第3話 改稿ルールと新タイトル
いつまでもネットカフェに寝泊まりするわけにもいかず、ダンテは、有江の住む街で事故物件のアパートを借りる。パソコンやスマホも有江に購入してもらった。
朝、有江が駅に着くと、改札口にダンテが待っていた。
「スマホやパソコンの電気がなくなりそうなので、今日は、一緒に会社に行きます」
ダンテも会社についてくる。
ダンテは、スマホもろもろを充電しながら、有江にパソコンを社内ネットワークに接続してもらう。
総務部に頼んで、社内グループウェアにアカウントを作ってもらっている。ダンテを「作家グループ」に登録した。
「ダンテさんは、今日、出掛ける用事はありますか」
「特にないです。スマホやパソコンと一緒に充電しようかと思っています」
「意味がわかりませんが、都合はいいです。昨日『神曲』を改稿する際のルールを考えてみました。一緒に確認したいのですが、いかがですか」
もちろんですと、ダンテは応じる。
「では、さっそく。ルールは三点です」
有江は、ダンテにパソコンの画面を向ける。
1 三韻句法などの詩法は用いない
2 注釈が必要な内容・表現は省略する
3 三人称視点で執筆する
「1については、わかりました。以前、仁廷戸さんが強く話されていましたので、よく覚えています」
「2については、たしかに『神曲』は注釈が多いと思いますが、どういうことでしょう」
「注釈は、読むリズムを損なうので、読書の妨げになります。読者とすれば、視線を本文から移動しなければならない時点でストレスと感じます。注釈自体がその作品の面白みだったり、トリックだったりと、作品の根幹に関わらない限り、なくすべきだと思うのです」
「わかりました。そもそも、原文に注釈はありませんからね」
「3は、原文が一人称視点なので、そのままでもよいのではないでしょうか」
「三人称視点であれば、地獄の細部を描きやすいと思います。それに……」
今日は正直に話そうと、有江は決めている。
「一人称視点は心情表現が多くなるので、ビビりの主人公には感情移入できないのです」
ダンテは、真剣に聞いている。
「また、場面転換時、主人公が気絶している間になんとかなってしまうのは、明らかにルール違反です。三人称視点で客観的に書く必要があると思います」
ついに言ってしまったと、有江は思った。
「なるほど。さすが編集者です。そうしましょう」
有江の心配をよそに、ダンテはあっさり納得した。
「試しに地獄篇の冒頭一句を書き直してみます」
さっそく、ダンテはキーボードを打ち始めた。思った以上に速い。
「できました」
*****
人生の半ばを過ぎていた。
ダンテは、目を覚ましたとき暗い森の中を彷徨っていた。
まっすぐに続いている道は見えない。
*****
「まだ三行詩に引っ張られていますね。一行目は取るか、二行目と一緒にしましょう」
「このセンテンスは、私の重大な転機ですので残したいですね」
「わかりました。『人生の道半ば』といえば『神曲』最初の挫折ポイントですしね」
今日の有江は、結構きつい。
「二行目、このまま読むと夢遊病者のようです」
「原文は『目を覚ましたとき』だったり『ふと気づく』ですが『我に返ると』に直しましょう」
「三行目の『まっすぐに続く道』は何かの暗喩なのでしょうが、見えない道がまっすぐかどうかはダンテは知りようがないですね」
「はい、直します」
*****
人生の半ばを過ぎたダンテは、我に返ると暗い森の中を彷徨っていた。
道は見えない。
*****
「どうでしょう」
「読みやすくなりましたね。この調子でいきましょう」
スマホの充電が終わるまで、タイトルを考える。
「イメージは『神曲』の書き直しなので、『ニュー神曲』とか『シン神曲』とか『神曲・改』とかですかね。どれもパクリですが」
「日本語に不慣れなこともありますが、どれもピンときません」
「『神曲』はブランドなので残したいですね。あとは前後に付ける言葉なんですけど……」
「そうですね。単に『神曲』を翻訳するのではなく、日本向けに再構築、刷新するニュアンスが欲しいですね」
有江は、ダンテの言葉に閃いた。
「刷新は、英語で『リノベーション』です。これ、使いましょう。『神曲リノベーション』というタイトルはどうですか」
「ほう『神曲リノベーション・地獄篇』ですか。いいですね」
ダンテは、気に入ったようだ。