母上①
お茶会はそのまま終わり、母上は言葉少なく私室に戻った。
俺はマイラに連れられて湯浴みである。
だけど俺は母上の様子がとても気になって仕方ない。
最近は顔色があまり良くないし以前ほど喋らない。
ベッドから出てドレスを着る姿だって久し振りに見たくらいだ。
「ボク、どうしたら良いんだろう……」
思わず口から漏れた言葉をマイラが拾う。
「殿下、エウフェミア様に恋しちゃったんです? 可愛らしい方でしたものね」
盛大な勘違いだけどエウフェミアは確かに可愛かった。
あんなに可愛いのに未来の俺やヒロインを恐怖のどん底に突き落とす黒の魔女にメタモルフォーゼするんだよな。
悪役の魔女と呼ぶに相応しいプロポーションと装いで。
あんなのをリアルな造形で見たらどうなるんだろうか。
ぷるっぷるのぼいんぼいんだろうな。
五歳児が考えるようなことではないのは間違いない。
とはいえ、そんな恐怖の魔女があんなに可愛らしいだなんて誰が思うんでしょう?
俺は目の前で見てしまったよ。
赤ちゃんに泣かれて泣き出しちゃう幼気な幼女を痛めつけるなんて俺にはできないな。
うん。そう思ったら俺のヤることは決まったようなもんだ。
エウフェミアが闇に落ちる原因を取り除こう。そうしたらアンテナを常に張って周囲の状況を把握できなきゃダメだな。
貴族というのは騙し合いだから正確な情報を常に知らなければならない。
でも、ボク(サクヤ)は五歳。
なにかできるなんてことは絶対にない。
とにかく今は、誰にも負けない強さを身に付けなければ。
って黙りこくって下を向いてしまった。
これでは俺が認めてるようなものじゃないか!
俺はエウフェミア嬢に懸想したって。
「恥ずかしがらなくたって良いんですよ? 良いじゃないですかー。可愛い公爵家のご令嬢に恋する王子。良いお話ですよ」
くっそくっそ。負けてしまったじゃないか。
俺の前に来て俺の頭を洗うマイラ。
当然、一糸まとわぬ姿の彼女。
小振りの乳房をぷるんぷるるんと揺らして俺の髪の毛を洗っている。
メイド服は胸が強調されてる作りだから大きく見えるけど実際はそうでもない。
中にはとてつもないサイズのものを揺らしている使用人がいるけれど、そういった女性は父上のお手付きのものだったりする。
さすがこの国の王。
そんなことに感心するんじゃなくて、マイラに言い返さなければ。
「いえ、そういうのは特に良いんです。ボク、まだ五歳ですから」
「えー。五歳でも良いんですよ? そんな幼少期から未来を誓いあった仲ってとっても尊いじゃないですか」
尊いって……、や、美談っていうのはわかるんだけど。
俺は王族で彼女は公爵家のご令嬢。
こういう美談って一対一だから成立するんじゃないのか?
ゲームでは一夫一妻だったと思うけど、ヒロインは多夫一妻が着地点。
でも生まれてきてみたら父上には二人の妻が居て、更に他に何人もの愛人を抱えている始末。
更に疑ったのは母上とヌリア母様の間柄。
二人とも妻が複数人いるのが当たり前みたいな言動だし、父上に何人もの愛人がいることを誇らしく感じているのだ。
そういった価値観の中にいるのだからエウフェミアも当然、側妻を娶ったり庶子を設けることを薦めてくるだろう。
とはいえ、俺は誰とも結婚するつもりはないし、早々と王族からドロップアウトしたいのだ。
乙女ゲーの舞台に上がるキャストが居なければ物語は進まない。
その間に俺がフラグを折っていく。
「いえ、ボク、〝尊い〟は見てるだけで良いんです」
「それってもったいなくないです? エウフェミア様ほどの可愛らしい女の子って滅多に居ないですよ?」
確かにそうだけど、ネレアも尊いので大丈夫。
俺はそれだけできっと生きていける。
「良いんです。どうなったとしてもボクが決めることではないでしょうし」
「それはそうですけど、ちょっとくらい楽しんだって良いじゃないですかー。一度しかない人生ですよー? 子どものうちしか楽しめないことだってあるんですからー」
残念、マイラ様。
俺、二度目の人生なんです。
楽しんだって良いっていうのは間違いないんだけど今の俺にはきっと必要ない。
強くならなければならないんだし。
今しかできないことだってあるはずだから、今しかできないなら強くなるために使いたい。
今、甘い言葉に乗って楽しんでしまったら、未来の俺は死ぬか楽しくない人生が待っている。
とはいえ、エウフェミアと同性のマイラだから見方考え方が女性寄りなのは当然か。
「そうですねー。ボクもそう思います」
俺は逃げ出した。
「殿下、めんどくさいと思って逃げましたね?」
しかし、まわりこまれてしまった。
「まあ、良いでしょう。もう洗い終わりましたし、お湯に浸かりますよ」
良かった。俺は解放されたのだ。
この後、食事なのでダラダラしているわけにも行かないのだろう。
それにしても最近のマイラはやたらとアグレッシヴだ。
ショタコンか? と、思うところもある。
前世の記憶では散々だったわけだけど、それに似た雰囲気を感じるんだよね。
たまに俺の身体を触るマイラの手付きがいかがわしかったり、時折、鼻息を荒くするところが怖かったりする。
とっても良い人なんだけどね。早く良い縁談を見つけて結婚して欲しいところだ。
湯に浸かって風呂から上がると、脱衣所で髪の毛を乾かす。
