第8話 第四歌を改稿する
今日も朝からエレベータホールのベンチで、ダンテは給湯室のワゴンを机にしてパソコンを打っている。
十時に、できましたと声がかかった。
*****
神曲リノベーション・地獄篇(第四歌)
小説家になろう https://ncode.syosetu.com/n2868ja/4/
*****
「ああ『神に運ばれ』とさらりと入れてきましたね。ちょっと残念ですね。『デウス・エクス・マキナ』ですか」
「いや、文字どおり『神』の仕業ですから、仕方ないですよ」
「まあ、スルーしてしまうよりは、マシということですね」
「そう言われると、身も蓋もありません」
「ダンテは、ウェルギリウスさんの憐憫の表情を見て、恐れをなしたと思って怯えきっているのですね。さすがに、失礼だし、情けないですね」
「無数の呻き声が響き渡る、霧が深く立ち込める谷の際にいるのですよ。さすがのウェルギリウスだって、怖気づいたと思うでしょ」
ダンテは、さも当然といった顔をしている。こうも自信を持たれていると校閲もし難い。
「ベアトリーチェさんの友達ラケルさんが、ここにも出てきましたね。なるほど、ラケルさんも神に祝福され天国に行けたのですね」
「そうです。第二歌でラケルを登場させておいて、『あれっ、ラケルって旧約聖書に出てくるのに、天国にいるのはおかしいよね』と思わせた伏線をここで回収したのです」
ダンテは、得意げに話す。
「そこに違和感を持つ人って、日本には数少ない気がします……が、凄いです」
あえてダンテの気分を害することもなかろうと、有江は同調した。
「ぼんやりとしか見えないのに『栄光ある人々』とわかるのはなぜですか。これも伏線?」
「暗闇の中、灯りが半球状に照らす人々は、栄光ある偉大な方々なのです」
「そういうものですか」
「そういうものです」
「そうですか」
「そうです」とダンテ。
有江は、赤を入れるべきか迷うが、今回は原文寄りとのダンテの言葉を思い出し、言葉を飲み込んだ。
「恥ずかしながら、ホメーロス、ホラーティウス、オウィディウス、ルーカーヌスの偉大さがわかりません」
有江は、正直に尋ねた。
「ホメーロスは『イーリアス』や『オデュッセイア』の作者、ホラーティウスは『風刺詩』や『エポーデス』の作者です。オウィディウスは『愛の歌』や『恋の技法』などの恋愛詩集が有名ですよね。ルーカーヌスと言えば、ガイウス・ユリウス・カエサルとポンペイウスの間で行われたローマ内乱を描いた『ファルサリア』です、よね」
「よね」と言われても困りますと有江は恐縮する。
「わたしも勉強はしますが、日本ではどうかな……わかり難いかな……」
有江は、やんわりと伝えた。
「この四人が偉大な詩人であることはわかりました。ウェルギリウスさんも偉大な詩人で仲間であることも納得です。しかし、ダンテが六人目の仲間に迎えられたって、自分で書くのはどうなのでしょう。言いにくいのですが、生意気と思われませんか」
「そうですか」
「そうです」と有江。
「作者の特権ですよね」
ダンテに直す気はないようだ。
「エーレクトラー、ヘクトール、アエネーアース、カエサル、カミッラ、ペンテシレイア、ラティーヌス、ラーウィーニア、ブルートゥス、ルクレーティア、ユリア、マルキア、コルネーリア、サラディン、アリストテレス、ソクラテス、プラトン、デモクリトス、ディオゲネース、アナクサゴラス、タレス、エンペドクレス、ヘラクレイトス、ゼノン、ディオスコリデス、オルフェウス、キケロー、リノス、セネカ、エウクレイデス、プトレマイオス、ヒポクラテス、アヴィケンナ、ガレノス、アヴェロエス。三十五人全員のことを述べられないのであれば、出さなければよいのではないですか。自慢げに感じますね」
「そうですか」とダンテ。
また始まったと有江は思った。
「日本で知られていない人物は省かないと、注釈が必要になりますね」
「誰が生き残れるのでしょう?」
「アエネーアースは今までにも出てきましたからよしとして、他は、カエサル、ブルートゥス、アリストテレス、ソクラテス、プラトン、デモクリトス、タレス、ヘラクレイトス、ゼノン、キケロー、プトレマイオス、ヒポクラテスと、十三人程度でしょうか。すみません」
半数以下しか救えない有江は、謝るしかなかった。
校閲を終えたダンテは。昼食を食べて、直帰しますと出ていった。