アマリリス辺境伯領⑤
城壁の門を跨いで平民街に出ると、そこは広場。
だが、閑散としていて城壁内に向かう貴族とや証人の列くらいしか人がいない。
「思ったより人が少ない──」
「外から来る貴族や商家が待機する場所で、平民はもう大通りから外れたところが生活圏よ」
俺が見たいのは市民の生活の様子。
土地勘のあるイリスが俺の手を引いて大通りを下る。
東に伸びるこの大通りは独特。
左右は緑地になっていて道路から少し離れた場所に建物が背を向けて建ち並んでいる。
俺がアストロン市内に入った時は並木通りっぽくて良い景色だと思った。
だけど、こうして歩いてみると人通りはそれほどでもなく、並木通りは平民が大通りに入らないように区分けするためのものに見える。
「昔はもっと人通りの多いところだったけど、ヴァラン様が領地を継がれてからこの大通りの工事が始まって十年ほど前に今の姿になったの」
大通りに側道ができそうなほどで、左右の並木も大小交互に植えられているし、大通りからの景色をあまり見せたくないといった様子。
馬車から見える景色は目線が高いから木々でそれほど見えないから目立った建物しか車窓に映らない。
考えてみたら俺(朔哉)の記憶でもアストロンは城壁の内外であまりにも様子が異なっていた。
ゲームのマップを思い出してみよう。
アストロンは小高い丘の上に立派な城が聳え立つ。
城壁の内部は大きな大きな建物が多いが、古い建造物ばかりだった。
城壁外は南側と北側がダンジョンと隣接していて、昨日、俺が見に行ったのが南側の迷宮。
アストロンには冒険者組合の建物が三つ存在する。
北、西、東とそれぞれ城壁外──平民街の中でも郊外近くに。
ダンジョンが多いアマリリス領でもアストロン近郊は大小の迷宮がいくつも存在する。
それはゲーム中に語られていたが、攻略できるダンジョンはひとつふたつ程度。
冒険者が活動しやすいように迷宮に繋がる場所に冒険者組合を設けた。
郊外に近いほうが建物が大きいことに違和感はあったけど、思い返すと腑に落ちる。
「ここは今、王都で言うスラム街みたいな状態──なのかな?」
「そうね。けど、建物や壁、街路樹で隔てられてるから、大通りは割と安全よ。殿下にここを見せたかったのは大通りって綺麗じゃない? ここまで整った並木道は王都でも見なかったから見せてあげたかったの」
「それは、どうも──」
確かに、ここまで見事な並木道は王都にはない。
それを俺に見せたがったイリスの気持ちは嬉しいけれど、やはり、これでは民の様子が気になってしまう。
「向こうも見てみたいです」
俺は北側の平民街が見たいと訴える。
「では、ちょっとした小道があるので、そこから参りましょう」
イリスが抜け道を知っているということで、そこに向かう。それもすぐ側。
抜け道は小さな小道。
大人だと通るのが大変そうだけど、少年の俺や大柄でないイリスは難なく通れる程度。
こんな道もあるんだなと、前世で言う秘密基地への抜け道みたいでわくわくする。
何だか悪いことをしているみたいで──昔、母上のために地下水道に潜ったときのことを思い出す。
「ここからリコリス男爵家の屋敷に行けるの。今はリコリス家の家ではないけど」
イリスの言葉に俺は驚いた。
「リコリス男爵家の家って貴族街にあったんじゃないの?」
「昔から、リコリス家の屋敷はここにあったの。以前は城壁の外に住んでる貴族がいたけど、ルッツ様の代の前にはリコリス男爵家だけだったわ」
抜け道を抜けると平民街──なんだけど、どうみても貧民街。
平民服でもちょっと小綺麗に見えてる俺やイリスのほうが浮いていた。
それでも道を抜けたら人が歩いてる。
破れたボロ布をかぶって子どもや女たちはやせ細ってる。
男は仕事に行っているのか、ここではあまり見ず、若い女性の姿もない。
「でも、今のここはスラム街。スラム街に住むような平民は職に就くのが大変で男性たちは北の冒険者組合で仕事を探して、女性たちは夜に働くことが多いの」
そんなわけで、このスラム街では子どもたちと少しばかり歳のいった女性たちしか目につかない。
少し城壁側に歩くと、イリスは足を止める。
そこは一区画だけ、周囲と明らかに広さが違ったが、その中に雑多に小さな家が建っていた。
「ここにリコリス男爵家の屋敷があったの。今は取り壊されてスラムの住人の住居が建てられているけど、昔はここに来てリディアお姉さまに剣を教わったわ」
懐かしそうな表情をするイリスだが……。
「でも、リディアお姉さまがヴァラン様に見初められてから、ここの様子がすぐに変わってしまったの──」
リディアやルッツからは聞かなかったことをイリスは言葉にし始めた。
リディアには婚約者がいた。
相手はラエヴィガータ家の長男。
イリスがリディアと知り合えたのもラエヴィガータ家への輿入れが決まっていたからだった。
だが、領城で開かれたパーティーにリディアはラエヴィガータ家の嫡男のパートナーということで参加したときに、ヴァランの目に止まる。
そこから全てが狂ってしまった。
「わたしは幼くて当時のことはわからなかったけれど、父が閑職に追いやられ、兄はヴァランのお手つきの平民の女を充てがわれた。ルッツ様が退役されると、ヴァラン様の横暴は勢いを増し、リコリス家の屋敷は取り壊された──今思えば、アストロンから追いやるためにヴァラン様が命じられたんだと……」
リディアをモノにするためにどうやらヴァランはかなりあくどいことをしたようだ。
女にだらしがない父上でもここまでのことはしていない。
