12. 国王ハロルドは守れない
「全てをつまびらかにし、公の場でお話をさせて頂けると思っていたのですが、まさか内々で済まされるご意向でいらっしゃるとは」
サージェント侯爵が浮かべる穏やかな笑みは、けれど作られたものだと丸わかりであり、無表情を貫きながらも溜息をつきたくなる。
中立派として波風が立つことを好まぬ人物であったはずが、こうも変わってしまうとは。
それ程までにアルフレッドが愚かであったのは事実である。
部屋の中にはサージェント侯爵と、バーリー侯爵の失脚によって宰相となったウィンザート公爵、そして馬鹿息子の後始末を決めねばならない親であるハロルドの三人だけだ。
「此度の件は王家の威信にも関わる事。
おいそれと気軽に人前でできる話ではないのだ」
諭すように話しかけるも、作られた笑みは拭われぬまま。
「王家の威信を気にされるのであれば、なおさら公の場にて処遇を決められた方がよろしいかと。
特に今年は留学から帰ってきた令息と令嬢が多いことから、他国の大使の参加も多かった。
既に貴族の大半に噂が回っている中で、秘密裏に片付けようとするのは国内外問わず醜聞を重ねるだけになりましょう。
表立って反発する貴族はいないものの黙して秘するだけとあれば、さて、王家への不信感は消せるのでしょうか」
テラスでの出来事を一体誰が見ていたのか、アルフレッドの醜態は貴族達の間でまことしやかに流れ始めている。
最初はサージェント侯爵家が触れ回っているのかと思ったが、監視の者達からは特に怪しい動きはないと報告があったことから、偶然にも見かけた者がいたのだろう。
一体誰であるのか突き止められてはいないのだが。
表立って口にする者はいないが、サージェント侯爵家が否定もしないことから事実だと受け止めている家も多いはず。
なによりサージェント侯爵の言うように、他国からの客が多かったのも事実。
早急に対処しなければならない。
「陛下、王家の失墜ばかりを気にかけられない方がよいのではないですか?」
サージェント侯爵が身を乗り出してハロルド達を見る。
笑みを形作っただけの顔で、目だけは深淵に塗り潰されていた。
「話の場をどうしたところで、当家がアルフレッド殿下を許すことはないのですから」
思えば、サージェント侯爵家にはどこまでも予定を狂わされてばかりだ。
王太子となるフレデリックの婚約者にはマーガレットだと血縁関係として近すぎることから、パワーバランスを考えて中立派のサージェント侯爵に婚約の打診をしたときに断られたのが皮切りだったか。
そう言われるだろうとは思っていたので、兄妹仲の良いデネル家から次男をもらえばいいと説得してもやんわりと拒否された。
ならばアルフレッドがスペアとして不要となった場合の婿入り先候補にしようと思ったら、早々に隣国の辺境伯から婿を迎え入れるのだと婚約誓約書が提出される。
どこまでも中立派という立場を守ろうとしているのだと思っていたのだが、この頃からアルフレッドの様子が少しずつおかしくなっていった。
ハロルドの与り知らぬところで何かが起きている。
そう思ったのが、フレデリックの婚約者候補を決めるといったお茶会を開いた時だ。
アルフレッドが騒ぎを起こしたことにもだが、会ったこともないはずのサージェントの娘の名前を出してきたのには何事かと思った。
どこかでサージェントに婚約打診を断られた話でも聞き、それが自身の話だと勘違いしたのではないかと思っていたが、あれが異常なまでに固執しだしたのはこの時からだった気がする。もしかしたらもっと前からだったかもしれないが。
同時に年も近いことから側近にとあてがってやった元宰相の息子と、いつも二人で何かコソコソと話しているのだと報告も増え始めた。
そして宰相の息子であるロバートがデネル家とクラーク家の子息に宛てて、頻繁に手紙を出していたことも。
気づいた時から暫くは内容の精査をさせていたが、近況を尋ねたりや12歳になったら通うことになる、貴族と一部の優秀な特待生のみで構成された学園で会えることを楽しみしているといった内容だった。
本当に何のことはない唯の手紙。
全員に接点がないという、違和感だけが残されなければだったが。
それでもアルフレッドが固執していたサージェントの娘が帝国に留学したことで、学業や公務にも集中できるだろうと思っていたが、入学して暫くは何故か大いに荒れていた。
同時に知らない名前が出てくるようになる。
アリス。アリス・ホワイト。
貴族にそんな名前の者はいない。
