聖女②
王都ラクティフローラの北西に位置するフレアベイン子爵領。
その領城の一室でアンヌはフレアベイン子爵家の嫡男、ウスターシュ・フレアベインの病の治療を施していた。
「ウスターシュ様、治療は終わりました。これで病が再発することはないでしょう」
フレアベイン家に引き取られてから二年──。
最初に治療を施したときはアンヌがニンフェア領から引き取られたばかりのころだった。
一度の治療では完治せず、アンヌの申し出もあって、ウスターシュがピオニア王立フロスガーデン学園中等部に入学してからも、こうして帰省のたびに、聖女のスキルで治癒を施している。
それも今日が最後となった。
「アンヌ。ありがとう。でも、いつになったら兄と呼んでくれるんだい?」
「ごめんなさい──。お兄さまとお呼びさせていただきたいのですけど、未だに恐れ多くて……」
アンヌはそう言って椅子に座るウスターシュから離れてテーブルの横に移動。
ウスターシュの対面にある椅子には座らずにウスターシュの言葉を待った。
「お母様とは今も打ち解けられていないのかい?」
無言のまま目を閉じて首肯するアンヌ。
「そうか……アンヌには気苦労をかけて済まない。お母様をなんとかできれば良いけれど、私ではどうにもならない……」
顔を伏せるアンヌにウスターシュは「遠慮なく座ってくれ。茶を用意させよう」とアンヌを椅子に座るよう促して、従者に茶の用意を指事。
アンヌは小さくカーテシーをして「お気遣い痛み入ります」と椅子に座った。
「こんな家じゃ、なかなか、我が家だとは思ってもらえないよね」
ウスターシュはため息を吐いて茶を啜る。
目の前のアンヌは純真無垢な印象をもたせる可憐な少女に育った。
そんなアンヌに命を救われたウスターシュは、彼女への思慕を深め、義妹の待遇を嘆いている。
フレアベイン家は王都からも近く、女性の価値観は王都に非常に似ており、女性は気に入った男性と自由に過ごす。
それはウスターシュの実母、エメリーヌ・フレアベインも同じであった。
イゴールにとっての実子はウスターシュのみという状況で、養子として迎えたアンヌを実子のように扱っている。
それを快く思わないのがウスターシュの他に四人の娘を生んだエメリーヌ。
エメリーヌが生んだ子は全てで異父兄妹。そのために、イゴールはエメリーヌの腹から生まれた娘たちを、フレアベインの家名は与えても実子として扱うことをしなかった。
それがエメリーヌにとっては面白くなく、アンヌに対して厳しく接している。
そんな難しい環境のもと、アンヌは二年を過ごしているが、エメリーヌからの扱いに心病まれることなく育ったのはイゴールがアンヌに優しく、フレアベイン家の使用人や領民からの人気があったおかげである。
アンヌはニンフェア領にいたころと変わらず、聖女としてフレアベイン領でも民の支持を集めていた。
それに、アンヌはイゴールからひとつ、約束をもらっている。
「いいえ。とんでもございません。お義父さまにはとても良くしていただいてますし、高等部からになりますが、王都の学園にも推薦してくださると仰せをいただいきました」
アンヌはフレアベイン子爵家の子女として、王立フロスガーデン学園への入学をイゴールが薦めていた。
イゴールはフレアベイン領を背負って立つ聖女としてアンヌの出世を望んだ。
フレアベイン家の嫡男として王都に送ったウスターシュと同じく、イゴールにとってはアンヌもフレアベイン家の子なのだと示すために。
しかし、中等部に入学させるには間に合わず、高等部から王都に送ることになったが──。
ウスターシュはそのことを知っていて、アンヌと同じ校舎に通う日を楽しみにしていたが中等部への入学は叶わず残念に思ったものだが高等部では一緒になるのだと嬉しく思っている。
「そうか。では、アンヌが高等部に入学したら王都で一緒になるんだね」
