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オマケ1. 元王妃コンスタンスは認めない

本編終了後の国王ハロルドについてです。

「嫌よ」

王城からの使者の前、長らく療養中とされる元王妃コンスタンスは心底嫌そうに返事をした。

「離宮なんて他にもあるのだから、陛下、いえ元陛下かしら。あの方も好きなところで暮らせばいいでしょう。

子を産んで体調を崩した妃など用無しだといわんばかりに離宮へと追いやった相手と暮らすなんて、悪夢以外の何物でもないわ」

しかしハロルド様は、と言葉を返そうとする使者を扇を閉じて黙らせる。

「この離宮がいいのなら、私が出ていきます。

のんびり余生を楽しまれたいのなら、側妃でも連れて過ごせばいいと伝えておいてちょうだいな」

席を立って会話の終了を知らせる。

使用人達も離宮の主であるコンスタンスに倣ってお茶を下げ始め、コンスタンスを生家の頃から長らく支えてきた執事が扉を開けて使者の辞去を促した。

使者は立ち上がって歩き出し、扉から出ようとしたところで立ち止まる。

「姉上はまだ、ハロルド様のことを許していないのですか?」

かけられた言葉にコンスタンスは素っ気なく返した。

「何度聞かれても同じことよ。

あの方のことは絶対に許しません。

そしてお前もね」



** ** *



時は大きく遡る。

「コンスタンス、お前にはハロルド王太子殿下の婚約者候補の数合わせを頼みたい」

父親であるバシュレー公爵の言葉を反芻し、そうして首を傾げた。

「それは必要なことですの?」

どう考えたって必要ない。

家柄も良く、優秀な令嬢の入れ食い状態だ。好きなお相手を選べばいいだけでは。

コンスタンスがそう思っても、どうやら大人達の思惑は違ったらしい。

「ハロルド王太子殿下の婚約者はアグネス・ウィルコート侯爵令嬢が良いと秘密裏に交渉が進められているが、この度の婚約者探しで候補に挙がった令嬢が数多い。

一通りは監視下に置くものの、アグネス嬢に害を為す家が出る可能性は高くなることから、王家としてはバーリー侯爵家のエセル嬢とお前を婚約者候補とすることで、ぎりぎりまで隠す意向とのことだ」