そうなると平民だが、アルフレッドが平民と出会う機会など学園でしかない。
けれど学園の学生を確認してもアリス・ホワイトという学生は在籍していなかった。
ここから正体の見えぬ薄気味悪さが姿を見せるようになり、間諜として王家に仕える者を数名アルフレッドに差し向けるも、宰相の息子といるときにだけ決まった名前が出ることしかわからない。
ベアトリス・サージェント。
ジョージ・デネル。
ルーク・クラーク。
そして、アリス・ホワイト。
改めて調べれば、クラーク子爵はサージェント侯爵の寄り子となっており、アリス・ホワイトはクラーク家の三男と婚約した平民の娘だということがわかった。
その二人はサージェントの娘に伴われ、一緒に留学しているらしい。
サージェントがアリス・ホワイトをどうやって見出したかまではわからないが、おそらくは寄り子となったクラーク家に頼まれでもして適当な娘を探したら、運よく優秀な平民に当たったのだろう。そうだとしか説明のしようがない。
そして以前にサージェント侯爵に養子へと勧めたジョージ・デネルは領地に置いているのかと思ったが、隣国の商会へと奉公に出したという報告が上がっている。
誰も彼もがサージェントに関わっている。
これは偶然なのか。偶然ではないとしたら一体何が起きている。
説明しようのない不安を解決するには宰相とその息子に問いただした方が早い。
手紙のやり取りは息子であるロバートが全て担っている。
国王たるハロルドから直々に問いただせば、一体何をしているのかはっきりするだろう。
そう思っていたら、今度は宰相たるバーリー侯爵家の不祥事が明るみになった。
罪状はこの国で違法と指定されている薬物の栽培と売買。
そういえば、一度バーリー侯爵家から医薬としての利用の認可が提案され、副作用の問題から否決されたことがあった。
まさか可決されると思って先見の明のつもりで栽培していたのか。
バーリー侯爵家からは嫡男と次男を、フレデリックとアルフレッドの側近として付けていたことから、危うく王家の名を汚しかねないところだった。
王太子であったフレデリックからの奏上で判明したことから、汚名を被ることのなかったことだけが救いだ。
またバーリー侯爵家については爵位返上とし、当主は絞首刑で嫡子は生かしはしたが奴隷として他国に売り飛ばした。
アルフレッドだけが捏造だの冤罪だのと騒がしかったが、時が過ぎれば静かになり、その内に公務の量が多いことに文句を言いだしたのは辟易したが。
既にアルフレッドはスペアとして、全く役に立たないと判断している。
フレデリックの王太子としての立場は盤石であり、間もなく婚姻となるマーガレットと共に健康で何の問題もない。
結婚すれば程なくして子どもも生まれるだろうし、難しければ側妃を迎えればいいだけの話である。
アルフレッドについては適当なところに婿入りさせる方針へと変更し、伯爵位程度で個人資産を多めに持たせれば受け入れてくれる家を探そうとしていた矢先の出来事だった。
「……陛下、お話を続けてよろしいでしょうか」
不意にかけられた言葉で我に返る。
目の前の男は変わらず笑顔のままだった。
確か、サージェントはアルフレッドを許さないということだったか。
あれは確かに愚かだが、王家の一員でもあるというのに。
無意識に奥歯がギリ、と鳴った。
「サージェント侯爵、そなたは王家に楯突くつもりか」
食いしばった歯と口を無理やりに開き、硬質な声をかければ、目の前の男から笑みがゴッソリと抜け落ちた。
「陛下は王家の威信のためならば、貴族の家の一つや二つ、潰れても構わないと仰るのですね」
当然だ。国は民によって成り立ち、王によって統率される。
民達の信頼によって王は存在しえるのだから、国を無暗に不安定な状況に陥らせないよう、場合によっては貴族の一家門ごときは失っても仕方がないと思い切ることも必要なのだ。
「そもそもだ。フレデリックのお陰で未然に防げたではないか。
アルフレッドが何を企んでいたとしても、全ては何も起きずに終わっている」
自分でも稚拙な言い訳だとわかっている。
あの愚かな息子が罪を犯せなかったのは、事前に対策を講じていたからだ。
ここでアルフレッドの罪を問わないままにすると、あれは同じことを別のタイミングで起こすだろう。
だからといって認めてしまえば王家の過失になる。それだけは避けねばならない。
「仰る通り、未然に防げたのは事前に王太子殿下に相談し、ご厚意にて対処して頂けたからです。
では王太子殿下に対応して頂けず、未然に防げなかったらどうされていたのでしょうか?
