アマリリス辺境伯領④
二日目の夜──。
晩餐を終えてヌリア母様に呼び出された俺は、ヌリア母様と二人きりで部屋で茶を囲んでいる。
「このアストロンという街は同じ貴族でも伯爵家と子爵家、男爵家でかなりの身分差があるようね」
ヌリア母様はアストロン市内を見て回った。
領主ヴァランと嫡男バルバナーシュ。それとヴァランの妻たち。
彼らの案内で馬車でアストロン市内の名所を巡りアストロン市の素晴らしさを耳がタコができそうに為るほど聞かされたそうだ。
「俺も驚きました。訓練所は郊外と領城近くの二つに隔てられていて身分によって振り分けられてました」
「そう。私が見たところは貴族街でも中心部ばかり。平民を見ることがなかったわ」
ヌリア母様はヴァランのプランでアストロンを周遊した。
領城が美しく見える名所や上級貴族向けの商館を紹介されたそう。
食事はアストロン城内でヴァランお抱えの料理人が腕を奮ったものを振る舞われた。
「王都ではこのような身分を感じさせることがそれほどないので違和感がありましたね。特に王国騎士団では平民の士官もありますから……」
王都の学校は成績優秀な平民や商家の子も入学する。
貴族に混じって登校するからさぞ肩身が狭い思いだろうけれど、学内では身分は関係ない。
そしてそれは王国騎士団でも同じで、試験で優秀な成績を収めれば一兵卒として入団することができた。
とはいえ、平民では出世はできず、昇進してもせいぜい伍長までと言ったところだったが。
「これでは何かあった場合に統制が行き届かないでしょうね。何かしらの改善が必要そうだわ──」
有事の際に──と言いたいところだが、ここは辺境伯と言っても国境が隣接しているわけではない。
確かに国境ではあるけれど、東以外は山脈が連なり、未開拓地が続く。
こういった有事が発生しない環境だから身分で隔てることなく末端まで支持が行き届く体制を敷くという意識が欠如したのだろう。
大半の貴族は寄り親への忠誠に乏しく、領民は辺境伯家を快く思っていない。
ここまでの旅で、これほどまでに身分差を明確にしている領地はここが初めてだった。
他の領地をアマリリス領ほど見たわけではないけれど、道行く人々を見る限り、平民や禄の低い貴族とそれ以外の差が激しく乖離しているのはここくらいだろう。
もしかしたら、ここに来る前に立ち寄ったアルストロメリアもそうだったのかもしれない。
アルストロメリアはリコリスに対する扱いが悪かったから、きっとそうだろう。
「アマリリス領はダンジョンが多く、中には強力な魔物を有する迷宮も存在します。今日、領軍の訓練を見た限りでは彼らではスタンピードなどに対処するのは難しいと思いました」
「そうよね……王都に戻ったらナサニエルに報告はしておくわ。とは言っても、対処してくれるかどうかは期待できないのよね。でも、ここは王都から遠いからもう少し地力が必要ね」
ヌリア母様はそこまで口にして俺の頭を撫でて抱き寄せた。
「それにしても本当に賢くなったわ──いいえ、ずっと賢かったものね。スタンリーを傍で見ているから貴方の凄さがよく分かるの」
甘い香りがヌリア母様のほうから漂う。
うっとりした声音には色香が乗り、きっと年頃の男子ならそそるものがあるだろう。
