14. 逆行令嬢ベアトリスは残らない
窓から見える薄く立ち昇った一筋の煙を確認して、それから窓から離れた。
暫くすれば、侯爵家近くの小さな小屋が不審火によって燃え落ちたという報告がされるのだろう。
うっかりしてしまったテオドールによって。
領地に戻ってきて数日程経過したが、今日も今日とて両親は幼い妹達と一緒に過ごしているようだ。
以前は生まれて早々に命を奪われたアンジーと、ベアトリスが留学中に誕生したルーシャ。
今度こそ、その小さな手を離すまいと、両親はいつだって一緒にいる。
あまり甘やかさないようにと言いたいところだが、ベアトリスも妹達が可愛くて仕方がないので逆に苦言が返ってくることもしょっちゅうだ。
だがルーシャから「お姉様、お散歩にいきましょ」と言われたら、アンジーから「お姉たま、だっこ」と言われたら、どうして拒むことができようか。
最終的に家令のバートンから「アルフレッド殿下のようになりますよ」と言われて、誰もが目を逸らして以降は控えるようにはなってはいるが。
とにかく子煩悩ぶりを再び発揮し始めた父親を手伝うために侯爵としての仕事に着手したことで、ベアトリスの毎日はそれなりに忙しい。
頼まれていた妹の服などを持参するために領地へと帰ってきただけだったが、この調子だと滞在中は仕事に追われる日々になるかもしれない。
今日できる分だけの書類を整えて机の端へと揃える。
後は父親が確認するのを待つだけだ。
「これなら明日の午後には完了するかしら」
時計を見れば、夕食までにはまだ時間に余裕がある。
ならばテオドールを迎えに行こうと席を立った。
彼とは侯爵家を出ようとしたところで出会った。
辺境伯家から連れてきた従者と一緒に帰ってきたテオドールは、ベアトリスを見つけると一目散に駆け寄ってくる。
勢いよく抱き着かれれば、焚火後特有の匂いが体に纏わりついてきた。
「ごめんよ、ベアトリス。
新しい発火材料を試してみたら無人の小屋の一軒に燃え移ってしまったんだ」
抱きしめられたまま目を強く瞑れば、瞼の裏にかつて周囲で燃え盛っていた炎がチラチラと踊る。
「周辺に燃えるようなものがないから大丈夫かと思っていたけど、今日は風も強かったから」
「領民に被害が出なかったならば今回は仕方ないで済ますけれど、次は気を付けて頂戴」
勿論さ、といったテオドールが私の背を優しく叩く。
「よく燃えた?」
「いや、思ったより時間がかかったかな。
水分を含んでいるせいか想像以上に燃えにくいね。いい勉強になったよ」
「そう」
火の不始末の報告はそれだけだった。
テオドールもそれ以上言わないし、ベアトリスも聞かない。
バートンから領地に持ち帰る荷物について一つリストに未記載の物品があると報告があったけれど、聞かなかったことにしていた。
何処に隠していたにしろ、使用人がテオドールに協力して主人である侯爵家にすら内密にしていたのだったら、事を明らかにしたときに関係していた使用人達は処罰を免れない。だからわざわざ暴き立てる必要はないと両親も判断している。
王家から何か言われるかとも思ったが、おそらくは状況を察したらしいはずのフレデリック王太子殿下からの使者は無かった。
つまりは好きにしていいということだ。
荷馬車に積み込まれて、さぞや居心地の悪い旅路だっただろう。
どのような世話をして生かしておいたのかはわからないが、こちらも中々に恥辱を覚えるものだったに違いない。
これでもうベアトリスが許せなかった者達は全ていなくなった。
平民として生きているジョージ・デネルやロバート・バーリーの状況だけは定期的に確認しているが、ジョージは学校も通えずに外見が良いだけの商品として売り出され、富裕層のマダム達から引く手あまたの大人気らしい。
バーリー侯爵摘発後には商売の邪魔をした見せしめとして殺害するかと思ったが、商人らしく割り切って良い品なのだからと磨きをかけて売り出したらしい。単に元を取らなければ気が済まなかっただけかもしれないが。
早い段階で件の商会とは縁を切っているから、テオドールの生家であるバイヘル辺境伯経由で流れてくる話なので時差はあり、ジョージは成長を阻害する目的で怪しい薬を摂取させられていたらしいので、もしかしたら既に生きていないかもしれないけど。