公正に裁かれますか?それとも王家の威信のために隠蔽されるのですか?」
「実際には起きておらんことを論じても意味のないこと。
夜会では何も起きなかった。それが全てだ」
そう。アルフレッドの愚行は阻止され、何も無かったという結果だけしかない。
こちらがだんまりを決め込めば、噂も時間が解決するだろう。
「アルフレッドには接近禁止を出した上で、暫く外交官付として他国へと出す。
数年もすれば自分の立場を理解して落ち着くだろう」
今のままでは婿入り先など見つからない。
スペアとして使うこともない今、ほとぼりが冷めるまでは外に出してしまったほうが良い。
「非公式となるが、王家からは慰謝料も払おう」
これが王家のできる最善だ。
けれど、目の前のサージェントは無表情のままに頷くことをしなかった。
「結果が伴わなかっただけだとしても、アルフレッド殿下が我らサージェントを陥れようとした事実は消えやしないのですよ」
王家のサポートをする目的の為に参加させたウィンザートが、同意するように頷いた。
「陛下、いえ兄上。娘のいる身として私からも申し上げます。
アルフレッド殿下のしたことは許されるものではありませんし、ましてやあのままで手綱を離せば再び何をするかわかりません。
王家に属する私とて、娘のマーガレットが同じ目に遭ったならば、サージェント侯爵同様に許すことなどできないでしょう」
「ウィンザート公爵、私に意見する気か」
咎めるように声を上げれば、血のつながりが一番濃い公爵が首を横に振る。
「宰相という立場ゆえに当然です」
王家の血を引きながら、公平な立場を謳おうというのか。
そんな理想にしがみつくからこそ王太子候補にすらならなかったくせに、楯突こうとする姿は愚かでしかない。
「話が逸れそうですので戻しましょうか。
陛下がそのような御心ならば、こちらも真実を公表させて頂きましょう」
サージェント侯爵の声はどこまでも穏やかだ。
だからこそ本気でやりかねない凄味すらあった。
暫くの睨み合いの後、結局折れたのはハロルドの方だった。
「……どのような処分が希望だ」
「そうですね、王家の処遇については、今回我々の要請に応えてくださった王太子殿下の判断に委ねるのはいかがでしょうか」
「……それで手を打とう。
だが王太子は視察で不在のため、戻って来てからとなる。
次の話し合いの日取りは一週間後、五の日の正午に召喚するので応じるが良い」
話はここまでだ。
「ウィンザート公爵、陛下と王太子殿下とのお話の際には、一緒に立ち会って頂いても?」
「無論。フレデリック殿下の判断が捻じ曲げられぬよう、言葉を添えることを約束しよう」
サージェント侯爵がウィンザート公爵に立ち会いを求めているが、当日起きたことを揉み消される心配からか第三者たる証人を立てようとも無駄なことだ。
こちらは事前にフレデリックに言い含めておけばいいだけの話なのだから。
思ったよりも自分の思惑通りにはことが進みそうだと安堵する。
** ** *
王として公務を進める日々は多忙であり、約束した一週間後はすぐに訪れた。
「フレデリック、サージェント侯爵からの要望を受け、アルフレッドの処罰についてはお前の一存となる。
私は何も言わぬゆえ、公正な判断で決めるがよい」
玉座に腰掛け、フレデリックに告げた。
横にいるアルフレッドは憎悪を剥き出しにしながら、サージェント侯爵を睨んでいる。
飛び掛からないのは護衛騎士に挟まれて身動き取れないからなだけだ。
「承知致しました」
そう言ったフレデリックが考え込む素振りをする。
まあ、それも演技なのだが。
既にどういった処罰にするかはフレデリックに命じてある。
この国に居たままでは臣下への心証が悪いことから、多くの国から人を受け入れる帝国へと遊学させて、一から学ばせるといった筋書きだ。
サージェント侯爵もフレデリックに決めてもらうと言った以上は、文句を言える立場ではもはや無い。
数年もすれば噂は薄まっていく。
そうしている間に他の貴族の噂でも適当に流してやれば、ゴシップ好きな者達が飛びつくだろう。
品行方正とは無理でも年を重ねて多少落ち着けば、王家の血を引くアルフレッドはそれなりの優良物件だ。
本来なら王家と縁を結べる爵位も無い、けれど資産だけならある新興貴族の家にでも婿入りさせれば問題ない。
家格が低かろうがアルフレッドという元王族を養えるだけの富があればいい。