「一年ほどしかございませんが、ウスターシュ様……いいえ、お兄さまと同じ学園に通えることを嬉しく思います」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、まだ、三年も先なんだよね」
「そうですね。先のことを思うととても長く感じられます。でも、あっという間ですよ」
「そうだね。ぼくは、アンヌのおかげで学園に通えて、やっと魔法を使えるようになって、毎日が楽しくてあっという間。そう考えると三年なんてすぐだね」
「私もお義父様の教育や、領民の皆様との時間もございますから、三年はあっという間に感じそうです」
ウスターシュにとって、アンヌの可憐な笑顔は胸を踊らせるのに十分なほどだった。
ウスターシュの私室から出て隣の自身の私室に戻ろうとすると、女性の家人を従えたエメリーヌの末娘──クラリス・フレアベインが扉の前で待っていた。
「おねえさま。お兄さまの病気の治療でしたか?」
クラリスはアンヌに似た面影の持ち主。
エメリーヌの娘たちの中で唯一人、アンヌに懐いている妹。
彼女の実父はウルク・ニンフェアだったが、父親が誰なのかわからないエメリーヌにとってはどうでも良いことなのだが、クラリスは本能的に血の繋がりを感じていたのか、姉たちと違って実姉のように感じ取っている。
そして、それは、アンヌは当然、知っていた。
アンヌの聖女としての能力の一つ、鑑定で把握している。
「ええ。お兄さまの治療をしていたの。それも今日で終わりですけれどね」
「じゃあ、おねえさまと一緒に居ても良い?」
「この後は特に予定はありませんし良いわよ。せっかくですし、今日は領内を一緒に回りましょうか?」
アンヌは自分の四歳年下の小さな異母妹に右手を伸ばしてクラリスを誘った。
クラリスは「はい!」と嬉しそうに手を取る。
アンヌとクラリスは手を繋いでフレアベインの街へと繰り出した。
アンヌがフレアベインに引き取られて初めてクラリスを見たとき。
クラリスがウルク・ニンフェアに似ていたからか不思議と親近感が湧いた。
自由になるために見捨てたというのに、アンヌを慕うクラリスをアンヌは悪く思えず。
これは私の贖罪なのかな──と、アンヌは自問したほど。
そんなこともあって、アンヌはクラリスが近くに来れば一緒に過ごすのはやぶさかでないと感じていた。
フレアベイン領は人口二万人弱。
縫製業などが盛んで狭い領地でそれなりに濃い人口密度を誇っている。
平民でも身ぎれいな装いは産業があってのもの。
アンヌはこの小さく綺羅びやかなフレアベイン市を好ましく思っていた。
「アジル様、この間、治療させていただきましたね。その後のお加減はおいかがでしょう?」
アンヌは通りすがる人に名を呼んで声をかける。
「嗚呼、聖女様。こんな私めに敬称などおつけしてお呼びくださるとは──」
アジルと呼ばれた男はアンヌに声をかけられて滅相もないと地べたに跪こうとするとアンヌは彼の両腕を掴んで動きを止めた。
「良いんです。それより、あれから良くなりました?」
アジルは「大変恐縮でございます」と頭を下げるにとどまり「聖女様の治療のおかげでとても快調です」と感謝を伝える。
「私の治療は教会での治療と違って万能ではありませんから、こうしてアジル様がお元気にしてらっしゃる様子が伺えて安心しました」
そう言ってアジルの肩に手を添えたまま、眩い微笑を老人に向けるアンヌ。
このようにアンヌはフレアベイン領の領民の病や怪我を嫌な顔ひとつせずに施してきた。
お金はいらないわ──と、アンヌは民の治療に携わるが、それではいけないとイゴールは治療費を受け取るように指導している。
だが、アンヌはそれでも「お気持ちで良いですから」と身分に関わりなく格安で治療を行う。
歴代の聖女がそうしたように、身分に関わらず一人一人の名を覚えて名を呼び、ほぼ無償で治癒を施す。
そうして、領内での名声をアンヌは高めていた。