アグネス・ウィルコート侯爵令嬢。

母親に連れられて向かったお茶会で一度会ったことがある。

コンスタンスより三歳下だったが、控え目ながらよく気を配る小さな淑女であったことを思い出す。

容姿は美しいけれど中身が残念と言われているコンスタンスとは大違いだ。

確か来年には学園に入学となる年なはず。

学園内は大人の手が出ないことから、子ども社会で陰湿ないじめに遭う可能性も高く、場合によっては大人の手が出ない場所ゆえに危害を加えられる可能性だって否めない。

まあ王家にしては妥当な判断だ。


「このことは殿下にお伝えしているのかしら?」

「お伝えしていない。

どうにもアグネス嬢の名前を出したがお気に召さなかったようで、あまり強硬な手段に出て反発されたくもないから、一旦婚約者候補として入れたことにしているようだ。

なに、婚約者候補として付き合ううちに、誰が相応しいかなんて自ずと見えてくる」

随分と楽観的じゃないかしら。

「王家としての自覚があるのでしたら、そんな我儘など言わないと思うのですけどね」

王妃様の子は二人。どちらも王子であることから、別にハロルド殿下が王になる必要もない。

そう言うと父親が首を横に振る。

「ただでさえ、殿下達は年が近い。

王家も貴族達内で権力争いが起こることを気にされて、第二王子については早々に臣籍降下される旨を発表する準備を進めている。

それにハロルド殿下は王家らしさを気にされる方であるが、公務をこなされるのに問題ないだけの能力はある。

年を重ねて落ち着かれれば、良き施政者になれるだろう」

「だといいのですけど」

どうにも平和ボケした親世代の判断に眉を顰めたくもあるが、淑女なご令嬢が添い遂げるのならば問題ないだろう。


ただ、公爵家はともかくとして、コンスタンスに旨味が一つもない。

「この話、私に何かメリットがありまして?」

どのくらいの期間ごっこ遊びに付き合うかによるが、この間は他の誰かと婚約などできない。

場合によっては売れ残った令嬢として後妻コースまっしぐらだ。

王家が世話をしてくれるとは思うが、それとて条件がいいかはわからない。

コンスタンスが言い逃げは許さないとばかりに父親を見つめれば、盛大な溜息の後にボソリと言う。

「この茶番が無事に終わったならば、貴族でさえあれば家格を気にせず、望む者との婚姻を許可する」

「まあ、お父様の寛容な言葉はありがたいのだけど、誰が相手でも王家に嫁ぐくらいの支度金を用意頂けることも約束してほしいわ」

婚約者候補から外れたコンスタンスに政略の駒として使う益は然程ない。

それに見合った謝礼を王家から貰っているはずだからこそ、思ったよりあっさりとコンスタンスを手放してくれたのだろう。

そこから半分以上毟り取っても、王家からの信頼という見えない財産もあるのだから構わないのではないか。

後ろに控える執事にニッコリ笑う。

彼は男爵位だ。家格を気にしないでいいのならば彼がいい。

コンスタンスが家に利益をもたらさない結婚をしたところでバシュレー公爵家には子は多いのだから、妹が新しい駒として活躍するだけだ。

特に心も痛まない。

「お前は本当にがめついな」

「お父様に似たのですわ」

既に渋面を通り越して物凄い形相になった父親が渋々ながらも頷いたので、急いで紙とペンを用意して一筆書いてもらう。

簡略化されてはいるが正式な契約書類として署名もされた。

これなら有効だろうとニンマリしながら執事に預ける。

すでにコンスタンスは14歳。ここからアグネスの卒業を待つとしても21歳にはお役目から解放される。

これから王太子妃教育の傍らで、将来のことも考えて色々としておかなければならないことは多い。

無事に彼と結婚すると生活水準も落ちることから、もっと簡素な食事や服にも慣れておかなければいけないし、何で生活を立てていくのかも考えておかなければならない。

女だてらに仕官するのならば成績だって上位を保つ必要がある。

「まあ、楽しいと思えるのならば構わないのよね」

と、当時のコンスタンスは呑気に考えていたのだ。


まさか、自分が婚約者に選ばれるとは夢にも思わず。




コンスタンスの前で跪いたハロルド王太子殿下の、黄金にも似た髪が揺れる。

「コンスタンス。私の愛しい人。

君ならば私を支え、共に国を実り豊かにできるだろうと信じている。

どうか私の求婚を受けてほしい」

ぶん殴りたい。

コンスタンスはすっかり忘れていたのだ。

この目の前の親戚が王家としての自覚を再三説かれる余り、妙に誇り高い青年に育っていたことを。

そして彼が好みそうな高位貴族らしい外見、というより王家寄りの外見をコンスタンスがしていることを。

王家の黄金に限りなく近い華やかな金髪、そしてマリンブルーの瞳。

顔立ちだって華やかで目を引くので、そこだけは褒められるのだ。

ついでに将来のためにと王太子妃教育はおざなりだったが学園の成績は頑張ったし、婚約者に選ばれないかもしれないと泣き真似をして、教師から仕官試験への推薦状だって貰っていたが、まさか選ぶ側の人間の目が節穴だったとは。