ほんのり赤みがかったデコルテが俺の視界を専有し、その先にはヌリア母様の熟した果実実っている。
「それは……どうも──」
とはいえ、俺にとっては母親も同然。
何を言って良いのかわからずにいたら、ヌリア母様が少し小さくため息をついた。
「ああ、いけないわね。夜ふかしは良くないわ。今日はここまでにしましょう」
ようやっと開放された俺は安堵。若干落ち着かないところはあるけど、それは男児として生まれたからには健康の証。
何とか気付かれないように、おやすみの挨拶をして俺は部屋に戻った。
ベッドに入ると瞼の裏にはお師匠様の姿が浮かぶ。
「お師匠様に会いたいなぁ……」
俺は俺(朔哉)ではなく俺。
だからきっと、女性に目移りして情欲が駆られてしまう。
けれど、それでも、俺はお師匠様が好きだ。
五歳のころにお師匠様に出会ってから、ずっと、お師匠様と一緒にいたけれど、こんなに長い間離れたのはこれが初めて。
お師匠様のことがとても恋しく想えて止まなかった。
翌日──。
「お母様、今日はイリスをお借りしても良いでしょうか?」
朝食の前にヌリア母様の部屋に向かって今日の予定を確認。
そこで俺はアストロン市内を見たいけれど、ヴァランたちの主導ではなく、アストロン市に詳しいイリスの案内で市内観光をしたかった。
「少人数で市内を少し見て回りたいのですが、アストロンに詳しいイリスなら護衛としても適任だと思いお借りしたいのです」
「わかりました。私は本日は領城内で少し公務を行いますからイリスがサクヤについていっても宜しいでしょう。許可します」
ヌリア母様の許可を得られたし、イリスには昨日のうちに相談済み。
昨夜、ヌリア母様に相談したかったけど、何故か途中で話を切られてしまったからその日の朝に相談ということになった。
本来なら今日もベローネとボアンと行動する予定だったんだけど、それはお断りすることになるだろう。
俺はもう少し、このアマリリス領とアストロン市を知りたかった。
「それでは、イリス。サクヤのこと、お願いしますね」
ヌリア母様はたおやかに微笑む。その表情は昨夜の甘い香りを思い起こさせるもの。
それほどまでに少年の俺には刺激が強かった。
そんな俺の心情をよそに、イリスは「はっ! 承りました」とヌリア母様に返す。
「では、俺は着替えるからイリスも着替え頼むね」
今日は俺とイリスの二人で街に出る。
だから目立つ装いではなく貴族としても平民としても見られる服装で市内を巡る。
俺とイリスの二人で出る──ということで城のエントランスまでベローネとボアンが見送りしてくれた。
「イリス姉さまと一緒だから心配してないけど、気をつけてね」
「本日はサクヤ殿下とのお時間を楽しみにしていたので残念ですが、私どもでは市内をご案内することができませんものね。お気をつけていってらっしゃいませ」
二人の美少女に見送られて俺はイリスと城を出る。
「外では姉さんと呼ばせてもらうから、イリスも俺をサクヤと呼んでほしい」
「呼び捨ては恐れ多いからサクヤくんと呼ばせてもらいますね。それにしても殿下に姉さんって呼ばれると思うと……」
頬を緩めて「ぐふふ……」と下品に含み笑いするイリス。
街のごろつきよりもこっちのほうが危ないんじゃないか。別の意味で身の危険を感じる!
