第1話 ダンテが現れる
人生の道半ばを過ぎ、正しき道を踏みはずした私が目を覚ましたとき、煌びやかな街の中にいた。
「危ない! いきなり出てこないでよ」
商店街の通りを駅に向かって歩いていた栃辺有江は、突然、目の前に現れた朱色の布をまとった男を避けようとして、バランスを崩した。
朝の出勤時間に現れたこの男が、イタリア・ルネッサンス初期に活躍した「神曲」の作者ダンテ・アリギエーリだった。
避けようとして、転んだ拍子にヒールを折った有江は、ダンテに弁償してもらうために、貨幣の買い取りに付き合い、新しいパンプスを購入してもらう。
有江は、都内にある梶沢出版株式会社の編集部に勤務している。入社して二年め、今年で二十四歳になる。
遅れて出社しようとした有江だったが、ダンテに泣きつかれ、彼が元の世界に戻れるまで、手助けすることを約束した。
昼食後、有江とダンテは一緒に出勤する。
職場では、有江の三歳先輩である仁廷戸愛永が出掛けるところだった。
ダンテをホールのベンチに座らせ、編集部長を探すが見当たらない。
愛永の姿が見えなくなった時、有江は、編集部長の常磐道に後ろから声を掛けられた。
「ベンチに座っている人がぶつかった人?」
「あ、あの方は、作家さんです」
有江は、とっさに嘘をついた。
「ああ、そうだよね。ネットの方?」
「いえ、わたしに直接連絡いただいていて、先ほど駅前でお会いしたのです。あのお召しなので、驚きました」
そうですかと言うや否や、部長はダンテのもとに向かっていた。
「はじめまして、梶沢出版、編集部長の常磐道と申します。うちの栃辺が担当させていただきますので、よろしくお願いします」
ダンテは、立ち上がって部長から名刺を受け取っている。
「そのいでたちは、ドゥランテ・アリギエーリですね。目立つことは苦手な先生が多い中、アピール度が高い先生は、出版社としても助かります。ところで、先生のお名前をお伺いしても、よろしいでしょうか」
「ダンテ……です」
さすがにフルネームで答えるのはまずかろうと判断したようだ。
「そうですか、それは結構なことです。で、ダンテ先生は、何をテーマに執筆されているのですか。やはり『神曲』ですか」
「しんきょく?」
ダンテは、自身の代表作を耳にしてキョトンとしている。有江は「そこは押さえていないのかい」と心の中で突っ込んだ。
「私は今『喜劇』を書いています」
「ああ、これは失礼しました。『神聖喜劇』ですね。そうですよね、本人なのだから『喜劇』ですよね」
部長は、これは一本取られましたなと言いながら、勝手に納得していた。
出版社を出た二人は、ダンテの服を購入し、寝泊まりするネットカフェを探した。
翌朝、ネット検索に明け暮れたダンテは、午前中、買い物に出掛けた。
愛永を昼食に誘った有江は、職場のベンチで横になっているダンテを見付ける。
「ダンテさんは、そこで何しているのですか」
「ダンテの『神曲』を読んでいます」
話をややこしくしないでと、有江は心の中で叫んだ。