視界の端でエセルが憤怒の形相になりながら何処かを見ており、その先にはハロルド王太子殿下から名前を呼ばれなかったアグネスがいた。


いっそ大人達の思惑を全部言ってしまおうかと思うも、ぐっと堪える。

全てを暴露した後にアグネスが婚約者に選ばれたとしても、自業自得な辱めを受けることになるハロルド王太子殿下から無下な扱いを受けるかもしれない。

だとしたら、ここでは事を荒立てずに王家で対処してもらった方がいい。

こんな揉め事まで契約に入っていないのだから。

そう判断して微笑みだけは満点だと言われた笑顔を見せると、ハロルド王太子殿下は感極まったようにコンスタンスを抱きしめ、周囲はよくわからないままに拍手をする。

「アグネスのことを忘れてるんじゃないわよ、このボケが!」

そして伝説となるエセルのこぶしが自身の兄にして、ハロルド王太子殿下の側近を殴りつける修羅場までもが発生する。

その言葉にようやくアグネスの存在を思い出したらしいハロルド王太子殿下が彼女を呼び出して謝るも、彼女は僅かに笑みを浮かべた顔で婚約者に選ばれなかったことを、多くの生徒達が見ている前で受諾したのだ。非常にまずい。

大人はいないが次世代となる令息令嬢の前で、婚約者候補から外れることを明言された。

既に彼女の侍女らしき者が女性らしからぬ俊足で走り去っていくのが見える。

そういえば、ウィルコート侯爵とは交渉に難航していたと聞いていたが、もしかしたら、そのもしかしたらが起こるのかもしれない。


そして、本当に番狂わせは起きてしまった。

ウィルコート侯爵は既に言質は取ったとして、これ以上王家に恥をかかされる謂れはないと婚約者候補の継続を突っぱねたのだ。

その上攻防戦に時間がかかるかもしれないと思った途端に、どこからともなくサージェント侯爵家がアグネス争奪戦に参加して、まんまと彼女を射止めてしまう始末。

王家としては学園でハロルド王太子殿下が起こしたことは間違いだと言えず、既に他の令嬢に求婚している以上は引き止める手立てなどない。

バーリー侯爵家のエセルはといえば、卒業と同時に絶縁状を書いて出ていった。

いっそコンスタンスもそうすれば良かったのだが、既に第二王子は臣籍降下を宣言しており、王家としてもこれ以上の混乱は避けたい。

かくして、顔だけ令嬢コンスタンスは王太子の婚約者に納まったのだった。



** ** *



「王家の尻拭いの為だけに結婚して二人の王子を出産、私は十分に働いたと思うのよ」

「おっしゃる通りです、お嬢様」

廊下を歩くコンスタンスに付き従うのは、実家から持参金と一緒にお供してくれた執事が一人。

もう年を三十を越えて大分経つも、変わらずコンスタンスをお嬢様と呼ぶ。

まるで結婚などしていないかのように。

「確認したところ、既に出立の準備を始められているとか。

おそらくは後十日もすれば出立されるかと。

荷物も多いでしょうから、この離宮への到着は二十日後が予測されます」

「押しかけて居座れば、私が絆されるとでも思っているのかしら。

本当におめでたい頭ですこと」

この離宮で暮らし始めて15年の月日が経っている。

その間一度も手紙を寄越したことが無い者など、誰が夫といえるのだろうか。

どうせアグネスの時と同様に、余裕がなくて思い出せなかったという言い訳をするのだろうけど。

コンスタンスは話の通じない相手と顔を合わせる気などない。時間の無駄だ。

「ここを早急に出るわ。公爵家と私の資産分の持ち物で運べない物だけ全て処分して。

ドレスも家具も売れるなら売ってくれた方が助かるけど、信頼できそうな商人が見つからないか時間的に厳しいようなら、付近の孤児院に寄付するか捨ててもらって構わないわ。

大昔に王妃の予算で買った物は全て置いていくから誰かにリストを書かせておいて。間違っても紙一枚だって処分しないでちょうだい。

たいして残っていないけど、後で苦情を言われたくないから」

ぱん、と一つ手を叩く。

「ここからは時間との勝負よ」




「姉上は大層お怒りでした」

「あれは誤解しているのだ。

きちんと説明すれば婚姻した時と同様に、仲良くやっていけるだろう」

馬車はゆっくりと進んでいく。

フレデリックから退位を迫られて了承し、そこからの一年はあっという間だった。

公務の引継ぎに戴冠式の相談。

マーガレット嬢との婚礼は戴冠式と合わせて執り行われることから、王城内の誰もが急ぎ足で訪れては立ち去っていく。

フレデリックが王になるのに合わせてハロルドには一代限りのキングズリー公爵の名が与えられ、久しぶりに殿下という呼び方に戻された。

父の譲位を見届けていたので知ってはいたが、まさかこんなに早くに自分が国王の務めを終えると思ってもみなかった。

ハロルドが退位する理由が療養とされたことから、王都から離れた離宮で過ごすことになり、どこがいいかと聞かれてコンスタンスのことを思い出したのだ。

そう答えれば、微妙な顔で先に使者を送って確認した方がいいと言われたが。

王子を二人産んだことを労ってはいたが、公務の忙しさから顧みる時間など作れなかった。

倒れた彼女に王城は辛かろうと離宮へと送ったのも、働けぬ王妃へのハロルドからの気遣いだ。

それにフレデリックが頻繁に手紙でのやり取りをしていたから問題なかったはずだし、彼女が公務をできないことから周囲の反対を押しのけて、側妃まで迎え入れて療養に専念できるようにした。