クラリスがアンヌと初めて会ったのはまだ六歳になったばかりのころ。当初からアンヌに懐いた彼女はアンヌに付いて回っており、アンヌが貴族の子として横柄にすることも、見返りを求めることもなく領民へ治療を施す様子をずっと傍で見ている。
フレアベイン領はイゴールが穏和な性格で領民はニンフェア領と比べ物にならないほど穏やかな気質。
アンヌは温かい領民に囲まれて半分とはいえ血の繋がりを感じさせるクラリスが傍にいる環境に居心地良く感じていた。
ニンフェア領のころとは違う。
お金のために治療をするのではない。
人々の笑顔のために、本来の聖女のように、民に尽くすことに喜びを感じ始めた。
それに人々から感謝されるたびに、自身の確かな経験として魔力を高め成長する実感もある。
アンヌは奴隷の女から生まれた娘として生きていたが、フレアベイン領ではイゴールの養女として、聖女としての自信を積み重ね、劣等感とそして自由になるために背負った罪悪感に苛まれる自分から徐々に脱却。
アンヌは聖女としての人生を歩みだしていた。
アンヌとクラリス、それとクラリスの従者が領城に戻るとクラリスの実母のエメリーヌが見知らぬ男性を送り出すところだった。
エメリーヌが男性の腕に手を回し、うっとりした表情を見せている。
「あら、おかえりなさい。また、街に出ていたの?」
「ごきげんよう。お母様……それと……」
エメリーヌがアンヌとクラリスに気がついて腕を組んだまま声をかけた。
クラリスが彼女の声に応じ、見知らぬ男性もいることからカーテシーを見せて挨拶をしようとする。
「ジョシュア。ジョシュア・アコニタ。アコニタ辺境伯家の次男よ」
エメリーヌは空いている手でジョシュアという男の胸を撫でて紹介。
名前を教わったのでクラリスはカーテシーをして挨拶をする。
「はじめまして。クラリス・フレアベインと申します」
上品なカーテシーをするクラリスに続いて──
「アンヌ・フレアベインにございます」
アンヌもカーテシーをして名を名乗った。
「キミがアンヌ・フレアベイン──たしか、スタンピードで滅んだニンフェアの遺児と伺っているよ」
ジョシュアはアンヌに笑みを見せる。
少し下卑た声音で、アンヌとクラリスに不快な感情を抱かせるものだった。
「はい。なんとか生き残ったところをイゴール様に助けていただいて、養女として迎えてくださいました」
アンヌは不快な気持ちを隠して抑揚を抑えてジョシュアの言葉に返答。
「まあ、それも聞いているんだけどね。ニンフェアは男爵家。子爵家に拾ってもらえて運が良かったね」
ジョシュアは言葉を吐き捨てて、エメリーヌと組む腕を解いてエメリーヌの細い腰に手を回す。
「じゃ、ボクは帰るから」
「ジョシュア様を送ってくるわね」
エメリーヌは艷やかな表情を見せながら城門に待たせているアコニタ家の馬車に向かった。
仲睦まじく身を寄せ合って城門に歩く二人を見送ると、
「おねえさま、戻りましょう」
と、クラリスが眉間に皺を寄せて手を引く。
アンヌはジョシュアとエメリーヌから城門を眺めるバルコニーに目線を向けるとそこにはイゴールの姿があることに気がついた。
(イゴール様はお気の毒に……)
爵位の差をそれほど考慮しないピオニア王国とは言え、辺境伯家と子爵家では身分に大きな差がある。
エメリーヌにしてみれば何人ものパートナーのうちのひとりでしかないが、イゴールには目の上のたんこぶにしか思えなかった。
妻は一人しか迎えていないのに、迎えた妻は何人ものの情夫を抱えている。
その情夫にもイゴールは責任を負わなければならない。
それが[呪われた永遠のエレジー]の舞台、ピオニア王国での決まりごと。
当然、イゴールは面白くないが貴族の子として生まれ、嫡男を設けた自身に課せられた義務。
そんなイゴールをアンヌは気の毒に思いながら、クラリスとともにフレアベイン城に戻った。




