ不要だぞと思いながらも、真面目に勉強をしていれば地方官試験に受かる可能性だってある。
少しでも良い暮らしのできる生活を送るため、一代限りの士爵の三男坊にできる努力だ。
生まれ持っての高貴な身とは違う、持たざる者の足掻きでしかない。
ボンクラであっても許される身ではないのだ。
だからといって一発逆転を狙ってアルフレッド殿下の側近になりたいかと聞かれたら、学園の大半が首を横に振るだろう。
なにせアルフレッド殿下は入学される前から有名だった。
良い意味ではない。
高位貴族ばかり集められたお茶会で、一人の令嬢を勝手な思い込みで侮辱したという噂だから悪い意味でだ。
件のご令嬢であるマリア・ハリス伯爵令嬢が、自分の口から言えることではないとしながらも否定も肯定もしないことから、どうやら真実らしいと周囲に浸透してからは暴君妄想王子としての名前が横行している。
その真偽は確かめられないがやたらと沸点が低く、側近の一人もいないアルフレッド殿下に学園で新たな側近を探されるのか聞いたエドモンドが、物凄い勢いで罵られたのは昨年の話だ。この命知らずが。
返ってきた言葉といえば、高位貴族でもない卑しき者が王家に取り入ろうとは無礼千万、家ごと潰されたくなければ二度と話しかけるな、だったか。
入学当初は出世を狙って近づこうとした奴らもいるようだが、なかなかの暴君ぶりに今では誰もが遠目に見ているだけになってしまっている。
ウォルターも最初から近寄らなかった生徒の一人だ。
一度父親からアルフレッド殿下のことを聞かれたが、噂通りだと答えたら近づくなとだけ言われた。
どこの家もそうだろう。
利益を得るにはリスクが高すぎるのだ。
やたらと高慢ちきな態度、さらには存在しない女性を探しながらの舞台俳優じみた台詞の数々。
一応アリスという名前の女性以外は存在する人物らしい。
例えばベアトリスという名前。
これはベアトリス・サージェント侯爵令嬢のことだという話だ。
噂のお茶会で参加していないサージェント侯爵令嬢を、自身の婚約者扱いしたとかしないとか。
これもサージェント侯爵令嬢が帝国に留学しているので真偽は不明だが、アルフレッド殿下の一人語りにしょっちゅう名前が出てくるので、恐らくは真実だというのが大半の生徒の見解だ。
何が悲しくて婚約者でもない相手から名前で呼ばれた上に、意味不明な理由で罵られなければならないんだ。
本当に意味がわからん。
他にも数人名前が口にされることがあるも、誰もが学園にはいない人間だった。
唯一、ロバート・バーリー元侯爵令息に関しては学園に入学していたものの、三ヵ月過ぎた頃にバーリー侯爵家の違法薬物の摘発であっという間に消え去っていった。
あの時のアルフレッド殿下は最高に機嫌が悪く、視線が合っただけのクラスメイトですら睨まれたものだった。
今では誰もがアルフレッド殿下に朝の挨拶を申し上げるくらいで、向こうが話しかけない限りは絶対に目を合わせたりしないし、基本的にはいないものとして扱う。
どう話しかけたところで癇癪を起こすだけで周囲も困るし、それを宥める教師も授業が進まず困ることになる。
そして勉強が遅れればウォルター達の成績に影響が出て、明るい未来が消えていく。
何一ついいことがないのならば、最初から関わらずにいようというのがクラスメイト達の中で生まれた暗黙の了解だった。
新入生が入る頃に空気の読めない命知らずが現れないことを祈るだけだ。
去年は運のいいことに馬鹿は一人もいなかった。
それなのに、ウォルターが無事に次の学年へと進級できた新学期の翌日、新入生達の入学式が終わった直後に無謀な勇者が現れたのだ。
「初めまして!私が殿下のアリスですわ!」
意気揚々とアルフレッド殿下の前に立ちふさがったのは、入学式に貴族を差し置いて首席の挨拶をした平民の少女だった。
確かに名前はアリスだ。
登壇する時にアリス・ブライトだか、アリス・ブリリアントだかと呼ばれていた気がする。
顔は可愛い。貴族令嬢が見せないような、きらっきらの笑顔なんかは一部の層には刺さると思う。
スタイルもいい。貴族令嬢の定番である華奢さはないものの、メリハリのあるバディは健康的だ。
首席で入学したのだから頭もいい、はずだ。
頭がいい馬鹿だと誰かの呟きが聞こえる。
ここにいる誰もが同意して頷いただろう。心の中で。
逆に一割程度の生徒は期待しているかもしれないが。
アルフレッド殿下が妄執に浸る、アリスという少女が実在する人物なのかを賭けている生徒は相応にいる。