どこかで誤解が生じたようだったが、会って話をすれば解決するはずだ。

道中の街で都度宿を取り、決して広いと言えないが最上級の部屋でグラスのワインを空ける。

こうやって仕事もせず、社交もないままに酒を飲むのは久しぶりだ。

寝酒を軽く嗜むことはあったが、ただただのんびりと酒の味を楽しむというのは久しぶりである。


「ローガンはコンスタンスに会ったのだな。

息災にしていたか?」

横で控える同年代の側近に聞けば、苦笑いが返された。

コンスタンスについては彼女の弟で次期公爵となる予定のローガンに一任していたので、彼が上手く采配してくれていたはずだ。

「相変わらずですよ。

子どもを二人産んだだけで苦労をしていないからか、若々しい容貌のままなのが実に憎らしかったですね」

ローガンはコンスタンスの実弟だ。

若い頃から側近として付き従い、公爵家の後継問題を後回しにしてでも離宮への蟄居に同伴してくれるのはありがたい。

彼なら離宮の使用人達を上手に采配しくれるだろう。

「離宮は私が住むのに問題なさそうだったか?」

「離宮の使用人達がよく管理してくれているからか、過ごしやすい場所だと思いますよ。

調度品も一級でしたし、姉上が王妃予算を超えて使い込んでいないか心配なぐらいです。

一度確認するようフレデリック殿下に伝えておいた方が良いかもしれません」

「特に報告が上がったこともないので問題ないと思うが、フレデリックとのやりとりに金の無心があったかもしれん。

聞いておくよう使者を出しておいてくれ」

承知しました、という言葉と共に部屋を出ていく。

別に今でなくても良かろうと思うのだが、どうにも融通の利かない律儀な性格は昔からで、言われたらすぐさま行動へと移す。


「若々しいまま、か」

コンスタンスは非常に美しい女性だった。

そんな彼女が若々しいとならば、あの美貌も健在なのだろう。

側妃は仕事ができる令嬢を適当に選んだので、外見が全く好みではなかった。

特に控え目な容姿はハロルドのトラウマにもなったアグネスに類似しており、優秀だという触れ込み自体も気に入らなかったので寝室を共にしたこともない。

仕事さえしてくれたらいいと城に部屋を与えていたが、フレデリックの戴冠を機にあちらから離縁を申し出てきた。

当初は王家への貢献に対する感謝として他の離宮へと連れて行ってもいいと思っていたが、仕事の無い場所に連れていく理由なんてないでしょうと断られてしまった。

真っ直ぐな黒髪をしっかりと結わえ、眼鏡の奥から見える夜空の色をした眼差しに、ハロルドへの愛情が無いことに気づいて愕然としたのは最近の話だ。

まだ28歳。やり直しがきく間に離縁させてくださいと淡々と言われ、言われるままに離縁届に署名したのは先日のこと。

フレデリックからは、側妃にはきちんとした方を紹介しますのでご安心くださいと言われ、ならば誰とすごそうかとなったときに出てきたのがコンスタンスだった。

先に使者を立ててみれば、余生を共に過ごすことを断ったらしいが、長らく会えなかったことで拗ねているのだろう。

直接訪ねた方が早いと報せは出さずに出立したので、ハロルドの来訪を驚くに違いない。

手土産に花でも持参しようかと思い、けれど彼女の好きな花を思い出せないことから、一緒に暮らすようになってからで良いかとワイングラスを傾けた。




「コンスタンス様はいらっしゃいません」

ハロルドが離宮に辿り着いた時、出迎えた使用人によって言われたのはコンスタンスの不在だった。

出かけるのかと聞こうとして、次々と馬車に積まれていく離宮の家具やコンスタンスのドレスといったものに目を奪われる。

