外遊①
良い肉の日──俺の誕生日に決まった外遊は異例の速さで準備が進む。
外遊の行き先はアマリリス辺境伯領の領都アストロン。
その中継地としていくつかの宿場町に泊まるわけだけど、その中にベローネの祖父の家、リコリス男爵領も含まれた。
リコリス男爵家は男爵としては数少ない領地持ち。
妾腹の子として産まれたベローネは幼少期の大半をリコリス領で過ごしている。
そして、ベローネが師事するイリスもラエヴィガータ伯爵家の妾腹の子。
土地を持たない宮廷貴族のラエヴィガータ家で、イリスは肩身が狭い環境で育った。
だから、早く独り立ちしたくて武芸を学び、生まれ育ったアストロンを出ることを選んでいる。
そんな環境で育ったからなのか、イリスはショタコンを拗らせて婚期を逃しつつあった。
十二月下旬を迎え冬休みに入る。
この日、アマリリス辺境伯領へ向かって出発した。
「ヌリア様、サクヤをお願いしますね」
「ええ、任されました。スタンリーとネレアをよろしくお願いいたします」
俺の引率はヌリア母様。
俺とヌリア母様の二人でアマリリス領に向かうことになった。
護衛は王国騎士団の第一旅団から五十名ほどの小隊規模で、その隊長にはイリス・ラエヴィガータ准将。
それとヌリア母様の従者でフラグラン子爵家の次女、コロネ・フラグランが一名同行する。
馬車には俺とヌリア母様、コロネの三名で、馬車の傍には馬に跨るイリスの姿が窓越しに見えた。
なお、お師匠様はこの旅に同行しない。
城に残ってネレアとノエルの面倒を見るそうだ。それとエウフェミアの講師としての仕事もある。
それは父上も同じで、公務があるから城を離れられないと言うことで、外遊を最初に口にしたヌリア母様が保護者として俺と同行することを許可している。
「こうしてサクヤと一緒に長い時間を過ごすのは初めてのことね」
俺とヌリア母様は隣り合って座っている。
母上より少しだけ若く、まだ二十代のヌリア母様の美貌も母上に負けず劣らずのもの。
エウフェミアの母親のイングリート・デルフィニーの実妹のヌリア母様。
イングリート様もそれはとても美しくて立派なものをお持ちであるが、ヌリア母様もやはりそれなりのものをお持ちである。
よく似た姉妹だからかエウフェミアに似た雰囲気もあった。
「そうですね。最近は私がヌリア母様の私室にお伺いすることが減りましたから……」
「ネレアがノエルと一緒になってサクヤの部屋に入り浸ってるものね」
ノエルがファストトラベルを使って俺の部屋に侵入するようになるまで、俺はネレアに会いにヌリア母様の私室によく訪ねた。
それまでは母上の部屋にも良く行ってたんだけど、今では学園から帰ってきてから顔を出す程度。
こうして身近にヌリア母様がいるということは滅多にない。
「それに私が正妃になってからというもの、サクヤと距離が出来てしまったみたいで淋しく感じていたのよ」
そう言ってヌリア母様は俺の頭を優しく撫でてくれた。
「サクヤはこうやって素直に頭を撫でられてくれるのね。スタンリーなんて頭を撫でようとしたらすぐに逃げちゃうのよ」
俺の頭を撫でながらクスクスと笑うヌリア母様。
スタンリーの気持ちは分からなくもない。
「それって、恥ずかしいからじゃないでしょうか」
「男の子ってそうなのかしら? ネレアは今でもおとなしく撫でられてくれるのよ」
「きっと、ヌリア母様がお美しいから照れてしまうんだと思います」
「そうかしら? そうだと良いんだけれど──でも、そうと思えないのよね。撫でようとすると『俺はそんな子どもじゃないんだッ!!』って怒ることがあるんだもの」
ヌリア母様は悲しそうな顔をする。
スタンリーってそういう奴だったのか──。