そこでハイリスク、ハイリターンを目指して存在する方に賭けている生徒たちは、少しばかりの期待を込めて新入生代表を見た。
この際ここでの出会いが初対面だろうが、アルフレッド殿下が気に入りでもしてくれたら賭け金がとんでもない額で返ってくる。
逆にリスクの低い方に賭けていた生徒達にとっては、この新入生はとんだダークホースだ。
誰もが固唾を呑んで見守る中、アルフレッド殿下は真顔だった。
こっちはこっちで一体どういう態度を取るかわからない中、アルフレッド殿下が一歩踏み出した。
これはまさか。
「お前のような平民如きが、私のアリスを名乗ろうなどと図々しい」
あ、駄目だ。これはお怒りだ。
周囲で見守る生徒達の最前列がアルフレッド殿下の怒りから逃れるようにと、無意識に下がろうとして後ろの生徒にぶつかる。
ウォルターも一番眺めのいいところで見ていたのだが、別に好奇心に駆られてではない。
教室に戻ろうと歩いていたら、望んでもないボーイミーツガールイベントが始まっただけだ。
「お前が母親の腹の中にでも常識と王家への敬意を忘れてきたのなら、王族たる俺が手ずから礼儀というものを教えてやろう」
もしかしたらお怒りとかで済まないかもしれない。
やや俯きがちで感情の読めない表情は鬼気迫る何かを感じさせ、アリス・ブライアントという名前だったかもしれない少女が後退った。
逃がさないとばかりに少女の手首を掴んだ力が強いのか、アリス・何とかは悲鳴を上げる。
「お前がアリスという名を使うのも腹立たしい。
さっさと地に伏して謝罪し、アリスと名乗ることを止めるよう誓え。
でないとお前とお前の家族が明日を迎えられないようにしてやる」
そのまま勢いよく地面へと引き倒された。
これには周囲の女生徒達も悲鳴を上げて、先生を呼ぼうと人垣で身をよじる。
視界の端で教師が慌てたように近寄ってくるが、咄嗟に体を起こしたアリス・なんちゃらに向かって、こぶしを振り上げるアルフレッド殿下を止めるのには間に合わないだろう。
「王子自らの躾に感謝するといい!」
高らかに響く声とともに、こぶしが振り下ろされた。
「で、ウォルター。
お前は騎士科でもないくせに騎士道精神を発揮して、アルフレッド殿下の不興を買ったと?」
「仕方ないだろうが。
さすがに目の前で女の子が殴られたら寝覚めが悪いって」
あのアリスという少女を庇う形で、アルフレッド殿下に殴られてから数日。
腫れ上がったままの顔で通学するわけにもいかず、そして仕事の関係で旅路の途中だったはずの父親が戻って王家の対応を様子見していることから家でゴロゴロしているわけだが、今のところは特に何か言ってくる様子はなかった。
というか男のウォルターが顔を腫れ上がらせるほど手加減無しの力で女の子を殴る気だったのかと、改めて暴君な噂は真実だったのだと恐ろしくなる。
「お前が殴られた件はもう貴族どころか平民達の間にも回って、王家であっても止められない状態だ。
アルフレッド殿下は平民とはいえ女性への暴力未遂で一週間の謹慎だとさ」
「そんだけかよ」
「代わりに問題を起こした女生徒への罰も軽くなるとのことだ。
アルフレッド殿下の処罰が厳しくなれば、女生徒だってただでは済まない。
まあ、いい感じに落ち着けたってことで済ませておきたいんだろう」
執務室に置かれた二つのカップにコーヒーが注がれているが、生温くなりつつあるそれに手を出す気はない。
大した家でもないから不要な存在として処分されるなんてことはないが、嫌がらせに辛子を大量に入れられたことはあるから、機嫌がわからない時の飲食物には手を出さないことに決めている。
「王族か王家に縁の者が入学すれば、誰かがあわよくばと考えて行動することもある。
実際、フレデリック王太子殿下の時にも似たような愚行に及んだ馬鹿がいたが、騒ぎになることもなく事を収めていた。
だからフレデリック王太子殿下は弟君の過失であると進言して揉めたらしいけどな、こういったことは王の意向が通るもんだ」
大人にも相応の事情というものがあるのだろうが、どうやら周囲の常識に寄り添えるのはフレデリック王太子殿下だけだったようだ。
それにしても高位貴族でしか回らなさそうな話を、士爵に過ぎない父親がどこから仕入れてきたのか。
話の途中に机の引き出しから出してきた、薄い報告書が今の会話の情報元だろう。
聞けば、大人の事情だと言われるのはわかっているのでウォルターも聞きはしないが。