アルフレッドもそれによって自分の立場を自覚するはずだ。
「それでは陛下、アルフレッドの処罰について申し上げます」
「うむ」
背筋を正したフレデリックが口を開いた。
「アルフレッドの行いは王家への信用を失わせるもの。厳しく罰しなければ貴族たちの心は離れていくでしょう。
よって、アルフレッドとその子孫は永久的に王位継承権を剥奪とし、一代限りの子爵位をアルフレッドに与えた後に王領の一部を子爵領として貸与するので、そこから出ることなく領地の繁栄に勤しんでもらいます。
また現国王においてはアルフレッドを長らく放置し、問題を解決しないまま臣下の信頼を失ったことへの責任として、退位頂きたい」
「フレデリック、貴様!」
立ち上がり、ハロルドは厳しい表情を浮かべたフレデリックを睨みつけた。
「お前は、自分が何を言っているのかわかっているのか!」
「勿論です」
怒りに形相が変わっているハロルドと比べ、フレデリックは冷静さすら感じられる。
「陛下、よくご覧になってください。
この場に居合わせただけで、被害者であるサージェント侯爵家に手を出しかねない態度のアルフレッドを。
反省も後悔も無い者がどうして変わることができましょうか」
王家の裏切り者と叫ぶアルフレッドは視界に入っている。
それでも直視することができなかったのに、自分の息子は汚点を見ろと言ってくる。
こんな状況を望んでもいなかったのに、どうしてこんな。
「このままアルフレッドを野放しにすれば、今度こそ王家の失墜は免れないことをするでしょう。
そして、その時にはサージェント侯爵は許す余地など持ち合わせず、帝国に属することを望むかもしれません。
わかっていて、なおアルフレッドを庇うのですか?」
フレデリックの命令でアルフレッドが部屋から出される。
王であるハロルドではなく、王太子であるフレデリックの命によって。
アルフレッドが護衛騎士達に連れて行かれた後、フレデリックがハロルドを見る。
「陛下、幼い頃に陛下は私に仰いました。
国は民によって成り立ち、王によって統率されるのだと」
確かにフレデリックが幼い頃に言った言葉だ。
「ならば、私は国の根幹たる民に対して誠実でありたい。
嘘や欺瞞の貴族世界で生きていくのだとしても、それが必要な時があるのだとしても、王家の体面を守るためだけに他者を犠牲にする不正は許されることではありません」
きっぱりと言い切ったフレデリックは迷いの無い顔でハロルドを見ている。
どこで間違えたのだろう。
フレデリックを側に置いて育てるべきだったか?それとも早々にアルフレッドに見切りをつけるべきだったのかもしれない。
そこにハロルドの求める正解はない。
「お前を見誤ったのかもしれんな。
清濁併せ飲めぬお前では、王になったら苦労するだろう」
ハロルドが苦々しく吐いた言葉に、フレデリックは苦笑を浮かべるだけに留めた。
「陛下から賜った言葉は私に正しく根付いてくれました。
ただ、植えられた種から咲いた花が違っただけで、誰もが苦悩する道だと思うのですよ」
ハロルドとは異なる王としての器。
それが眩しく感じられた。
「サージェント侯爵家に無体を働いてまで王家というものに固執する今の貴方は、サージェント侯爵令嬢に異常なまでの執着と憎悪を見せたアルフレッドとそっくりです。
王家の威光に縋った醜悪な王だと誹りを受ける前に、どうか退位という英断を」
フレデリックの横に立つウィンザート公爵が憐れみの顔で私を見ながら口を開く。
「フレデリック王太子殿下のことは私が支えましょう。
陛下には王領の中でも最も景色の美しい離宮で過ごして頂きたく」
弟の言葉に蔑みは無かった。
「ウィンザート、私は、私の治世は間違っていたのか?」
「いいえ、兄上の治世は安定したものでした。
けれど、責任感の強い貴方は誰よりも重い荷を背負い続けて疲れてしまわれたのです。私では背負いきれない重苦を兄上に押し付けた愚かな弟をお許しください。
そしてどうか、これからは心安らかに過ごして頂きたいのです」
ハロルドの視線は彷徨い、そしてサージェント侯爵に辿り着く。
「フレデリックが王になった時には、サージェントも後ろ盾となってくれるか」
薄い笑みは変わらぬまま。
代わりに深々と頭が下げられた。
「我らは中立のサージェントであれば、変わらず国の為に尽くす次第です」
暗に王次第だと言われた気がして思わず笑った。
「ならば次の治世は安心だな」