「どうして家具が運び出されているのだ。

それにドレスまで」

指示をしている使用人に近づいて声をかければ、大仰な身振りで頭を下げられた。

「これはこれは、キングズリー公爵殿下。

コンスタンス様が離宮をお離れになるので、家具を売り払った次第でして。

ちょうど商人が引き取りにきたところ、殿下までもがいらっしゃったわけです」

まるで玄関を掃除していましたとでもいった気軽さに返事をされているが、内容はどこまでも聞き捨てならないものだ。

「離宮の調度品は全て王家の持ち物である。

コンスタンスが何を命じたのかは知らないが、今すぐに元の場所に戻すのだ」

怒りを抑えているせいか強い口調でハロルドが言えば、使用人は目を細めながら、商人達に作業を続けるように促す。

そうしてからハロルドに向き直った時、目の前の使用人がコンスタンスの執事であることにようやく気がついた。

「恐れ入りますが、こちらの離宮に王家の持ち物となる家具はほとんどございません。

ローガン様から事前に何を聞いたかわかりませんが、商人が引き取っている家具は全てコンスタンス様の私財で賄われたものでございます」

次々と出される家具の量は多く、どれほどの家具がコンスタンスによって購入されていたのかわからない。

いや、それよりもコンスタンスの私財とは一体どういうことなのか。

「なぜ王妃の予算を使っておらぬ。

何か別の贅沢品で浪費しすぎただけではないだろうな」

婚姻当初にコンスタンスの王妃の予算は決められていた。

それを使えば良かったものを、必要の無いドレスなどで予算を浪費したのだろうか。

だとしたら、コンスタンスの私財で購入したものであっても、全て売り払うことは許されない。

けれど、コンスタンスの浪費を疑っていたハロルドに返された言葉は、自身の思い込みを覆されるものだった。


「こちらの離宮にコンスタンス様が追いやられた際、ローガン様から役に立たぬコンスタンス様に充てる予算は打ち切ると通知がきております」

横に立つローガンを見たら、慌てたように目を逸らす。

「役に立たぬ王妃であるが、どうして勝手な真似を!」

そう口にしてから、不意に疑問が浮かんだ。

「いや、待て。予算の変更が申請された記憶がないのだが。

どういうことだ?」

王妃の予算ともなれば、当時は王であったハロルドの承認が必要となる。

基本的に臣下の権限で決裁できるものは、後でハロルドが御璽を押すだけとなるが、王妃の予算を打ち切るような申請とならば話は別だ。

根拠のある資料と共に提出され、審議の上で承認されることになる。気軽に押印できるものではない。

ならば先ずは王に報告を行って書類を提出するが、王妃の予算に関する書類を受け取った覚えもない。

答えを待てども、顔を背けたローガンの視線が戻ることはない。

「……まさか、押印すればいいだけの書類に混ぜたのか?」

そう問えば、ビクリとローガンの肩が震えるも、頑なに顔を背けたままのローガンは一体何を隠しているのか。

「いえ、ローガン様はコンスタンス様の予算の抹消を申請しておりません」

答えぬままのローガンの代わりに口を開いたのはコンスタンスの執事だ。

その語り口は舞台俳優のように滑らかで、こうなることをまるで予測できていたかのようだった。

「ローガン様はバーリー侯爵家と懇意にされておりましたが、キングズリー公爵殿下はご存知なかったのでしょうね。

未だ公爵家当主になれぬことから思うままに金を使えぬことに付け入られ、コンスタンス様にお渡しするはずだった費用をバーリー侯爵と分けることで、数多くの娼婦を愛人として囲われていたようでしたが」