この世界にもドライヤーなるものがあるのは乙女ゲーだからこそだろう。
魔道具が髪の毛を乾かしてくれる。しかも、髪の毛に潤いを与えてくれるのだ。
俺はこの城のことしか知らないけれど、女性が使う化粧品や美容用品なんかはかなり揃っていて、下着も前世のものにとても似てた。
俺の傍で着替えるマイラをいつも見てるからね。石油製品がないと作れない化学繊維なんかもなぜか見かけるし、パンティストッキングやタイツも見た。
マイラのおかげでこの世界の女性たちの生活水準がわかる。
男向けの嗜好品なんかがあまり充実していないのもきっと乙女ゲー特有のものなのかも知れないな。
ともあれ、ちょっとあけすけな感じのマイラが俺の使用人として働いてくれているおかげで、この世界の女性がどんなものなのかを垣間見た。
ある意味助かってるのかも知れないし、実は知らなくても良いことを知ってしまってるのかも知れないけど。
それから、俺はマイラを従えて二階の食堂に移動する。
俺の席に座ると後ろにマイラは綺麗な姿勢で直立。
お誕生日席の父上の左が母上の席。右がヌリア母様の席。
左側は母上に続いて俺、シミオンが座り、右側はスタンリーが座る。
でも、母上の席は空席。
「ニルダ様は体調が優れないご様子で本日は自室で食事をとられるようです」
母上の従者が父上に報せて、母上のもとに戻る。
「サクヤ。お茶会では問題なかったのか?」
父上が俺に聞いた。
お茶会の席で母上がどうだったかを気にしたのだろう。
「今日は言葉が少なめで、体調が優れないようでした」
「そうか……わかった。念の為、医者を手配しよう」
父上はそう言って従者を呼び、母上のために「女性の医者を呼んでくれ」と医者を手配した。
「今日、お姉様を連れてきてくださったけれど、その時も体調に優れないご様子で……心配ね」
ヌリア母様が言う。
食事はゆっくり進んでいるけど、表情は至って神妙。
俺の正面のスタンリーと俺の左のシミオンは女性の使用人に食事を食べさせてもらっていて俺は一人でナイフとフォークで食べている。
それを俺の後ろに控えるマイラが誇らしげな顔で見ているわけだ。
「サクヤは毎日、ニルダを見てるじゃない? いつもどうしてるの?」
ヌリア母様が言葉を続けて俺に聞いてきた。
「母上はベッドからあまり起きられないようで……」
母上はここ数日、体調不良が悪化する一方でシミオンを抱くことも難しく、今日なんかはかなりムリを押していたのか、それで言葉が少なかったんじゃないかと思い至る。
あの場にはイングリート様とエウフェミアが居たから弱っているところを見せたくなかったのか。
でも、晩餐に来られないほどとは俺は思ってなくて、事態は思いの外、重い。
「産後の回復が芳しくないのは、重いわよね……」
「ヌリアは大丈夫なのか?」
「私はもう至って平気……っていうか、ネレアってサクヤにとっても懐いているからサクヤが頻繁に来てくれるおかげで身体を休められてるわ」
「そうか……シミオンのときもサクヤがよく見てくれていたな。その調子でニルダのことも気にかけてやってくれ」
ヌリア母様は健康体なんだよね。
すっかり俺に懐いたネレアを俺に預けてちょっとした用事を足したり従者を連れて入浴したりする。
で、その間、俺はネレアを抱き締めたままどこかしこを喰われているんだ。
ネレアはまだ赤ちゃんだから大丈夫だよね? 一抹の不安はあるもののきっと大丈夫だと信じたい。
何せ前世の記憶には俺が子育てをしたという経験は皆無。
それなりに女性と良い時間を過ごしていたらしいのに何故? と、思うけど。
でも、今は母上だ。母上のことは本当に心配で、ベッドからあまり出てこないから、もしかしたらとは思っていた。
けどようやっと、父上が医者を手配してくれたので良くなっていくはずだ。
「はい。わかりました」
まあ、俺は頼まれなくても母上の部屋に入り浸る──と、言いたいけど最近スキンシップが激しいんだよね。
それはもしかして母上の体調不良が原因なのかもしれないけど。
母上のなかなか良くならない身体を抱えて不安なんじゃないか。だったら何か安心させてあげるものがあれば……。
それが今の母上には俺だったりシミオンが傍にいてあげるだけで良いのかも知れない。
母上はいつも俺を抱き寄せるから。
そんなわけで、食事を終えたら三階にある母上の私室に向かった。
「ごめんなさいね。心配をかけて」
ベッドの傍らに俺とシミオンが並んでる。
部屋着姿の母上は少しやつれた表情で疲労の色が濃い。
それでも、母上は身体を重たそうに動かしてシミオンを撫でて俺を抱き寄せようと俺の頭に手を回す。
「存分に甘えさせてあげられなくて、サクヤには本当に申し訳なく思うわ。あなたが兄妹を守ろうと──シミオンだけじゃなく、スタンリーやネレアのことも兄としてちゃんと面倒を見て支えてあげてるっていうのに、私、何もかもがサクヤに任せっきりで……」
「そんなことありません。母上が元気になってくれたら、それは嬉しいですけど、お加減が優れないのでしたらゆっくり休んで療養なさるべきです」
「そういうところなの。とても嬉しいしよく出来た息子を持ったことを誇らしく思うけれど、私はあなたが一番心配」
母上は俺を抱き寄せて涙を流した。
何故、泣く?
そう思ったけど、母上は分かっていたんだ。
俺がその理由を知ったのはその翌週のことだった。