イリスは淡々と話しているけど、内心では悔しそう。
けど、英雄と称されるまで上り詰めたイリスのモチベーションを知ることができた。
イリスはラエヴィガータ家の復権とリディアのために王国騎士団に入団して身を立てたのだ。
さらに彼女のショタコンは、ヴァランの横暴に起因するということもわかった。
なお、ルッツが重用されていたのはヴァランの祖父が存命だったころだけだったようで、ヴァランの父の代から徐々に身分差による区分けが進んだらしい。
それがヴァランの代なって顕著になった。
ベローネもどうやらアマリリス領での生活はとても苦労していたようで──。
武芸に秀でたものがなければきっとひどい状態だっただろう。
思ったよりも深刻だ。
あと何年かしたらここはスタンピードによって陥落するし、イリスは命を落としてしまう。
目の前のイリスを見ていると彼女の死に心が痛む。
──イリスを死なせたくない……。
今の俺ならスタンピードの原因──上級ダンジョン【死せる騎士たちの迷宮】を条件を満たせば攻略することがはできるはず。
そのためには古より伝わる大剣──聖剣ミスティルテインを入手する必要があるはずだ。
ゲームではダンジョンの封印にこのミスティルテインが触媒として使用されていて、聖女にかけられた加護が弱まったことで迷宮が瘴気で満たされ、その効力が失われた。
力が弱まったミスティルテインをベローネが所有することになり、主人公のアンヌ・フレアベインが聖女の加護を剣に与えると、迷宮ボスに強烈なデバフがかかり討伐可能という設定。
迷宮ボスのエルダー・リッチのレベルは百。しかし、ミスティルテインの効力で不死者のレベルが半減して五十に下がる。
ミスティルテインは階層ボスを倒すことによってその能力を取り戻し、迷宮ボスのエルダー・リッチを討伐──というストーリーで攻略が進むイベントダンジョン。
現時点ではミスティルテインと聖女の加護を用いた封印が働いているから解除はできない。
最初に封印を施したのがお師匠様らしいから、お師匠様に聞いたら封印を解く方法を教えてもらえるんじゃないか。
しかし、人知れず封印を解いてスタンピードが発生しなくなった場合、イリスは生き延び、ベローネはアマリリス領の領主になることはない。
イリスには生き延びていて欲しいけどベローネがアマリリス家の当主にならなければ、ここはどうなるのか。ベローネはどうなるんだろう。
現状は良い扱いを受けていないから変化する時宜を失えば未来永劫このままだ。俺が手を加えることで変わってしまうなら俺のせい──俺が責任を取らなければならない。
そうするとどうしたら一番良い責任のとり方になるんだろうか。
王位継承権を放棄すると決めてる俺だから無責任でも良いかもしれないけど、ベローネに対する後ろめたさで死ぬまで心残りになりそう。
とはいえ、ベローネなら一人でも何とかなりそうだとは思う。成長を遂げた彼女はカリスマ性のある希代の女傑になることは間違いなからだ。
それでも後に引くことをするのは気が引ける。
誰も死なせることなく丸く収める──そうするには選択肢があまりないように思えた。
イリスを死なせたくないということはベローネに対する何らかの手立てを考えなければならない。
今のベローネに俺という後ろ盾があれば、いくらかの助けにはなりそうだ。
ヌリア母様がリコリス領を気に入ったこと、ベローネが俺の学友だという状況を利用できる。
ベローネのことはなんとかできる。なら、イリスはどうだろう。
彼女に視線を向けると眉間に皺を寄せていた。
彼女の心境を図ると、ゲーム内で上級ダンジョンに少人数で挑んだのはアマリリス領で功績を収めたかったからなのだろうと推測。
しかし、イリスでは力が足りず、彼女は命を落としてしまうことになるわけだ。
俺(朔哉)の記憶から沸く感情は、イリスを助けろと言い始めている。
俺はイリスを救いたい。
「俺がなんとかするよ。こう見えてもこの国の王子なんでね」
俺の口から自然にイリスを救いたいと言葉に出る。
「そうね。こんなこと言ってごめんなさい。いくら弟子のように慕ってくれてるからと言って殿下を頼りすぎるのは良くないよね。さっきのは忘れて──」
イリスはハッとした表情をしてから真顔に戻った。
感傷が彼女の心を昂ぶらせて言わせてしまったところもある。
けど、俺はもう決めた。
王都に戻ったらお師匠様に相談する。
お師匠様が封印したというのなら、お師匠様がファストトラベルでダンジョンの入り口に転移できるはず。
もしかしたら、ここ──アストロンにも来れるかもしれない。
俺はイリスの言葉には何も返さなかった。
ただ、彼女を見てニコリと微笑んでみせただけ。
俺の笑顔にイリスは目を伏せた。
言葉にしたことを後悔したんだろう。
俺はイリスの肩に手を置いて、
「北側にあるという冒険者組合を見に行こう」
と希望を伝える。
すると彼女は口を緩ませてこう返した。
「承知しました。北の冒険者組合はダンジョンに近いこともあってとても盛況なんです見ごたえがありますよ」
ちょっと空元気に見えたけど、リコリス家の屋敷があった場所から北に向かって歩く。
アストロン随一の冒険者組合はとても大きかった。
様々な人達がいて、いろんな領地や国からやってきているらしい。
ここなら一端の貴族がいても何とも思われなさそうだ。
北の門から出るといくつもの迷宮が存在するという。
初級から中級程度の恒久ダンジョン。
機会があれば行ってみたい。