それとも貴族の誰もが把握しているのか。
「学園も双方に問題があったとは認めたものの、アルフレッド殿下の分が悪いからか王家同様に誤魔化してしまいたいんだろうな。
あそこの学園は国からの援助金が注ぎ込まれている。
新入学生の行動に責任を問われる羽目になったら学園長も退任だ」
コーヒーカップの縁が指ではじかれて軽い音を立てる。どうやら怒っているわけではなさそうだ。
「うちは一代貴族だからお前の存在など目に入ってなかっただろうが、これ以上学園に通うのは無理だな」
「だよなあ」
グッバイ、楽しい青春と明るい未来。ようこそ労働。
実に愚かな選択だったわ。
「だが捨てる親がいれば、拾う他人もいる」
他人って誰だよと思いながら、ニタニタ笑う父親へと視線を向ける。
「ブライアン商会からお前に婚約者がいるのかという問い合わせがあった」
どうやらアリスと名乗った少女の苗字はそんなに輝いていなかったらしい。
「ブライアン商会は他国に本拠地があるらしくてな、この国でも商売の手を広げようと乗り込んできたら今回の騒ぎだ。
暫くは商売にはならんだろうから、とっとと撤退するらしい。
よかったじゃないか。上手くいけば婿入り、それが駄目でも責任を取って従業員として雇用してくれると申し出があった」
「悪いけど、俺にあの子の相手は無理」
確かに可愛かったが、あの性格はアルフレッド殿下と同じくらいリスキーだ。
ウォルターでは手に余る。
そう言うと、父親がニヤリと笑った。
「ブライアン家の長女と次女は双子らしい。
二人分の授業料は払えないことから商会の手伝いをさせている次女の相手に、と」
あれじゃないならいいか。いや、会ってもない相手を選べるわけがないだろうが。
そもそも問題児がどうなったかでウォルターの未来は大きく変わる。
「あのアリスって子は?」
「躾が厳しい親戚家に行儀見習いに出すとさ。
性根を入れ替えるまで帰ってくることを許さないつもりらしいから、数年は帰ってくることはないんじゃないか。
帰ってきても適当な金持ちの家に後添えにでも出すつもりだと」
顎を擦る父親が挙げた名前は好色で有名なデカい商会の会長をしている爺や、愛人の子を引き取ったことで正妻に逃げられた準男爵、事業の一つとして娼館を経営していて妻まで娼婦に堕としたという事業家だったりと、えげつないラインナップだ。
「ああ、もう一つ選択肢があったことを忘れていた」
ニヤニヤした笑いを止めないまま、父親がウォルターを見る。
「アルフレッド王子殿下に致命的な過失を起こさせなかった褒美として、殿下の側近候補の打診がきている。
つまりはキレた時の憂さ晴らし先だ」
ウォルターの動きが止まる。
「高位貴族の作法が身に付くまではあくまで候補でしかなく、そのくせアルフレッド殿下の側に控えることになるから機嫌が悪ければ容赦なく暴力の矛先筆頭になる。
でもまあ、見方によっては出世だよな」
冗談じゃない。
そんなの、どこかの田舎で畑を耕している方が百倍マシだ。
「今ならブライアン商会の話がきていることで断れるが、どうする?」
「ブライアン商会に行く」
いい判断だと言った父親が、満足そうにコーヒーカップへと手を伸ばすのを見ながら席を立つ。
早足で扉へと向かう背中で派手に咽る音を聞きながら、素早く扉を開いて廊下へと出た。
やっぱり飲み物に何か入れてやがったか。
こちらを見ていない隙にすり替えていて良かったと、しみじみウォルターは思う。
どうにも忙しさから育児へと関われなかった父親は、こうやって子どもの悪戯のようなことをしてちょっかいをかけてくるのだ。
ざまあ見ろと思いながら、激しく咳き込む父親の姿を確認してから扉を閉めた。
ちなみに最後に謝罪の場をと、学園の教師たちが見守る中で三者の面談が設けられた。
が、自分は悪くないのに思いがけない仕打ちを受けたと嘆くアルフレッド殿下とアリス・ブライアンを見て、似た者同士でお似合いですねという言葉を喉で押し留めたウォルターの微妙な顔に色々察した教師達。
彼らの配慮によって僅か十分ほどで打ち切られた話は未だに学園の語り草になっていると、国を離れたウォルターが知ることができたのは友人達からの手紙だった。
手紙を読みながら、そういえば一切謝罪をされていなかったと思ったが、すぐにウォルターを呼ぶ声にどうでもよくなる。
働き者の婚約者の手伝いをしなければと、手紙を引き出しにしまってウォルターは部屋を出ていった。