ロバート・バーリーはといえば、アルフレッドの堕ちていく様を耳に入れたことで目を覚ましたのか、母親の生家である伯爵領で平民として黙々と働いているらしい。
現在は過去に学んだことを生かして、小さな法律事務所で会計をしているのだと報告書に書かれていた。
時折給与で花を買っては母親への手土産にしていたようだったが、その母親は一昨年に亡くなっている。
伯爵からは甥という温情で母親が住んでいた家に住むことは許されているが、もう少ししたら使用人の手配は止められることになる。
彼の父親は捕まって早々に関わりのあった商会を自白したが、その商会といえば名義不明の張りぼてで姿を消したとなれば、刑の軽減など望めない。
案の定の結果となった。
ルーク・クラークは無事に帝国の騎士団に入れたことで新たな戸籍を得、アリス・ホワイトと暮らし始めた。
アリス・ホワイトも準男爵位を叙爵されることが約束されたことから、これを機に帝国への永住を決めたようだった。
こちらはまだ国籍を得ていないが、ルークと婚姻することで自動的に帝国の民となるので、当分こちらに帰ってくることはできないだろう。
二人が一緒にいることでアルフレッドを煽ることができたが、サージェント侯爵家に火を点けたことは許してなどいない。
せっかくなので婚礼に向けた準備品を届ける際に、アルフレッドの失踪を記した手紙を一緒に添えておいた。
当の本人は既に死んでいるのだが、見つけることができないことから協力者がいるのかもしれないと書き加えているので、これから姿なき影に怯えることになる。
アリス・ホワイトならば協力者などいるはずもないと察するかもしれないが、同時にベアトリスが裏で糸を引いて帝国に招き入れているかもしれないと疑心暗鬼にも陥るかもしれない。
どちらであっても、やはりベアトリスが何も困ることなどない。
細やかな嫌がらせだ。
夕食前に湯浴みをして匂いを落としてくると言ったテオドールと別れ、自室で一人、椅子に深々と座り込む。
お茶の用意だけさせたら侍女達も部屋から追い払った。
全てが終わった時、心に訪れるのは達成感なのか喪失感なのか、どちらなのだろうと思っていた。
今、ベアトリスの心は凪が訪れたように冷静だが、だからといって生きる気力を失ったわけでもない。
今日もいつものように家族で夕食を囲んで、妹達の成長ぶりを喜んだり、父親に仕事をするよう抗議したり、テオドールと明日何をするかを相談したりするのは変わらない。
それは昨日と同じ、いつもの毎日。
きっと、これからも続く日々。
あの日、火に囲まれた侯爵家で秘宝に魔力を注いだのはベアトリスだけではない。
いくらあの石がサージェントに縁のある者にしか使えず、直系に近いほどその魔術を効果的に発揮するのだとしても、時を大きく遡るために相応の魔力が必要となる。
ベアトリスだけでは三年が精一杯だ。
火に焼かれるのを待つくらいならと、僅かな魔力という名の生命力を注いで果てていった使用人達。
そして両親も。
父親が魔力を注いだだけでも危機は回避できそうだったが、それではベアトリスが許せない。
燃え盛る炎の中で最後にベアトリスが魔力をありったけ込めた石は、その力を発揮しながら容量を超えた魔力のせいで割れてしまった。
確認はしていないが、恐らく時を遡った今は王家の宝物庫に存在していた痕跡すら残していないはず。
あれはそういうものだから。
時を川の流れとするならば、あの秘宝は川の表面で弾かれる飛び石ではなく、川から離れたところにあるものなのだ。
時間に干渉しながらも、石は時間に影響されない。
失われたとあれば、そもそも最初から無かっただけになる。
魔術と呼ばれるものが衰退した現在、同じものを作り上げるのは非常に難しい。
再びあの石を手に入れることができる者がサージェントの関係者にいるとすれば、直系であるベアトリスと父親か、血縁として一番近いジョージの母親ぐらい。
もっとも彼女はジョージを手放してから三年後に体を壊し、今ではサージェントが手配した保養所で静かに暮らしている。
彼女が憶えてもいない石を求めることはない。
これからも中立のサージェントは王家ではなく、国にだけ忠誠を誓う。
そして、これからは何代にも渡って王家の内部に間者を潜ませ、そして王家との婚姻は結ぶことなどない。
少なくともフレデリック王太子殿下が王である間は一切ないはずだ。