「でも、怒らないであげてね。サクヤを見て、いつかきっとわかってもらえるって信じてるところもあるの。スタンリーがサクヤを嫌っていることにはもう気が付いていると思うけれど、それでも、弟として向き合っていてほしいって思ってるの。サクヤはニルダ様の子だけれど、私がスタンリーを生んでから実の兄弟のように接してて、それだからか、サクヤのこと、スタンリーと同じく私がお腹を痛めて生んだ子のように思えて……。だから、もし、スタンリーが道を踏み外しても、きっとあの子から助けを求めることはないでしょうけれど、それでも見捨てないでいてあげてほしいのよ」
ヌリア母様の願いは理解できた。
むしろ、そうするつもりだったし、スタンリーであろうとなかろうと誰も見捨てたりすることはない。
「もちろんです。私は誰も見放したり見捨てたりしません」
「うふふ。ありがとう。まあ、こんなふうにお願いをしなくても、サクヤがそういうことをする人間だとは思えないもの。近衛騎士からも、今回の外遊で来てくれた騎士たちからも、あなたの人柄については伺っているのよ。ネレアがサクヤを好いているのも理解できるわ」
ヌリア母様はそう言って俺の頭を肩に抱き寄せた。
視界はヌリア母様の胸元が大半を占めることに……。
居た堪れない……。
背の高いお師匠様と違ってヌリア母様は標準的な女性の背丈。
俺とそれほど変わらないから抱き寄せられるとこうなってしまうのだ。
王妃らしい正装に近い装いで、胸元が開いていた。
「本当に良い子……」
などと艶のある声で言うからドギマギしてしまう。
ありがとうございます──と、返すだけで精一杯。
こんなのがまだ二週間以上続くのだろう。
旅はまだ始まったばかりだと言うのに、期待と居た堪れなさで身が縮こまりそう。
「ところでユフィとはどう? 上手くいってるのかしら?」
ヌリア母様がユフィと呼ぶのは俺の婚約者のエウフェミアのこと。
「最近はとても良くしていただいてますよ」
上手く行ってるとか仲が良いとはなかなか言えない。
学園では毎朝、二人きりの時間を過ごしているけれど、ここ最近のエウフェミアは今日のヌリア母様みたいに距離感がバグってる。
以前は魔法を使えない無能者だと蔑んでいた様子なのに、最近では全くそんな素振りは見せない。
ようやっと読めるようになったマトリカライア時代の古い魔導書を読み進めては俺と魔法について語り合おうとする──そんなことができるようになっていた。
そこにお師匠様も加わり、同じ魔女という権能の持ち主の二人が魔法の使い方を談義する。
毎日を楽しそうに過ごしているエウフェミアを見るのを俺は微笑ましく思っていた──とはいえ、彼女が厳しいのは変わりない。
詠唱魔法を使えない俺が王として君臨しても侮られないように俺を誘掖しているのだろう。
エウフェミアは俺のためを思って強い口調とは言え、彼女なりの務めを果たしているのだ。
何れ彼女の思いには応えなければならないとは思いつつも、俺は十五歳になったら王位継承権を放棄するつもりだからね。
しかし、このエウフェミアの小言はお師匠様も知っているのにお師匠様はエウフェミアの味方をする。
たとえ王位に与れなくても努力を積み重ねることは必要だと言う。
確かにご尤もなんだけれど、俺は強くなりたいということを最優先にしていた。
「そう──なら良かったわ。ユフィはサクヤにずっと失礼な態度を取っていたからって嘆いていたから……。最近はとても楽しそうにしているけれど、ユフィも女の子だから、そういうところをたまに気遣ってあげてね」
それからヌリア母様はいろんなことを口にする。
「スタンリーが五歳になってパワーレベリングに行くようになってから人が変わってしまったわ──」
話の内容はもっぱらスタンリーやネレアのことだった。
スタンリーがパワーレベリングを始めると、ソフロニオ・ペラルゴニーと共にダンジョンに同行し始める。