ともあれ、今日のイリスも平民に近い装い──。
滅多に見ることのない服装だし、褒めておくべきか。
「今日のイリスは普段と違って自然で良いね。俺は今日のイリスのほうが好きだよ」
ピオニア王国の辺境、アマリリス領も南方で温暖とは言え薄着では寒い。
イリスは薄手のハーフコートに膝丈のスカートという姿。
目立たない太さの腰帯には護身用の小刀が装着されている。
俺(朔哉)的にはとても良い見た目だが、俺としてはやはりもう少し整った服装を好む。
それでもイリスは大きすぎず小さすぎずで均整の取れた体型だから見栄えが良い。
俺が普段見ている軽鎧姿のイリスとは違って、年上の女性らしい魅力を感じた。
それで、今日のこの姿のイリスを好ましく思い、それを言葉にする。
イリスは頬を少しだけ緩めて──
「殿下のお褒めの言葉、嬉しいわ。勘違いしてしまいそうよ」
そう言ってから俺を揶揄うようにニヤつく。
彼女はショタコンである。もう俺はイリスのストライクゾーンから外れることだろう。
まだ、イリスと変わらない背丈だから彼女は俺を揶揄う程度に好意を向けていた。
そのうち、シミオンでも充てがっておこう。
シミオンならきっと、何歳になってもイリスの嗜好から逸脱しない。
子爵家の娘ということで王族の妻にするのは難しいだろうがイリスは王国軍で功績を上げて出世する。
アマリリス領でのスタンピードがなければ死ぬことはないはず。
生き延びたら間違いなく子爵位くらいまでは叙爵されるし軍を代表する女傑として人気が高いからシミオンの妻になったとしても多くの民の支持を得られるのは間違いない。
「イリスはちっちゃい子が好きみたいだけど……」
「それはそうだけど、それとこれとは違うじゃない? サクヤ殿下はとても魅力的な男性になると思ってるわ」
それとなく、彼女の嗜好を確認したけど、どうやら彼女は俺をロックオンしているようだ。
「私は結婚するつもりはないけど、子どもは生んでおきたいのよね。サクヤ殿下はまだでしょう? 私もまだだけどサクヤ殿下の初めての相手になるなら良いと思ってるの」
アストロン城の城門を出て広場に差し掛かるというのに、イリスから爆弾発言が落とされる。
この世界の女性は貞操観念が少し緩い。
ゲームでもヒロインが簡単に体を許したりするから男性には理解ができない。
おそらく溺愛がテーマだからだと思うけど男性キャラも手が早く、男性向けの恋愛ゲームみたいに付き合うまでの過程というものが欠如していた。
そんな世界観だから、イリスの口からそういった発言が出るんだろう。
「俺にはまだ早いですよ」
イリスの言葉にそう返して、貴族街と平民街を隔てる城壁を目指す。
今日の俺はヌリア母様が見られなかった平民街を見て回りたいのだ。
「そうかなぁー。知り合いの貴族の坊っちゃんはサクヤ殿下くらいの歳で初めてを済ませてるって聞いてるわ」
「そうかもしれないけど、俺は人より成長が少し遅いらしくて……ほら、俺、無能者って言われてるし……」
「サクヤ殿下が無能者なら、手合わせで無能者に勝てない私は騎士爵に相応しくなかったわね」
「や、イリスは強いじゃないですか……魔法だって使えるし」
「あははは。私だって魔法が使えても大したものは使えないじゃない。それに光だけじゃなくて水や土を出して、火も起こせるサクヤ殿下が魔法を使えない無能者だなんてありえない。ヌリア殿下もそう仰ってたわ」
無詠唱でつい、光を出して足元を照らしてしまったことで、俺は詠唱しないで魔法を使うということがバレてしまっている。
それでも詠唱魔法は使えないから試験をしたら俺は無能者という扱いに収まるはず。
「でも、詠唱したら魔法が出ないんです……だから俺は──」
「ヌリア殿下は、詠唱で魔法が発動しないのは何かしらの原因があるはずだと仰ってたの。サクヤ殿下のこととても大事にしてる王妃殿下だからきっとサクヤ殿下を無能者と呼ばせないようにしてくれるはずよ」
俺が言い切る前にイリスが俺の言葉を遮った。
イリスが嗜好を犠牲にしてまで俺の立場を慮ってくれることは嬉しいけれど素直に喜べない。
彼女にも当然、下心はあるだろう。
ヌリア母様の話を持ち出してくるところもそうだ。
とは言っても、王位継承権を放棄したい俺にとって無能者呼ばわりされる現状は好ましい。
それを否定するのは良いけれど俺の地位を回復するのは嬉しくない。
だけど、ヌリア母様とイリスの善意を無下にするわけにもいかない。
現状は非常に難題である。
「それはありがとうございます……」
「私たち王国騎士団は王家に仕える騎士としてサクヤ殿下に敬意を持っていますから当然です」
イリスは真顔で俺に敬意を払う。
ありがたい──ありがたいんだけど……。
俺は俺の計画が少しずつ頓挫し始めていることを憂いた。