「それにしても、何を勘違いしていたのかしら」
秘宝と呼ばれたあの石のことをアルフレッドは勘違いしていたが、あれは触れた者だけが記憶を残せるといった仕様ではない。
きっと側近であったロバート・バーリーの思い込みを鵜呑みにしたのだろう。
アルフレッドという愚か者は、小賢しいだけの次男に絶大な信頼を置いていたのだから。
石を使った者が誰に記憶を残すかを指定できるもので、復讐の対象であるアルフレッドとその関係者、ベアトリスに協力するだろう人達、そしてあの日冤罪による断罪劇を見ていた学園の生徒の一部が記憶を残している。
誰もがだんまりを決め込むのは、そんなことを言ったら家族から異常者として扱われる可能性が高いからだ。
それに誰に記憶があって誰に記憶がないのかの判断がつかないので、迂闊に時を遡った話などを相談できるはずもない。
実際、生徒達は記憶の無い人間が多い状態なので、腹を割って話すことなんて難しい。
そうして疑心暗鬼になりながら、彼らは非常に賢い選択をしてくれた。
アルフレッドに関わることを恐れて、国の外へと出た者が多かったことだ。
不安に煽られて留学に出る者は少数程度の見込みだったが、ここまで上手くいくなんて思ってなかった。
特に思い出せる限りの高位貴族の令息の記憶は残していたし、ハリス伯爵令嬢の記憶はわざと残さずにいた。
いつもの側近がいないことや、アリス・ホワイトが存在しないこと。
何かおかしいことに気づいたならば、アルフレッドに近づく者なんていない。
学園で孤立し、さぞや居心地の悪い青春時代を過ごしただろうという報告に笑いしか出なかった。
こうして考えてみると、時を戻したことや記憶の保持者を決めたこと、お茶会の参加を断った以降は、留学以外にとりたてて何か目立った行動は取っていない。
あのお茶会を不参加となれば侯爵家の後継という立場は回ってくるものだし、池を埋めたてて準備をしていたとはいえジョージがベアトリスの背を押したのも本人の意志だ。
ルーク・クラークは接触してきたから対応しただけで、アリス・ホワイトはこちらが何かしなくても学園への入学などしなかっただろうからアルフレッドが荒れ狂い、自由の利く成人となった暁には平民の少女を無理矢理さらった暴虐王子という一波乱もあっただろう。
ロバート・バーリーについては自分の家の罪をお返ししただけで、別にこちらは捏造なんてしていない。どう考えても自業自得なだけである。
結局、最初の舞台装置をちゃんと設定してやれば、後は観客席で喜劇を眺めればいいだけだったので、そこまで手間をかける必要もなかった。
けれど、間もなく全てが終わる。
侯爵家当主の教育が終わりを見せ始め、半年先にはテオドールとの婚姻もある。
トラブルを避ける為に王都では行わず、サージェント領で盛大に式を挙げるつもりだ。
可愛い娘達が増えたということで、まだまだ父親は侯爵の座を譲らず頑張るらしく、何か新しいことを始めようかとテオドールと相談をしている。
死の迎えに抗って時を戻し、愚か者達に復讐を成し、騒々しくも幸せな人生を手に入れた。
望んだとおりの終わりである。
全てを知っている者は何と言うだろうか。
王子殺しの魔女か、それとも悪しき存在に終止符を打った聖女か。
執念に囚われた悪女。王家に災いを呼ぶ悪魔。
どれもベアトリスであるし、そしてどれもがベアトリスではない。
ベアトリスの行動に悪も正義もない。
ただ彼らを許さなかった。
それだけなのだから。
ベアトリス・サージェント。
これは歴史に名を残すことなどない、何もなかった令嬢の物語である。
これにて完結です!
ザマァだらけであった物語の中で、静かな最終話を迎えることになりました。
途中のお話を足したり減らしたりしながらも、ここまで書き上げることが出来たのは読んでくださる方がいるという励みからです。
感想や誤字報告も大変ありがたかったです。
後はのんびり後日談やオマケ話となりますので、この登場人物のこの辺りの話が見たいというのがありましたら感想のところにでも残して頂けると作者の目に入りやすいかと!
全ての要望に応えることは難しいのですが、ご要望の多かったお話を書きたいと思います。
2025/1/15 感想でご指摘のあった矛盾部分を削除しました。教えて頂いてありがとうございました。