それからスタンリーは俺を無能者だと罵り、エウフェミアやネレアに吹聴している。
ネレアはまだ幼いと言うのにそれが原因でスタンリーと距離を置き、スタンリーの話を真に受けたエウフェミアは俺を蔑んだ。
エウフェミアの十歳の誕生日の日に俺と婚約を結んだが、その日の誕生日を祝うパーティーで彼女はスタンリーと一緒になって荒れていたそう。
それほどまでにエウフェミアは俺に対して嫌悪感を抱いていたそうだ。
なのに、ネレアは俺を慕い続けるから、ヌリア母様はどうしても気になってネレアに訊いた。
「サクヤお兄様は最強です」
そう言って憚らなかったらしい。
そんなネレアは今もスタンリーから距離を置き、エウフェミアを嫌っている。
ここ何年も一言たりとも言葉を交わしていない。
エウフェミアは同性の従姉妹だから仲良くしたいらしく何とか話しかけようとしてもぷいっとそっぽを向いて逃げてしまうのだとか。
その度にエウフェミアは泣きそうな顔をする。
「サクヤ殿下とお話できるようになったのに、ネレアとノエル殿下は私と一言も喋ってくれません」
ヌリア母様に嘆く。
エウフェミアは未だにネレアとノエルの声を訊いたことがない。
それから、ヌリア母様は城内の様子についても教えてくれた。
「サクヤは近衛騎士団からの評判がとても良くて、心から誇らしく思っているけど、大臣を始めとした文官からは魔法が使えないことを揶揄されることがあるの──」
小さい頃に近衛騎士団の訓練所に潜り込んで剣を習っていたことがあった。
彼らとはその頃からの付き合いなので悪く言われることはない。
評判が良いのは俺の剣の腕が上がったからだろう。
王国騎士団でもそうだからね。
「騎士たちは皆、サクヤの人柄を褒めてくれて、サクヤが王位継承権の筆頭に戻ったときにはとても喜んでいたのよ」
そんなことがあったらしい。
あまり褒められるとこそばゆくて居た堪れない。
しかし、重箱は突かれるもので、俺が魔法を使えないことから玉座に相応しくないと言う者も少なくない。
俺の扱いを巡って城内は二分しているそうだ。
この外遊に随伴するものたちが王国騎士団と近衛騎士団の団員で構成されているのがその証明とも言えた。
大臣や文官はこの外遊に同行していないのだ。
これは[呪われた永遠のエレジー]にもあった設定だ。
どことなく陰のあるサクヤ・ピオニアだが、騎士たちとの親睦が深くとても良く慕われている。
ゲーム中、随所に語られたサクヤの人間像のひとつ。
とはいえ、文官と武官でサクヤへの評価が割れているというのは俺(朔哉)の記憶になかった。
◇◇◇
一方──。
夕方になるとネレアとノエルはブランの講義を終えて夕食を迎える。
「お姉さま。お兄さまがいません」
しょんぼりするノエル。
ファストトラベルでは一度行った場所なら境界の先として空間を繋ぐことはできるが、一度も行ったことのない場所を行く先にできない。
いつも一緒にいる兄のサクヤが今日から一ヶ月以上、城に居ない。
ノエルはとても淋しく感じていた。
「ノエル、私も淋しいわ。サクヤお兄さまがいらっしゃらないもの」
二人は城に居ない兄を慮るあまり、部屋の主の居ない部屋にこもっている。
自室を有するというのに、二人がサクヤの私室にいるのはいつもの習慣もあるが、サクヤを少しでも感じていたいという淋しさからのもの。
ふたりでサクヤのベッドに座っていたら、侍女が呼びに来る。
「ネレア殿下、ノエル殿下、夕食のお迎えに参りました」
コンコンと扉をノックする音がして、扉の外から女性の声が室内に届く。
「わかりました。今、参ります」
ネレアが応じてノエルを連れてサクヤの部屋を出た。
向かった先は王族の食堂。
そこに存在するのは彼女たちの未来を左右する特異点。
それがこれから起きようとしていた。