無言のままに否定されないのならば、それは肯定でしかない。

今や震えはローガンの全身を襲い、そして背けられた顔は死人にでもなったかのように蒼白に染まっている。

確かにローガンのしたことは横領であり、王家に対する不敬でもある。

けれど長年放置したコンスタンスにだって問題はあるだろう。

「もっと早くにコンスタンスが言ってくれれば、ローガンがここまでの罪を犯すことはなかっただろう!」

悲壮感たっぷりに声を荒げれば、一層冷ややかな目がハロルドを見た。

「コンスタンス様は三度、キングズリー公爵殿下に手紙を差し上げております。

そのどれにもお返事はございませんでした」

思わず息を呑んだ。

確かに手紙はきていた気がする。

当時は忙しさから後で読もうと引き出しにしまって、それから日が経ち過ぎて次の手紙がきたときに、返事が無いことを責められるのが嫌で同じように引き出しにしまったままにしていた。

ならば、ローガンが罪を重ねたのは自身のせいかと問おうとして、その言葉を喉の奥で押し留める。

国王に間違いがあってはならない。

ハロルドの多忙さを狙った、元宰相とローガンによる卑劣な行為ならば、そこにハロルドの瑕疵はない。

コンスタンスも諦めずに手紙を送り続けていたら、ハロルドだって早く気づけたはずなのだ。

それにコンスタンスとやり取りしていたフレデリックが気づかないのも悪い。

これは即ち、ハロルドには何の責任も無いということになる。

そう言い聞かせても、心の中に浮かぶ焦りや怯えという感情を受け入れることなどできない。


「とりあえず、話は離宮で落ち着いてからだ。

使用人達に荷物を運ぶよう指示をし、軽食と酒を用意させてくれ」

けれど、使用人達の誰もがハロルドの言葉に反応せず、淡々と荷物を詰め込んでいく。

まるでハロルドの話を聞く義務など無いといった風情だ。

彼らの態度に、湧き上がる汗を止めることができない。

「申し訳ございませんが、ここに王家から手配された使用人など一人もおりません」

ヒュッと息を呑んだのはローガンか、それともハロルド自身か。

「なぜ、一人もいないのだ?」

もう答えはわかっているはずなのに、それでも聞いてしまう。

「コンスタンス様への王妃としての予算を打ち切ったという知らせの際、ここの使用人達には給与が出ないと触れ回って連れて帰られた方がおりましたので」

誰とは言われていないがローガンのことだろう。それでなければバーリー侯爵の用意した使者か。

「ここで働いていた者は皆、バシュレー公爵家が手配した使用人です。

コンスタンス様が離宮を去る以上、ここにいる意味はございませんので退去しております。

勿論、残っている者もバシュレー公爵家から参ったものですので、コンスタンス様の言付を終えましたら退去させて頂きます」

商人達は去ったというのに数台残った馬車には気づいていた。

見ないように、考えないようにしていただけだ。

「わ、私もバシュレー公爵家の一員だぞ!

ならば、世話をする義務はあるはずだ!」

まるで死人のような様子からは想像もつかないローガンの声が張り上げられて周囲に響く。

その姿をみっともないと思い、同時に一緒にいると自身の価値まで下げられたようで酷く不愉快になる。

そんな二人を見ているコンスタンスの執事は、事務的な口調で言葉を返すのみ。

「ローガン様には当主様からの言付を預かっております。

『駒にもなれない者などバシュレーにいらぬ。

罪に問われる前に除籍としておいたので、これからはバシュレーの名を名乗ることなく自由に生きるがいい』とのこと」

ふらりとローガンの体が揺れ、地面へとへたり込んだ。

そんな、というか細い声が聞こえたが、泣き言を零したいのはハロルドの方だ。

誰もがハロルドを裏切り、誰もがハロルドの守る王家の威光を蔑ろにしていく。


「ローガン様が除籍になるにあたって、当主様は後継者をコンスタンス様に決められました」

続けられた言葉に思わず目を剥く。

「コンスタンスは私の妻だぞ」

コンスタンスはハロルドの妻である以上、王族の一員だ。

公爵家の後継者になるなど、認められない。

「予算も割かれていないことにも気づかず、便りすらも読むことなく、邪魔だからと離宮に追いやった相手を未だ妻と呼べる胆力は素晴らしい限りでございます」

おざなりに吐き出された誉め言葉すら、どこか小馬鹿にした空気を含んで耳障りで仕方がない。

苛立たしい気持ちを隠そうともしないハロルドを気にした様子も無く、他の使用人が無言で差し出す封筒を受け取り、コンスタンスの執事が中から紙を取り出した。

ご丁寧にポケットから小さなペンとインク瓶までも。

「コンスタンス様からは離縁届を預かっております。

今までにかかった費用と慰謝料については、今すぐこれに署名するのならば請求しないとの申し出です。

断るのならば王家にされた仕打ちを世間に知らしめ、王家への訴訟も辞さないと」

そうして使用人の口から出た金額に愕然とする。

ハロルドにもそれなりの個人資産はあるが、請求された額を支払うとなると余裕のある余生を過ごせるとは思えない。

強硬に婚姻を続けるとなれば、本当に請求してくるだろう。そして王妃予算を渡さなかったという事実から、支払う義務が発生する。

そして夫婦だったとしても同じ離宮に住むことを拒否し、ハロルドのいない先へと逃げていくに違いない。

何よりハロルドの失敗が世間に知られたら。

そんなことになったら今まで守ってきたものが崩れてしまう。ハロルドの心までもが。

「これが世間に知れたら王家の評判はどうなるでしょう。

それがキングズリー公爵殿下の署名によって隠されるのです。

さあ、こちらに署名を」

早口で促され、震える手でハロルドの名を書く。

少し歪んだが、見慣れた者ならハロルドの筆跡だとわかるだろう。

「ご署名ありがとうございます。

キングズリー公爵殿下の英断にて、無事に離縁の運びとなったことを感謝致します。

どうぞ、これ以降はコンスタンス様を名前で呼ばれることなく、バシュレー女公爵とお呼び頂ければ」

今日初めて見た笑みを浮かべ、執事は大事そうに書類を胸元に収める。

「そうそう、コンスタンス様から最後の情けとして、厨房にパンと酒くらいは置いてありますよ。

料理ができるとは思いませんが、少しのベーコンと果物も。

現国王陛下にもお知らせはしているということですので、まあ、暫くしたら王家の使用人がいらっしゃるでしょう」

そう言って、最後の一人となったコンスタンスの執事が馬車へと乗り込む。

既に他の使用人達は馬車に乗り込んでおり、離宮の前にいるのはハロルドとローガン、それから離宮へと送り届ける役目を命じられた三人の騎士だけ。

「では何もない離宮で、普段なら体験できぬようなスローライフをお楽しみください」

窓から覗いた顔は実に清々しいもので、動き出した馬車から手だけが振られていた。



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― 新着の感想 ―
いやー、もう清々しい。これこそ最高の大逆転ですね!コンスタンス様バンザイ!!\(^o^)/。15年目のチャンスは逃さない!ですね〜。離宮に15年も追いやられた後(ハロルドは思い遣りだったらしいけど?)…
前王様、15年も放置て。。。 ん? 頻繁に手紙をやり取り? ーーーー「 フレデリックが 」かい!!(笑) なんで問題ないと思えるんだ‥‥アルフレッドは、こやつの血を濃く受け継いじゃったんだな う…
ハロルド国王を見ると、国の頂点に立つのは、〈無能な怠け者〉でちょうどいいのかもと思います。 〈有能な働き者〉〈有能な怠け者〉が実権を握って面倒なことも引き受けてくれてるなら、何も余計なことはしないでし…
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